第9話 献上の儀での異変
献上の儀では、王妃様に捧げる贈り物を持った貴族女性が謁見の間に列を作る。
事前に献上の申し込みをし、持ち込む物の名前も知らせてあるため、呼ばれる順に並んで入場するようになっている。
呼ばれる順は爵位順となっている。
私は伯爵令嬢ではあるものの。王太子の婚約者に内定し、扱いが準王族となると説明を受けて入場では先頭に並ぶようにと指示をされた。
そういうものか、と何も疑問に思わずに並んだのだが……
入場順であれば真っ先に名前を呼ばれるはずの私は、今、ずっと呼ばれるのを待っているのだ。
ずっと。
周囲にいた公爵家の婦人やヴァレッタ様が不思議そうに献上を済ませて列から退いていくのを、私は見ることしかできなかった。
献上品を並べる台には、呼び忘れたような隙間はない。
献上順に台に書かれた名前を読み上げるだけの単純な作業のはずだ。
入場順を作ったのも、その順番で献上台に名前を書いていくのも、同じ部署が担当しているはずなのだが。
公爵家の順が終わると、侯爵家の名前の読み上げが始まる。
もう完全に、呼び忘れましたという段階は過ぎた。
気遣わしげな視線は次第に、別の色を帯びていく。
献上品を載せたトレイが小さく震え出した。
いや、違う。
トレイが震えているんじゃない。
これは……私の手の震え?動悸がやけに大きくて、大きすぎて、体まで震える。
そのせいで手まで震えているんだ。
気道が狭くなるような圧迫感を感じ、ふと視線を上げた先には玉座に座る国王様と王妃様が見える。
国王様はどこか気遣わしげな雰囲気でいるが、王妃様はいつもと変わらない穏やかな微笑みを湛えたままだ。
そのふたりの隣に、……見たくなかったのに、視界の端の視力だけがやけに良くなったかのように、クリストフ殿下の姿が見えてしまった。
(だめ、見たくない)
そう思えば思うほど、彼の表情を視界が映そうとする。
殿下の顔はーーーー、王妃様と同じ穏やかな微笑み……じゃない。
あの微笑み、何も感情を乗せていないような微笑みはむしろ何の色も帯びていない無表情と変わらないんじゃないか?
途端、やけに喉が渇いた。
やがて伯爵家が読み上げられ始めても私の順番は回ってこない。
そのうち、小さな囁き声が耳に届いた。
「あの方、ずっとあそこにいらっしゃるわ」
「ご存じないの?あれが王太子殿下の婚約者様だそうよ」
「まあ、どちらのご令嬢かしら?」
「マリエンベルク伯爵家のご息女だそうよ」
「それにしては随分前にお並びでしたわ」
「列の先頭でご入場されていたわ」
「まさかもう王族気取りでいらっしゃるの?」
「しかもあれは何かしら」
「置物か何かしら?」
「それにしては座りの悪い形をしていらっしゃるわ」
女性たちの声は小さな声でもやけに大きく聞こえた。
ああ、見られている。
そして、好き勝手に言われている。
あることないこと、面白おかしく話されている。
献上の儀は献上して終わりではない。
献上品の由来やどのようなものかを王妃様にご説明あそばす。
つまり、決して短くはない時間を、私は列の先頭で立ち尽くしたまま名前を呼ばれるのを待ち、無遠慮な視線に晒され、ゴシップ好き貴族の格好の餌食にされている。
「何でもあの女性に婚約者を変更するため、ローゼンベルクのご令嬢との婚約を解消したらしいぞ」
激しい動悸も、息苦しさも、すべての感覚が感じられなくなるほど、頭が真っ白になった。
何も考えられない。
「本来であればローゼンベルクの姫が王太子妃になるはずだったのに」
「殿下はなんでまたあの伯爵令嬢なんかに?」
「それほど優秀な人物なのか?」
脳が、思考を拒否している。
「貴族子女の中で淑女の鑑と言われたほどの姫だぞ?それを超えるレディがいるものか?」
「どこの家門だ?」
「マリエンベルクですって」
「ハッ、南の?漁業しか取り柄のない伯爵家ではないか」
今日、この場には当主であるお父様もいらしているはずだ。
この声をお父様も聞いてやいないだろうか。
だとしたら……、恥ずかしい。
やっぱりおかしかったんじゃないか?
私が王太子妃なんて、何かの冗談だ。
いくら殿下に請われたからって、了承していいものではなかったんじゃないか?
止まっていたはずの思考が、やけにぐるぐると回り始めた。
そもそも、私は有力公爵令嬢のいちばん後ろの後列モブで、原作では顔も名前も描かれないその他大勢だ。
人前に出るような人間じゃない。
王子様にプロポーズされて、幸せに暮らしましたとさ、なんてお伽噺の主人公じゃないんだ。
後列モブで学園を卒業したら、田舎に帰ってのんびり暮らそうと思ってたんだ。
そうだ。
それがよかったんだ。
だから……
私はここにいちゃいけない。
「……エンベルク。エルナ・マリエンベルク!」
その時、ようやく私の名前を呼ぶ声が聞こえた。
慌てて返事をし、王妃様の前へ進み出ると献上品を載せたトレイを掲げた。
「グランツフェルトの輝ける太陽たる国王陛下、慈愛の月たる王妃陛下にご挨拶申し上げます。この度、マリエンベルクのエルナより王妃様に捧げたるは、夜光貝の髪飾りでございます」
進み出た足は絨毯から浮いているように感じた。
口から滑り出る言葉は、私のコントロールを外れているように思えた。
「夜光貝は私も非常に好んでいるが、これは色が違うようだが」
王妃様が質問をしたのは、多くの貴族の知る夜光貝が白っぽい色をしているからだろう。
私は王妃様を思ってこだわりの色のままに仕上げたことを伝えた。
「多くの夜光貝は真珠の輝きをもつ層を磨くことで美しい光沢を表現しておりますが、実はその光沢はこの青や緑の色を落とした先のものなのです。王妃様の美しい銀の御髪には海の色を模したような青や緑がとてもよくお似合いになると思い、こだわって色を残してお作りしました」
「む?ということは、其方の手作りということか?」
「はい」
ざわり……
肯定を返すと、周囲の空気が変わった。
「手作りですって」
「マリエンベルクは髪飾りを買うこともできないほど逼迫しているのか?」
「王妃様への献上品に斯様なものを選ぶだなんて」
「あの色の先に真珠の光沢があるのか?ということは未完成品ではないか?」
「そのようなものを贈るとは、失礼ではないか?」
ヒソヒソと囁く声が耳に届いた時、私は自身の間違いを悟った。
手作りは、贈り物にふさわしくない?
渇いていたはずの口内だったのに、唾の嚥下が止まらない。
何か言わなければ。
でも、何を?
結局停止した思考では、うまい言い逃れの言葉も浮かばず黙っていることしかできなかった。
「……」
「私を思って素晴らしい品を用意してくれたことを感謝する」
「勿体なきお言葉でございます」
私は何とか王妃様に返事をし、一歩下がると献上台へ向かい、そこで待つ係の者へ献上品を渡した。
そこには確かに、私の名前があった。
入場の際には、間違いなく先頭に並ぶようにと言われたのに……。
なるべく平静を装って謁見の間の隅へと移動し、周囲が次の献上品に興味を移したのを見計らってこっそり退室した。
本当はずっといなければいけなかった。
けれど、どうしてもいられなかった。
私はここにいてはいけない、その思いが私を支配していた。
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