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73,少女は街を出発する

 早朝に『聖者の手』を持つ者からヒーリングを受けるリティアは、水泳の課題を免除された為、寮に戻って、制服から探索に適した格好に着替える。ダニに食いつかれる確率を減らす為、探索用に製作されたロングブーツのベルトを中に入れたズボンとの間に隙間が出来ないように締めていく。立ち襟の長袖シャツの裾もズボンにしまい込み、ウエストベルトには、小瓶を入れた拳1つくらいのポーチと、応急手当用品を入れた拳2つ分のポーチを左右に括りつけ、いつものオピネルナイフをベルトで固定した。肩から使い古したショルダーバッグをかける。水筒の他に、昨日までに用意したオレンジの皮のサシェ、香油、リティア特製の皮の粉末とペパーミントの葉の粉末の混合物などを詰め込んだら、寮のロビーのソファでセイリン帰りを待つ。一昨日のセイリンに似合いそうなドレスの話はとても楽しかったと、ふふふと思い出し笑いをしてしまう。ふいに、風でマントが靡く団服姿のディオンを想像してしまい、ポッと顔の熱が上がる。セイリンと皆の色んな服装の話をした中で、ディオンの燕尾服姿はしっかり想像していたけども、それより岩泉オオガエルに剣を握って戦う姿の方が容易に想像できた。その姿の方がリティアの心は陽気に弾む。口元が無意識に緩んでいたら、ブワァと目の前いっぱいに精霊が飛び交い、その眩しさの中で目を凝らすと、黒い髪を肩にかける女子生徒シャーヌがこちらに微笑み、隣に腰掛けてくる。

「リティアさん、おはよう!会いたかったよ!どう?今は幸せって感じられる?」

「シャーヌさん…でしたね。幸せかと言われると分かりませんが、今はとても充実した日々を過ごしております。」

前回答えられなかった質問に、困り顔で対応するリティアに、シャーヌは鬼の形相で迫ってくる。

「この前はやっと貴女の名前も知ることができたし、久々に会ったから忘れているかもと思ってもう一度自己紹介したけど…また、言葉を濁すのね。まあ、まだ時間あるからね。」

「え?シャーヌさんと話したのはこれが2回目かと思いますが。」

シャーヌはまるでリティアに以前も会ったかのように言ってくるが、リティアが何度記憶を辿っても、一族以外で関わった人は指で数えられるほどしかいない為、ため息をついたシャーヌに困惑した表情を向ける。

「何を言っているの?5年前も話したじゃない、あの旧校舎で。今はあの格好いい姫騎士様にお熱なのかしら?」

「人違いではないでしょうか、私はこの4月に入学したばかりです。」

5年も留年した覚えはないリティアは、この人が何を言っているのかをひたすら頭の中でメモを取る。

「そうやってすぐしらばっくれる。でもまあ、まだ私は待てるから。」

リティアとの会話で顔を歪ませるシャーヌが、喉元に剣を突きつけるような視線を向けてくる中、寮の扉が大きく開き、髪を濡らしたままのセイリンが入ってくる。

「リティ、待たせたな。ん?誰だ、そいつ。身体が透けてないか?」

「あーあ、姫騎士様は苦手。じゃあね、リティアさん。今度はちゃんと答えてね?」

セイリンが大股で迫る前に、もう一度精霊が集まり、シャーヌの姿を埋もれさせてから弾けた。そこにいたはずのシャーヌがいない。リティアは目を擦ってみるが、やはりもう姿はなかった。

「何だ、あれ。ハルド先生が言ってた光る少女か?」

「分かりません。セイリンちゃん、助けてくれてありがとうございます。それでは行ってまいります。」

立ち上がってペコリと頭を下げると、セイリンは自分の頭をガシガシと掻いた。

「助けたうちに入るのかわからないが、リティが無事なら良いか。ああ、気をつけてな。」

セイリンに見送られ、気を取り直したリティアは寮を後にした。


 今日は、セイリン達が水泳の課題をこなした後は、ハルドと2人で兄の仕事の手伝いをすることになっていた。正門前でハルドが用意した精霊人形の御者が操る馬車に乗り込むと、傭兵が好みそうな軽装備、ただ流通している物とは異なり、巨大な鱗を切り抜いたようなベストを身に着けているハルドが先に乗っていた。

「リティ、これが君が読みたいって言ってたこの前の報告書だよ。」

「ありがとうございます。やはりセイリンが戦ったのは、文字化け髪ですか。この魔獣は小心者だから、こんな人が多いところには基本的に近寄らないはずなのに。」

ハルドから渡された報告書は、セイリン達の証言を元にした魔獣の特性、回収された魔石から魔獣の属性解析について書かれている。リティアがオレンジの皮で虫よけを作っている間にハルドが書いていた物だ。文字化け髪は、黒い楕円の球体に長い髪が生えている。生えている髪が多ければ、同種族内での強さを誇示できるようで、文字を主食とするが、それ以外に動物の毛や人間の髪を食べることが知られている。それ以外での害が少なく、入っている本を天日干しすると干からびる為、討伐する者は多くない。

「そうだね、ただ今回は図書室の本の入れ替えでくっついてきたのだと思う。新しく入れた本の文字が喰われていたから。」

「報告書にあるようにこの文字化け髪は異常に大きいみたいですが…。」

セイリンが頭を足蹴にすることができたということが書いてあり、リティアは首を傾げる。リティアの知識では、文字化け髪は赤ん坊の手のひらサイズくらいしか大きくならない。

「ああ、それ。何ら不思議なことではないよ。一回に食べた文字が多かっただけだ。一時的に太った状態だね。」

「なるほど…。ありがとうございました。」

ハルドからの補足を聞いてから、リティアが丁寧に報告書を返すと、ハルドは手慣れた手つきで封筒に戻す。

「いえいえ、特殊な事は書いていないからこのくらいは大丈夫だよ。」

「ハルさん、お尋ねしたいことがあるのですが良いでしょうか?」

「ん?なんだい?」

身体を傾けて隣の座席の下にある籠に封筒を滑り込ませているハルドが、リティアと目を合わせると、

「ハルさんが以前つけていたチェーンブレスレットって恋人のでしたか?」

真顔に質問してきたリティアに、ハルドは慌てて口を手で抑えながらも吹き出した。

「いや、違う!そういう相手はいないんだけど。これは結構重要なものでね。」

ハルドのベストに縫い付けた胸ポケットから、リティアが言っていたチェーンブレスレットが出てくる。ホワイトムーンストーンの親玉が日光によって白いシラーを浮かび上がらせている。

「聖女ルナ様から、彼女に従っていた古代魔獣達へ贈られた物だ。これがあることで、そのような存在の言葉が聞きやすくなる。」

「そんなことが…。魔獣をも従えられるルナ様ってどんな方なのでしょう。」

「それは君の一族だから、君によく似ている…はず。」

ハルドは語尾が小さくなりながらも答えると、リティアは首を傾げる。

「私に??」

「多分ね。男だけでも結構皆似てるし。リルとかリグとか…あとほら、彼。リーキーだっけ?」

リティアはその名前を聞いて瞼を閉じる。兄やリグレスよりも年上で、リティアの婚約者候補の1人だったと聞いているが、あまり会ったことはない。ただ、リティアのお披露目会の夜に集まっていた一族の、リティアに罵声を浴びせた大人達を怒鳴り散らして、その姿を消したと聞いている。

「リーキーさん、元気にしているでしょうか…」

「音沙汰ないみたいだからね。」

ハルドは困り顔で返答すると、リティアは窓の外を眺める。きっと、お会いすることはないのだろうけど…と思いながら。

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