第52話:暗殺者は、呪いだけを殺す
グラウンドを支配する赤黒い暴風と、リュシアンの両の瞳から放たれる翠の光が、正面から激突した。
ギギギギィッ!!
相反する二つの魔力が軋みを上げ、空間に火花が散る。
だが、力の差は歴然だった。長年、組織の闇で培われた兄の魔力は、あまりにも巨大で淀んでいる。
「ぐっ……、あぁっ……!」
リュシアンの顔が苦痛に歪む。
彼の『真実の瞳』は、対象の嘘や偽装を暴く力だ。正面からの力比べに向けた能力ではない。暴風に押し負け、彼の足がズルリと後ろへ滑る。
(このままじゃ、リュシアンが呪いに呑まれる!)
俺が舌打ちし、強引に呪いの泥へ手を突っ込もうとした、その時だった。
「――退け、リュシアン!!」
後方から、大気を震わせるほどの覇気を伴った声が轟いた。
リュシアンが弾かれたように身を躱した瞬間、俺たちの頭上を『極太の光の刃』が通り抜けた。
セオドア殿下だ。
王家の宝剣に限界まで魔力を込めた、渾身の一撃。
それは一直線に暴風を切り裂き、兄の身を覆っていた分厚い『呪いの鎧』に深々と突き刺さった。
「おおおおおっ!!」
殿下の咆哮と共に、光の刃が呪いの泥を焼き払っていく。
だが、それでもまだ足りない。呪いの奥底で脈打つ、起爆術式の核までは届かない。
「……リュシアン!!」
剣を押し込みながら、殿下が叫んだ。
その意図を瞬時に理解したリュシアンが、再び兄の正面へと躍り出る。
「……兄さんを縛る、そのふざけた鎖を……僕の目から隠せると思うな!!」
リュシアンの翠の瞳が、かつてないほどの輝きを放った。
彼自身の魔力ではない。彼の『暴く』という強烈な意志が、殿下の一撃でわずかに薄れた呪いの泥を、無理やり掻き分けていく。
――そして、ついに。
暴風の奥底、兄の心臓に絡みつく『起爆術式の核』が、俺の眼の前に完全に露わになった。
殿下の力と、リュシアンの瞳がこじ開けた、絶対で唯一の隙。
時間は、コンマ一秒もない。
(……上等だ!!)
俺は一歩、深く踏み込んだ。
全身の魔力を右手の指先の一点のみに極限まで圧縮する。
狙うのは命ではない。肉体でもない。
男の心臓に寄生し、彼を操り、爆発させようとしている『呪いの術式』そのもの。
(暗殺の業――『絶脈』!!)
俺の手から放たれた目にも留まらぬ魔力の針が、荒れ狂う暴風の隙間を縫い、呪いの核の『最も脆弱な結節点』を正確に貫いた。
ピシッ……。
微かな亀裂の音。
それは次の瞬間、パリンッ! というガラスが砕け散るような澄んだ音に変わり、グラウンド中に響き渡った。
赤黒い暴風が、嘘のようにフッと掻き消える。
強行起爆の魔法陣が完全に沈黙し、空を覆っていた重圧が霧散した。
「……あ……」
呪いの鎖から解放された男は、糸が切れた操り人形のように、どさりとその場に倒れ伏した。
グラウンドに、静寂が落ちる。
「……兄、さん……っ」
リュシアンが弾かれたように駆け寄り、倒れた兄の傍らにしゃがみ込んだ。
彼は兄の胸に耳を当て、微かだが確かな鼓動を確かめると――俯き、表情を隠すようにして、ただ震える手で兄の肩を強く握りしめた。
後方から、ステラ寮の生徒たちの安堵の声が聞こえた。張り詰めていた防護結界が解かれ、グラウンドに静寂が戻ってくる。
セオドア殿下が静かに剣を鞘に収め、一つだけ、長く息を吐いた。
俺は、荒い息を整えながら、その場に立ったままリュシアンたちを見ていた。
暗殺者として、標的を生かしたまま無力化するなど、かつてないほどの疲労だ。
だが、地に伏した彼らの傍らで静かに肩を震わせるリュシアンの姿を見ていると、なぜか、そこまで悪い気分ではなかった。




