第53話:幻のケーキは、王国の危機よりも死活問題です
夕暮れのグラウンド。
気絶したリュシアンの兄は、セオドア殿下が手配した王家の直属の医療班によって、隠密裏に運び出されていった。呪いの核は完全に破壊した。命に別状はないはずだ。
事件の後処理で騒然とする中、俺はステラ寮の令嬢たちに囲まれていた。
「アイリス様! ご無事で本当によかったですわ……!」
「ええ、本当に。無謀にも暴風の中に飛び込んでいかれた時はどうなることかと……ですが、セオドア殿下のあの素晴らしい光の剣! 殿下の一撃がテロリストを打ち倒し、アイリス様をお救いになったのですね!」
感極まって涙ぐむリヴィアたちに、俺は「ええ、まったく殿下には敵いませんわ」と優雅に微笑んで頷いた。
俺が放った暗殺の針は、殿下のド派手な光の刃の陰に完全に隠れ、誰の目にも留まらなかったらしい。周囲からは完全に「殿下が倒した」ことになっている。好都合極まりない。
令嬢たちを適当にいなして解散させ、人目を避けてテント裏へ向かおうとした、その時だった。
「――お見事な手際でしたね、アイリス嬢」
ふいに背後から声をかけられ、俺はピタリと足を止めた。
振り返ると、そこには生徒会長のシリルが、いつものように涼やかな笑みを浮かべて立っていた。
「何のことでしょう? わたくしはただ、殿下に助けられただけの――」
「私の目は誤魔化せませんよ。……殿下の剣の直後、貴女が放ったあの恐ろしく精密で、呪いだけを的確に殺した極小の魔力の針。見事としか言いようがありません」
(……ッ!! 見られていたのか!?)
冷や汗が背筋を伝う。この男、あの極限状況でどれだけ動体視力がいいんだ。
「貴女のような優秀な人材を、このまま野放しにしておくのは王立アカデミーの損失です。どうでしょう、アイリス嬢。我々生徒会に入りませんか? 貴女のその『技術』、生徒会でなら存分に活かせると思うのですが」
「……っ、光栄なお誘いですが! わたくしは目立たず平穏なスローライフを志しておりますので! それではごきげんよう!」
俺は愛想笑いを顔に貼り付けたまま、シリルの勧誘を逃げるように振り切り、その場を早足で立ち去った。
(くそっ、また面倒なフラグが立った気がする……!)
厄介な勧誘から逃れ、ようやく人気のなくなった実行委員のテント裏へとたどり着く。そこには、後処理を終えたセオドア殿下と、リュシアンが待っていた。
「……ありがとうございます。セオドア殿下、それに、アイリス」
リュシアンが深く頭を下げる。いつもの完璧な愛想笑いではない。少し不器用で真っ直ぐな表情だった。
「殿下のあの剣がなければ、呪いの装甲は破れなかった。アイリスのあの魔法がなければ、兄さんは死んでいた。……僕一人じゃ、どうにもならなかった」
「気にするな。……紛れ込んでいた他の『ネズミ』どもは、すでに私兵とシリルたちが拘束した。リュシアンの『瞳』があれば、変装など無意味だったからな」
殿下が腕を組みながら、事も無げに告げる。
どうやら俺が楔の処理に追われている間に、二人は二人で、リュシアンの瞳で見抜いた工作員たちを一掃していたらしい。
(……なるほど。道理で俺が自由に動けたわけだ)
二人の視線が、改めて俺に向けられた。
「アイリス。君には、本当になんとお礼を言えばいいか」
「……何のことだか、わたくしにはさっぱり分かりませんわ」
俺は、わざとらしく首を傾げた。
「わたくしはただ、玉入れを頑張っただけで……テロリスト? 工作員? そんな恐ろしいもの、か弱い令嬢のわたくしが知るはずもありません」
「……ふっ」
俺の白々しい態度に、リュシアンが小さく吹き出した。
「本当に、君という奴は……。あの状況で最善の処置をやってのけておきながら、あくまで『何もしていないフリ』を貫く気か」
「ええ。わたくしの目標は、平穏なスローライフを送ることですから」
きっぱりと言い切る俺に、リュシアンが憑き物が落ちたような穏やかな笑い声を上げた。
「ははっ、アイリスらしいね。……わかったよ。今日の君は、ただ玉入れで大活躍しただけの、少し運動神経の良い令嬢だ。そういうことにしておくよ」
シリルには見抜かれてしまったが、ひとまず目の前の秘密は守られた。
これでようやく、俺の真の目的を果たす時が来たのだ。
「ところで、殿下」
「なんだ」
「体育祭は、途中からあのような騒ぎになってしまいましたが……勝敗はどうなりましたの? わたくし、その……『幻のオペラケーキ』の行方が気になって夜も眠れませんわ」
俺の真剣すぎる眼差しに、殿下は一瞬きょとんとし――それから、額を押さえて天を仰いだ。
「……君は、本気で言っているのか? 王国の危機を救った直後に、ケーキの心配か?」
「わたくしにとっては、王国の危機よりもケーキの方が死活問題ですのよ」
「……っ、ははははっ!」
殿下が、堪えきれないといった様子で声を上げて笑った。
「いいだろう。最終競技は中止となったが、途中までのスコアと、パニック時のステラ寮の迅速な防衛対応が評価され、今年の総合優勝はステラ寮だ。当然、勝利に貢献した君にも配給される」
「……ッ!!」
俺は心の中で、両手を突き上げてガッツポーズをした。
「後ほど、君の部屋に最高級のものを届けさせよう」
「ありがとうございます、殿下! 一生ついていきますわ!」
「ケーキ一つで買える忠誠とは、随分と安いものだな」
殿下は呆れながらも、その口元には微かな笑みが浮かんでいた。リュシアンもまた、俺たちを見ながら楽しそうに微笑んでいる。
夕日に照らされるグラウンド。
面倒なテロ騒ぎに巻き込まれ、暗殺者の専門外である「生け捕り」なんて身を削るような戦いまで強いられた。挙句の果てに、厄介な生徒会長にまで目をつけられてしまった。
けれど、こうして二人の穏やかな顔を見ていると――そして何より、これから食べる極上のオペラケーキのことを思うと。
(……たまには、こういう面倒も悪くないかもしれないな)
俺は心の底から安堵の息を吐き、足取りも軽くテントを後にした。




