「誘拐ではありません」
風が痛い。
めちゃくちゃ痛い。
「ぎゃああああああ!!」
エルフの少女の悲鳴が、森の木々に響き渡る。
かなり高い声だった。
「うわー、景色すごい!」
トワは少し楽しそうに言った。
「すごくない!!」
「落ちる!!」
「落ちない落ちない!」
「信用できない!!」
即答だった。
前を飛ぶクロウが、こめかみを押さえた。頭が痛い。非常に痛い。
(何故こうなるんだ……)
平原を丸裸にし、王都で大騒ぎを起こし、エルフの少女を半ば巻き込んで連れ去る羽目に。
しかも全部この弟子のせいだ。
(……もう本当に師匠を辞めたい)
心の底からそう思った。
───
数十分後。
森の奥、石造りの家にようやく到着した。
地面に降り立った瞬間、少女は膝をついた。
「……し、死ぬかと思った……」
「大丈夫だったじゃん」
トワがにこやかに言う。
「大丈夫じゃない!!」
「元気元気」
「誰のせいだと──!」
「それについては謝る」
クロウが珍しく即座に頭を下げた。
少女がぴたりと動きを止める。少し驚いた顔だ。
「……え?」
クロウは深いため息を吐いた。疲労が色濃く出ている。
「こいつは放っておくと被害が拡大する。巻き込んで悪かった」
「ひどくない?」
「事実だ」
少女はトワをじっと見た。
変人。危険人物。平原を禿げさせる魔導士。意味不明な箱を使い、今度は誘拐未遂。
(帰りたい……)
トワはそんな視線に全く気づいていない。気づけるはずもない。
「そうだ!」
急に明るい声を出した。
「名前聞いてなかった!」
少女は目を丸くした。
「今!?」
「大事じゃん」
少女は少し沈黙した後、ため息をついて諦めたような顔になった。
「……リュナ」
「リュナ!」
トワの顔がぱっと輝いた。
「良い名前!」
リュナは少し警戒しながら聞き返した。
「あなたは?」
「あ」
トワが止まる。数秒の沈黙。
クロウが呆れた声で言った。
「お前、名乗ってなかったのか」
「忘れてた」
「忘れることある!?」
トワは悪びれもせず、少し笑った。
「まあ細かいことはいいじゃん」
「良くない!!」
リュナが初めて勢いよくツッコミを入れた。
「え、元気じゃん」
「誰のせいよ!!」
クロウは小さく頷いた。
(相性は悪くなさそうだな)
……少しだけ、ほんの少しだけ、そう思った。
その時。
ぐぅぅぅ……
トワの腹が盛大に鳴った。
沈黙が落ちる。
「腹減った」
「空気読んで!?」
「ご飯食べながら話そ?」
「なんで自然に家に入る流れなの!?」
トワはもう玄関の扉を開けていた。
「師匠、今日何ー?」
「知らん」
クロウが低い声で答える。
「お前が作れ」
「えぇー」
リュナは立ち尽くした。
見知らぬ森。見知らぬ家。危険人物二人。帰り道もわからない。
そして、自分の腹も小さく鳴った。
トワが振り返る。
「……食べる?」
リュナは「……」
数秒の逡巡の後、小さな声で答えた。
「……少しだけ」
クロウは空を見上げた。
(増えたな……)
厄介ごとの中心にまた一人、巻き込まれた。
だが――
もしかしたら。
こいつの暴走を止める側になってくれるかもしれない。
少なくとも。
「師匠の言葉を聞かない弟子」よりは、話が通じそうだった。
(……少しは楽になるか?)
そんな淡い期待を抱いて。
すぐに諦める。
(いや、無理だな)
相手はトワだ。
静かな生活は、まだ始まっていない。




