王都音響地図
夜。
トワは夢を見た。
天井の高い、広い部屋だった。
壁際には見たこともない箱のようなものがいくつも並び、机の上には大量の紙が広がっている。複雑な線が何本も引かれ、箱の形や曲線の広がりが描かれていた。
意味はわからない。
ただ、なぜか妙に気にかかった。
部屋の奥では、誰かが作業を続けている。
背中しか見えない。男か女かもわからないその人は、紙と箱を何度も見比べながら、筆を走らせては書き直していた。
やがて、小さく呟く声が聞こえた。
「もっと遠くへ」
その言葉だけが、妙に耳に残った。
そして夢はそこで切れた。
◇
翌朝。
「起きてください」
「むり」
「起きてください」
「むり」
「起きてください!」
「むり……」
リゼルは無言で資料の束をトワの顔の上に落とした。
べしっ。
「痛っ!」
「会議です」
「朝から!?」
「昨日の続きです」
「帰りたい……」
トワは布団の中でしばらくじたばた抵抗したが、結局リゼルに引きずられるように会議室へ連行された。
廊下を歩きながら、ふと夢のことを思い出そうとした。何かを見ていた気がする。誰かがいたような気もする。でも、そこで記憶はぼんやりと途切れてしまった。
「……なんだっけ」
「どうしました?」
「いや、なんでもない」
⸻
会議室には、昨日よりもさらに多くの人が集まっていた。
職人たち、騎士、技術局の職員。そして部屋の中央には、巨大な王都地図が机いっぱいに広げられている。昨日の実験結果が、赤・青・黒の印でびっしりと書き込まれていた。
リゼルが地図を指差した。
「これが昨日の調査結果です。赤は良好、青は反響、黒は音が届かない場所です」
トワが身を乗り出して地図を覗き込んだ。
「多いなぁ……」
「多いですね」
予想以上だった。
王都は広い。中央広場を中心に街が広がり、それを囲む巨大な城壁。高い建物、入り組んだ住宅街、人で溢れる市場、空へ伸びる鐘楼——街は決して平らではなかった。
クロウが腕を組んでため息をつく。
「当然だ。街は平面じゃない。障害物だらけだ」
「音が思った通りに飛ぶ方がおかしいんですよ」
リュナは首を傾げた。
「でも音って、勝手に広がるんじゃないの?」
リゼルが丁寧に説明する。
「音は広がるだけではありません。反射もすれば、重なりもします。場所によっては強くなったり、逆に打ち消し合ったりするんです」
リュナは途中で理解を諦めた顔になった。
「難しい……」
「難しいです」
リゼルも素直に頷いた。
ただ一人、トワだけが目を輝かせていた。
「面白い!」
その様子を見てクロウが呆れたように肩を落とす。
「お前は本当にそういうやつだな」
会議が終わると、すぐに本格的な調査が始まった。
中央広場、市場、住宅街、鐘楼、城壁周辺——王都各地に騎士たちが配置され、昨日作った試験音源を流しては聞こえ方を確認していく。
報告が次々と持ち帰られてきた。
「北区画は問題なし!」
「東区画で反響しています!」
「西側は音量が足りません!」
「市場周辺は雑音が多くて聞き取りづらいです!」
報告があるたびに、地図へ新しい印が追加されていく。
「ここもか……」
リゼルが印を付けながら呟く。その横では職員が報告書をまとめ、別の机では職人たちが地図を囲んで熱心に議論を交わしていた。
気付けば会議室中の机が資料で埋まり、人の出入りも絶え間なくなっていた。もはやただの結果整理ではなく、大規模な研究会議の様相を呈していた。
クロウはその光景を眺めながら、ぽつりと漏らした。
「懐かしいな」
「昔もこうでしたね」
クロウの顔が一瞬だけ嫌そうに歪んだ。
「思い出させるな」
「研究棟半壊事件ですか?」
「違う」
「研究棟全焼事件ですか?」
「違う」
「どれです?」
「全部だ」
リュナが動きを止めた。
「何回やったのよ……」
「聞くな」
夕方になり、ようやく調査結果が一通りまとまった。
机いっぱいに広げられた地図には、無数の印と書き込みが加わっている。東区画の反響、市場周辺の聞き取りづらさ、西側の音量不足——各地の特性が一枚の地図に落とし込まれていた。
職人の一人が頭を抱えた。
「こんなに偏るのかよ……」
「これ全部直すのか?」
リゼルは即答した。
「はい」
「無理だろ……」
「頑張ってください」
会議室のあちこちから深いため息が漏れた。
議論は続いていたが、解決策は簡単には見つからない。
「西側は出力を上げればいいんじゃないか?」
「いや、東区画の反響がさらに悪化するぞ」
「配置の問題かもしれん」
そのとき、トワが地図をじっと見つめたまま口を開いた。
「どうした?」
クロウに聞かれ、トワは中央広場を指差した。
「これさ。音出してるの、ここだけだよね」
会議室が静かになった。
トワの指は中央広場を指している。
リゼルが地図へ目を落とした。
「……なるほど」
クロウも眉をひそめる。
「そういうことか」
リゼルが小さく呟く。
「……なるほど」
クロウも腕を組んだ。
トワは首を傾げながら言った。
「一台で足りないなら、増やせばいいんじゃない?」
職人たちが一瞬、言葉を失った。
数秒後、誰かが力なく呟いた。
「また作るのか……」
「簡単に言ってくれるな」
「今ので十分大仕事だったんだぞ」
不満は出る。
だが反対意見は出なかった。
誰もが薄々分かっていたからだ。
クロウは椅子にもたれ、深いため息を吐いた。
「……仕事が増えたな」
職人たちも揃って肩を落とした。
一方でトワは、すでに次の配置を考え始めていた。




