「あなた、何してるの?」
広場には、大勢の人が集まっていた。
市場帰りの主婦。休憩中の冒険者たち。はしゃぐ子供たち。荷物を抱えた商人。
皆が足を止めていた。
理由はただ一つ。
――演奏が、圧倒的に美しかったからだ。
透き通るような、澄み切った音色。
柔らかく、それでいて芯のある響き。
市場の喧騒の真ん中だというのに、不思議と耳を奪われる旋律だった。
騒がしかった広場が、少しだけ静かになった気がする。
気づけば、誰もが足を止めていた。
長い銀色の髪。
尖った長い耳。
少し気の強そうな瞳。
森の色を思わせる服。
膝に抱えた、木目の美しい弦楽器。
エルフの少女が、静かに、丁寧に音を紡いでいた。
上手い。
いや、かなり上手い。
普通に、心を揺さぶられるレベルだった。
トワは珍しく、黙って聴き入っていた。
本当に、珍しいことだった。
「……いいなあ」
ぽつり、と本音が漏れる。
隣にいたクロウは少し驚いた。
こいつが素直に褒めるなんて、滅多にない。
普通ならすぐに、
「ここはこうしたらもっと――」
とか言い出して、ろくでもない方向へ暴走するはずなのに。
だが、トワは一歩前へ出たまま動かない。
ただ聴いている――ようでいて、違った。
観察している。
音を。
空間を。
広場そのものを。
(音色、めっちゃ綺麗だ……)
(楽器の鳴りも最高)
(演奏も上手い)
(でも――)
トワは少し首を傾げた。
前の方の客は、完全に演奏へ引き込まれている。
だが、少し離れた場所では、市場の喧騒が混ざり始めていた。
会話。
呼び込み。
荷車の音。
音楽が、少しずつ埋もれている。
(後ろ、全然届いてないな)
クロウは隣を見て、内心でため息をついた。
終わった。
あの顔だ。
最悪の予感しかしない顔。
「……おい」
「ん?」
「何を考えてる」
「いや」
トワは真面目な顔で言った。
「めちゃくちゃ良い演奏なのに、後ろの人にちゃんと聴こえてないなって思って」
クロウの目が死んだ。
(始まった……)
トワは広場全体を見渡した。
建物。
距離。
壁。
人の位置。
反響。
風向き。
全部、頭の中で組み立て始めている。
ぶつぶつと呟く。
「左右かな……」
「いや、壁の反射使った方が効果的か?」
「でも試作なら――」
「やめろ」
「え?」
「その顔をするな」
「どの顔?」
「問題を起こす顔だ」
トワは数秒だけ考え、真顔で言った。
「でもさ」
演奏をもう一度見ながら、ぽつり。
「せっかくこんなに素晴らしい演奏なのに、前の方しかちゃんと聴こえてないなんて、もったいなくない?」
クロウは黙った。
またそれか。
トワは少し眉を下げる。
珍しく、本気めいた顔だった。
「後ろまでちゃんと届いたら」
「もっと『うわ、すげえ』って人が増えると思うんだよな」
少しだけ。
本当に少しだけ。
真っ直ぐな声だった。
そして。
決意の顔。
クロウにとっては最悪の顔。
「よし」
「やめろ」
「まだ何も言ってない!」
「顔で分かる」
ちょうどその時。
エルフの少女の演奏が終わった。
拍手が起こり、少女が軽く頭を下げる。
その瞬間――
トワが動いた。
「あの!」
少女が顔を上げる。
少し警戒した、ジト目気味の視線。
「……何?」
「演奏、めちゃくちゃ良かった」
少女が目を丸くした。
予想外だったらしい。
「……ありがとう」
少しだけ表情が緩む。
トワは真面目な顔で続けた。
「でも、少しもったいないなって思って」
「……もったいない?」
「後ろの人、ちゃんと聴こえてない」
少女が少し眉をひそめた。
言われて、辺りを見渡す。
確かに。
少し離れた場所では、市場の音に埋もれ始めている。
「だから、もっとちゃんと届くようにしたい」
「……は?」
理解が追いついていない。
当然だった。
だがトワは、もう止まらない。
《マジックボックス》を開き、ごそごそと中を探り始めた。
取り出したのは、木製の箱が二つ。
膝ほどの高さがあり、両手で抱えるくらいの大きさだ。
正面には、金属製のラッパのような部品がむき出しで取り付けられていた。
木箱に無理やり埋め込んだような雑な見た目。
配線もところどころ外に出ている。
どう見ても怪しい。
さらに細い線と、小さな金属箱。
つまみがいくつも付いていた。
クロウは静かに空を見た。
(……出した)
嫌な予感しかしない。
トワはすでに地面を見ながら歩いている。
「ここかな……いや、左右か」
土魔法が発動した。
ごごっ、と石畳の脇が盛り上がる。
少女の左右に、腰ほどの高さの土台が現れた。
その上へ、トワは木箱をどん、と置く。
「……ちょっと待って」
「うん?」
「あなた、何してるの?」
「ん?」
トワは真顔で答えた。
「もっと良い音で聴きたいから」
「はあ?」
完全に意味が分からない、という顔だった。
当然である。
トワは止まらない。
少女の楽器をじーっと観察する。
形。
穴。
木の響き。
弦の振動。
耳を近づけ、軽く叩きながらぶつぶつ呟く。
「音の出口は……ここか?」
少女が一歩下がった。
普通に怖がっている。
「ちょっと! 勝手に私の楽器触らないで!」
「大丈夫大丈夫、壊さないから」
「そういう問題じゃ――」
トワは木と金属でできた小さな器具を取り出し、そっと楽器に取り付けた。
「…………何それ」
「試作品!」
満面の笑顔だった。
「嫌な予感しかしない……」
トワは装置を繋ぎ、線を木箱へ伸ばす。
さらに、つまみの付いた金属箱へ接続。
指先から小さく雷を流した。
バチッ。
低い唸りと共に、木箱が小さく震える。
トワは満足そうに頷いた。
「よし」
「いや、だから何を――」
「一回だけ弾いてみて」
「説明を先に――」
「お願い!」
キラキラした目。
まるで子供みたいだった。
少女は少し引いていた。
怪しい。
めちゃくちゃ怪しい。
でも。
演奏を真正面から褒められたのは、少し嬉しかった。
悔しいけれど。
少しだけ。
「……一曲だけよ」
「よしっ!」
クロウは小さく空を見上げた。
(……もう本当に師匠辞めたい)
嫌な予感しかしなかった。
音は、届かなければ存在しない。




