王都全域劇場計画
沈黙は、一瞬だった。
だが、その一瞬はやけに長く感じられた。
ホールには、まだ演奏の余韻が残っている。
つい先ほど再生された音。
本来なら消えているはずの旋律が、まるで石壁に貼り付いているかのようだった。
誰もが、その現実をまだ受け入れ切れていない。
そんな空気の中で。
レオンハルトが静かに口を開いた。
「……もし」
その一言で、全員の視線が集まる。
王はゆっくりとホールを見渡した。
高い天井。
整然と並ぶ石柱。
王国最高峰の演奏家たち。
そして、まだ興奮の冷めやらぬ空気。
「この音を」
レオンハルトは穏やかな声で続けた。
「王都中に届けられたら、どうなる?」
空気が止まった。
指揮者の表情が強張る。
楽団員たちが息を呑む。
リュナの指先がぴくりと動いた。
クロウの目が細くなる。
(来るな)
そう思った瞬間には、もう遅かった。
トワが顔を上げていた。
数秒。
沈黙。
そして。
その目が輝く。
嫌な予感しかしない輝きだった。
「え」
少し前のめりになる。
「それ」
さらに身を乗り出す。
「めっちゃ面白そう!!」
クロウが即座に言った。
「やめろ」
反応が早い。
あまりにも早い。
だがトワは止まらない。
「いやでもさ!」
「王都のどこにいても演奏聴けるんだよ?」
「面白くない?」
「面白いかどうかで決めるな」
「面白いじゃん」
「そこが問題なんだ」
リュナは額を押さえた。
「もう止まらない顔してる……」
指揮者が低く呟く。
「正気か」
レオンハルトは楽しそうに笑った。
「正気だ」
そして付け加える。
「だから面白い」
クロウは深いため息を吐いた。
嫌な方向へ話が転がり始めている。
それだけは確信できた。
◇
その時だった。
リゼルが一歩前へ出る。
「王都規模で行うのであれば、相応の仕組みは必要になるでしょう」
淡々とした声だった。
ホールの空気が少しだけ変わる。
全員の視線が集まる。
リゼルは冷静に続けた。
「今のままでは難しいと思います」
「ですが、不可能だと断言できる段階でもありません」
クロウが眉をひそめた。
「随分と曖昧だな」
「録音機を見る前なら、不可能と言いました」
リゼルは淡々と答える。
「ですが、今は分かりません」
誰も反論できなかった。
ほんの数十分前まで。
音を残すこと自体が不可能だったのだから。
◇
だが。
トワはもう別のことを考えていた。
視線はホール全体を見回している。
天井。
壁。
柱。
出口。
空間そのものを観察するように。
「……なるほど」
小さく呟く。
リゼルが反応した。
「何か思いついたんですか?」
「うん」
トワは頷く。
「こういう場所が必要なんだ」
「こういう場所?」
「音が集まりやすい場所」
トワはホールを見渡した。
「全部をここでやるんじゃなくて」
「一回まとめる場所」
「そんな感じ」
リゼルは少し考え込む。
理論としては理解できる。
だが実現方法は全く見えない。
クロウは理解を放棄した。
「お前の頭の中どうなってるんだ」
「音でいっぱい」
「聞いた俺が悪かった」
◇
レオンハルトは二人のやり取りを楽しそうに眺めていた。
そして、ふとホール全体を見渡す。
王都最大級の演奏空間。
最高の演奏家たち。
そして常識外れの発明家。
王は静かに言った。
「面白いな」
誰も口を挟まない。
レオンハルトは続ける。
「もし実現できれば」
少しだけ間を置く。
「王都そのものが劇場になる」
その言葉に。
ホールの空気が変わった。
市場でも。
広場でも。
城壁の近くでも。
同じ演奏が聴こえる。
そんな光景を、誰もが一瞬だけ想像してしまった。
トワの目がさらに輝く。
「それやる」
クロウが即答した。
「やめろ」
「なんで!?」
「絶対面倒なことになる」
「まだ分かんないじゃん」
「分かる」
即答だった。
リュナは天井を見上げる。
「また始まった……」
リゼルは静かに目を閉じた。
発想は無茶だ。
理論も未完成だ。
具体的な方法など何一つ見えていない。
だが。
目の前の少年は、録音機も不可能と言われながら作ってみせた。
だから厄介だった。
レオンハルトは満足そうに笑う。
「では決まりだな」
「決まってない!」
クロウの叫びがホールに響く。
だが誰も聞いていなかった。
ホールの空気は、もう元には戻らない。
音はまだ王都へ届いていない。
計画も存在していない。
それでも。
この日、この場所で。
王都放送へ繋がる最初の種だけは、確かに蒔かれていた。




