第18話 甘くはない香り
「陛下!待って!!」
王妃様に請われて交換したカップから立ち上る香りと記憶が一致し、慌てて止めたものの、王妃様のカップは既に口元へ持っていかれていた。
(ダメ!)
待てと言っても待ってくれない王妃に、この時ばかりは舌打ちしそうになるも、僅かな時間すら勿体無い私は失礼を承知で王妃の手元へ飛び込んだ。
ガッシャーン!
「キャーーー!!」
大きな音と共に、周囲の女性らが悲鳴をあげたがそれどころではなかった。
飛びつくように手元からカップを払い、すんでのところで危険を回避できたことを確認し大きく息が漏れる。
しかし、事態はそれだけでは終わらなかった。
「エルナさん?」
王妃様は数瞬前までカップを持っていた体勢のまま目を丸くして固まっていた。
私は王妃様の膝に飛び込むような形で体を投げ出している。
王妃様の膝の上から、私も体が固まったように目線を合わせたままでいる。
き、気まずい!
先ほどの独特な甘い香り。
あれは確か、つい先日の妃教育で嗅いだ毒に酷似していた。
どんな毒だったかまでは思い出せなかったが、確か痺れたり、朦朧とするような類だった気がする。
毒でなければそれでいい。
でも、もしかしたら毒かもしれない。
かもしれないなら飲まないに越したことはない!
そう判断したものの、現状はどう見ても錯乱したアタオカ女のそれでしかない。
まさか王妃様に甘えたくって〜なんて言い訳は通用しないだろう。
脳内は目まぐるしく回転するも、ちっとも冴えた打開策が見つからないままでいると、周囲のざわつきが大きくなって聞こえてきた。
「なんですの?」
「突然王妃陛下に飛びかかったのよ」
「まあ、なんて無礼な」
「カップをはたいたそうよ」
「そういう方なんですの?」
最近私の聴覚は成長期を迎えたらしい。
やけにご令嬢方のヒソヒソ話が大きく聞こえる。
(完全に勘違いされてる!)
かといって、なんと言って膝上を離れればいいのかもわからず、相変わらず私は王妃様の膝の上にゴロニャンだ。
すると、別の小さな声が聞こえてきた。
「そういえば昨夜は晩餐会を欠席されたそうよ」
「殿下おひとりで可哀想だったわ」
「ご体調が優れないとお聞きしていたけど、飛びつくぐらいお元気みたいだわ」
「それはそうよ。献上品をご自身でお作りになるくらいだもの」
「力が有り余っていらっしゃるのね」
「王太子妃より女騎士の方が似合っていらっしゃるのではなくって?」
ヒュン
息が詰まった。
今朝方に回復したと思った冷たさが、背筋を襲う。
回転台に乗せられたようにぐるぐると目が回り出す。
膝をついて、上体は膝上にもたれかかっているにもかかわらず、体がぐらぐらと動き出す。
自分の体なのに、自分の思い通りにならないことに混乱し始めていると、ふと温かい手に背中を撫でられた。
「大丈夫だよ。大丈夫。ゆっくり息を吐こう」
大きくゆったりとした動きで背中を撫でられていると、次第に息ができるようになってきた。
どうやら私は、過呼吸を起こしていたらしい。
口元に王妃様の手があったことに、今になって気がついた。
「王妃陛下……ご無事ですか?」
「ああ。そなたのおかげでな」
口元にあった手がそっと頬へ添えられ、王妃様へ顔を向けさせられると、あの人に似た瞳の色が私を覗き込んでいた。
「毒の香りが、……いたしました」
状況も状態もありえないまま、何もかも後回しにして大切なことを伝えようと、なんとか口にすると王妃様は少しだけ目を開いて、側仕えに指示をした。
「エルナ様、こちらを落とされたようですわ」
そう言ってノーラ様がかんざしを差し出した。
きっと飛びついた拍子に落ちたのだろう。
せっかく結ってもらった髪も少し乱れてしまった。
「まあ、大変。陛下のお気に入りのカップがこんなところに……」
「触れてはならぬ」
「……かしこまりました」
地面に落ちたカップを拾おうとしたノーラ様は動きを止め、立ち上がり離れた。
その後、時を置かず駆けつけた医官は先日の授業で見かけたひとりで、私がはたき落としたカップと僅かに残った中身を慎重に取り上げると、側仕えのひとりと共にどこかへ持ち去っていった。
「さて、私としては役得だが、後でクリスが怖いから、続きはふたりの時にしようか」
そう言って片目を器用につむる王妃様に、私は顔を真っ赤に火照らせてようやく膝上を退いた。
触れていた温もりが離れ、少しだけ涼しい。
医官と一緒に姿を消した側仕えがいつの間にか戻ってきて、王妃の耳元へ何かを囁く。
私が王妃様の側仕えに椅子へ誘導される腰を下ろすと、王妃様は立ち上がり、どこまでも通る声で発したのはーー
「何者も、この場を離れることあたわず!」
会場全体を緊張感が包んだ。
王妃の号令と共に会場の警備についていた騎士が出入り口を封鎖し、参加者の行動に注視し始める。
「陛下……」
「英断であった。飲み物から、少量ではあるが毒物が検出された」
「!!」
(間違っていなかった)
説明の時間すら惜しくて、後先考えずに飛び込んでしまったけれど、もし間違っていたらとんでもないことになっていた。
「よく気がついたな」
「つい最近……」
毒について学んだとは、これだけの人数がいる前で口にはできない。
「であれば、メラニーの手柄でもあるな」
いたずらっ子のようにクスリと笑う王妃は、つい先ほど毒を飲む寸前であったとは微塵も感じさせない威厳を保っている。
意識は既に事件解明に向かっている様子だ。
「この場で口にするものはすべて担当官が検査を済ませたものばかりのはずだ。それなのに、一体なぜこのようなことが起きたのか」
そうなのだ。
王城が用意したものであれ、献上品であれ、すべてチェック済み。
だからこそ安心して口にできるというのに。
実際に毒が検出されたからというわけではなく、毒のような香りのものが持ち込まれることすら不可能なはずだった。
それにーー
あのカップは交換して王妃様の手元に渡ったもの。
元は私に提供された飲み物だったのだ。
狙われたのは、私?
それとも王妃様?
「そろそろ狩猟大会の方も終了して男性陣が王城へ戻ってくる頃だ」
王妃様は私の手を取り、優しく甲を撫でた。
「怪我はないか?」
「……はい」
少し、鼻がツンとした。




