表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
元・暗殺者の異世界ゆるふわスローライフ計画  作者: 希羽
第5章:砕け散った仮面

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

57/65

第57話:完璧なエスコートは、敗北する

 国王陛下への報告と、腹黒生徒会長シリルとの密約を済ませた翌日。

 俺は『生活環境向上委員会』の部室で、今日も今日とて書類仕事という名の雑務をこなしていた。

 ふと、向かいの席で難しい顔をして本を読んでいたセオドア殿下が、パタンと本を閉じ、ごく自然な、しかしどこか硬い声で口を開いた。


「アイリス」

「はい、何でしょう殿下」

「……今週末、王都のメインストリートに新しい菓子店が開いたらしい。視察に付き合え」


 視察。

 その言葉に、俺の暗殺者としてのスイッチがカチリと入った。


(なるほど。休日の王都に紛れ込み、市井の動向を探りつつ、いざという時は殿下を守る……護衛任務の一環というわけか)


「承知いたしました。視察ですね、お供します」


 俺が真剣な顔で即答すると、殿下は「……よし」と小さく呟き、なぜか少しだけ耳の先を赤くして視線を逸らした。

 そのやり取りを見ていたリュシアンが、呆れたような、同情するようなため息をつき、俺の耳元にスッと顔を寄せてきた。


「ねえ、アイリス」

「なんでしょう」

「それ、絶対に視察じゃないと思うよ」

「……? どういうことです?」

「…………うん、君はそれでいいよ。頑張ってください、殿下」


 リュシアンは何かを諦めたように苦笑し、殿下に向かって小さくガッツポーズを作っていた。


 全く意味がわからない。


 ◇◇◇


 そして迎えた週末。

 俺と殿下は、平民の服に身を包み(殿下の服はどう見ても高級なシルクだったが)、王都の新しい菓子店を訪れていた。


「こちらへ。段差がある」


 殿下がスッと手を差し出し、俺をエスコートする。

 通されたのは、店内の喧騒から適度に離れ、かつ外の景色が楽しめる完璧な窓際の席だった。


(すごいな。視察にしては準備が完璧すぎる。これも王族としての帝王学の賜物か)


 俺が感心している間に、運ばれてきたのはこの店の看板メニューである『特製ガトーショコラ』だった。

 艶やかなチョコレートのコーティング。フォークを入れると、わずかな抵抗のあとに、しっとりとした生地が顔を出す。

 一口、口に運ぶ。

 濃厚なカカオの苦味と、それを包み込む上品な甘さが、口の中で見事なシンフォニーを奏でた。


(……美味い!)


 俺は完全に護衛任務であることを忘れ、目の前のガトーショコラに全神経を集中させた。

 一口ごとに変わる食感。生地とクリームの絶妙なバランス。これを計算して作り上げた職人は、間違いなく天才だ。

 俺が夢中でケーキを味わっていると、向かいの席でコーヒーを飲んでいた殿下が、意を決したように真っ直ぐな視線を向けてきた。


「アイリス」

「はい、もぐもぐ」

「今日は、その……楽しいか?」


 少しだけ緊張したような、それでいて期待の入り混じった声。

 その真剣な眼差しに、俺は最高の笑顔で、力強く頷いた。


「ええ、とても!」


 殿下の顔が、パッと明るくなる。


「このガトーショコラ、三層の構造が完璧ですわ! 上のコーティングで外敵を防ぎ、中間のクリームで衝撃を吸収、そして最下層のスポンジでどっしりと構える。この一切の無駄を省いた造形美……標的を確実に仕留める暗殺の精密さに通じるものがありますわね!」


 ピシリ。

 殿下の顔に浮かんでいた明るい表情が、文字通り音を立てて凍りついた。


「…………え?」

「特にこの、隠し味に使われているベリーの酸味。これがまるで、毒の回りを遅らせる麻痺薬のように、チョコレートの重さを中和して――」

「……君は、本当になぜだ」

「何がですの、殿下?」

「……なんでもない」


 殿下は、深い絶望の淵を覗き込んだような顔で、両手で顔を覆ってしまった。

 完璧なエスコートも、真剣な眼差しも、全てガトーショコラの構造分析に敗北した瞬間だった。


 ◇◇◇


「美味しいケーキでしたわ。素晴らしい視察でした」

「……そうだな。君が満足したなら、それでいい」


 帰り道。夕暮れの王都を歩きながら、殿下はどこか遠い目をして歩いていた。

 視察というからには何かレポートでも提出するのだろうかと考えながら、俺が殿下の半歩後ろを歩いていた、その時だった。


 ――ぞくり。


 背筋を、冷たい指で撫でられたような感覚。

 殺気ではない。もっと静かで、無機質で、純粋な『観察』の視線。


(……プロだ!)


 俺は反射的に動いていた。

 タンッ、と軽く地を蹴り、無防備に歩いていた殿下の前にスッと立ち塞がる。

 スカートの裏の暗器に指をかけ、気配のした路地裏の闇を鋭く睨みつけた。


「アイリス……?」


 俺の突然の行動に、殿下が驚いたように目を見開く。

 そして、俺が自分を『庇う』体勢をとっていることに気づき――その端整な顔に、一瞬だけ、ひどく複雑な表情を浮かべた。


 だが、路地裏の気配はすぐに、ふっと煙のように消え去った。

 攻撃の意思はない。ただ、こちらを値踏みするように見ていただけ。


「……今のは、何だ」

「分かりません。ですが……素人ではありません。かなりの手練れです」


 俺は暗器から指を離し、警戒を解かずに殿下を振り返った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ