第13話 絹の夜着
目を開けた時、周囲が薄暗かった。
だから、まだ日が落ちたばかりなのだと勘違いした。
(ちょっと回復したかも)
そう思い体を起こせば、夜着に着替えさせられていることに気づいた。
やけに楽だったはずだ。
体を締め付けるデザインの一切がなく、絹の肌触りが素肌を撫でる。
(え?なんで?)
混乱する頭で記憶を探る。
確か、パレードですっごく疲れて、晩餐会まで少し休ませてもらうことにしたんだった。
ちょっとのつもりだから、ドレスもそのままにソファに横になって……
少しだけ休んだら、晩餐会のためのドレスに着替えようと思っていた。
早めに起きなきゃと思って、今だけ、と瞼を閉じれば思いのほか楽に感じて。
嫌な予感に、背筋に冷たいものが伝う。
気づけば、薄暗いと思っていた窓辺に差し込む光が心なしか先ほどより明い。
(嘘でしょ?寝過ごした?)
覆りようのない事実に気づき始め、鼓動がうるさく暴れ出す。
二日目の晩餐は、一日目とは違う面々の国内外の貴族を招待していた。
確か、父上も二日目の晩餐に参加するはずだった。
一日目とはまた異なる国外の賓客をもてなす役目をおおせつかっていた。
二日目の参加者の名簿を思い出せば、ブランシュフォード公爵も二日目だったことに思い至る。
(まさか、よりにもよってブランシュフォード公爵の出席する晩餐会に、……欠席した?)
真実を確かめるのが怖い。
恐る恐る窓辺に近づきカーテンを開ければ、太陽は東の空に顔を覗かせ始めていた。
(やってしまった)
マナーの授業の失敗なんて、可愛いものだった。
本番の、公式行事の、しかも国外の賓客を招いている行事で、私はすっぽかしをやらかしてしまったんだ。
王太子の婚約者のためにと用意された絹の夜着が、私にはふさわしくないと思えてくる。
こんな私は王太子妃なんてやっていけない。
自分自身への失望と共に、このシルクの手触りにふさわしいだろう別の人がいるのかと想像すると、じわじわと涙が上がってくる。
(私以外の人が、クリストフの横に並ぶの?)
思えば、彼からの好意を面倒がったり鬱陶しがったりするばかりだった。
どうして私を好んでくれているのか、その理由もわからなくて、信じられない思いでいっぱいだった。
(でも……何度も一緒に行動するうちに、彼の中の人類愛のような、深い愛を身の内に秘めていることに気づいた)
こんな風に考えている人がいるとは思っていなかった。
みんな自分のことしか考えていない。
誰かのためとか言いながら、その実結局は自分のためだったりするんだ。
(父に言われた相手と、なんとなく一緒になるんだと思っていた)
曲がりなりにも貴族令嬢として生まれついたのだから、領地の益になる相手と縁付くことを自然と受け入れていた。
誰しもが自分勝手で、いくらでも裏切るものだと心のどこかで諦めていた。
だから、もう誰にも期待せず、ただ目の前のことを楽しんで、責任を負うことはしないで、のらりくらり、のんびりゆったり生きたかった。
もしかしたら私は、心のどこかですべてに絶望していたのかもしれない。
(誰かを激しく想うことなんてないと思っていた)
後列モブだし、というのは程のいい言い訳だった。
目立つことを拒否できる。
頑張ることを逃げられる。
運よく思いだせた前世の記憶すら、大して活用することもなく、ただ楽になりたかった。
それを、突然割り込んできた彼は、離してくれなかった。
今思えば、なんてありがたいことだっただろう。
卒業資格を得て、田舎へ帰る算段まで整えたのに、あんなに必死に引き留めてくれると思わなかった。
そんな彼に、私はあまり言葉を返していない。
それでも大切そうに扱ってくれることに安心していた。
周囲には、公爵令嬢との婚約を解消してまでも求めた伯爵令嬢だと思われている。
私ですら、なぜ選ばれたのかいまいち理解していないのだ。
きっと公爵令嬢を上回る能力を持っているのだろうと想像されているに違いない。
そんな王太子の新たな婚約者が、公式行事をすっぽかしたともなれば、その資格を疑問視されるに違いない。
優秀な女性を婚約者に推されるのは必死だ。
窓辺からはすっかり明るくなり、王城の庭がどこまでも見渡せていた。
ふと寒気を感じて夜着の上から腕をさすると、絹の独特の肌触りが滑らかにしっとりとすべっていく。
絹には、他のどの素材でも表現できない感触の良さがある。
単純に高級素材だからというだけではない、膨らみや光沢、滑らかな中に湿度を含むような吸い付きは、肌にいちばん近い場所でよりその素晴らしさを感じられるものだ。
前世ではシルクに似せた合成繊維はたくさん生み出されていた。
機能はいくらでも似せることができるが、本物のシルクを超えることはきっとできないのだろう。
私は、どっちなのかな。
絹の感触を味わうように何度も腕をさすっていると、コンコンと扉を叩く音と共に王城メイドが声をかけてきた。
聞いたことのない声に、自分付きのメイドが配属できない立場なのだと思い知る。
入室を許可すれば、メイドの後ろからクリストフが入ってきた。
顔を見た瞬間、自分が失敗を犯してしまったことを思い出し、泣くつもりもないのに涙が込み上げる。
何を言われるのだろう。
失望かな。
叱責ではないだろうな。
今日は王妃生誕祭の三日目だから、ガーデンパーティへの出席の見送りを指示されたりしちゃうのかな。
彼の言葉を聞くのが怖い。
そんな私の思いなんて関係なく、彼は口を開く。
「エルナ。よく眠れた?」
優しい。
ちょっと辛くて、言葉にできないから、小さく頷く。
「元気がないね。どうしたの?」
窓辺に立つ私の手を引いてソファに座らせると、メイドの入れた紅茶のカップを持たせてくれた。
……あったかい。
手のひらから伝わる温もりに励まされ、私は言うべきことを言わなければと口を開いた。
「昨日、起きれなくて、ごめんなさい」
正直に謝ることしかできなかった。
もう起きてしまったことを巻き戻すことなんてできない。
私は自分の不出来を認めて、自分の立場をお返ししなければならないのかもしれない。
「昨日のことを気に病んでいるんだね」
コクリ
「パレードは疲れてしまったんだね」
コクリ
「晩餐会に出たかった?」
……コクリ
ちょっと迷って、それから頷いた。
「俺もエルナがいなくて寂しかったよ」
珍しい。
いつもは自分のことを「私」と言うクリストフは、前世持ちの集まる時でさえたまにしか「俺」と言わないのに。
それだけ、彼が本心から寂しがってくれたのだと感じた。
「エルナのお父上にお会いしたよ」
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