「げっ! 師匠!」
平原に風が吹いていた。
――本来なら。
青々とした草原が、地平線の果てまで広がっているはずだった。
しかし今、その景色は見るも無惨な有様だった。
特に酷いのは前方だ。
巨大な扇を広げたように草が消え、土がむき出しになっている。
ところどころ地面が抉れ、小動物たちは気絶していた。
遠くでは魔物たちが、猛スピードで逃げ惑っている。
まるで、とんでもない災害から逃げるように。
実際、それは災害そのものだったのだが。
⸻
そして、その惨状の中心に
当の本人がいた。
⸻
「んー……」
男はノートを広げ、真剣な顔で何かを書き込んでいた。
紙いっぱいに走る数式らしきものと、意味不明な図面。
彼の名はトワ。
今まさに、この異常事態の“原因”その人だった。
「やっぱ高域がちょっと暴れるなあ……」
「でも低音の飛び方はかなり良かった気がする」
「もっと遠くまで綺麗に飛ばせそうなんだよなー」
完全に研究モードだった。
周囲の惨状など、もう視界に入っていない。
「いやー、惜しい」
トワは立ち上がり、巨大な木箱――自作のスピーカーを見上げた。
満足そうでありながら、少し悔しそうな顔。
「もう一歩なんだよなあ」
「なんか“うおっ!”ってなる感じが、あと少し足りない」
そんな時だった。
ぞわり。
背筋に冷たいものが走った。
嫌な予感。
ものすごく嫌な予感。
覚えのある感覚。
「おい……」
低い声が、後ろから響いた。
トワの肩がぴくっと跳ねた。
恐る恐る、ゆっくり振り向く。
そして固まる。
「……げっ」
そこに立っていたのは、ローブを纏った女性だった。
クロウ――トワの師匠だ。
無表情。
だが、その静かな眼差しだけで分かる。
かなり怒っている。
一番怖いやつだった。
「師匠!?」
声が裏返った。
沈黙が降りる。
風だけが、禿げた平原を吹き抜けていく。
クロウはゆっくりと周囲を見回した。
草原だった場所。
気絶した動物たち。
逃げ惑う魔物の影。
巨大な謎の装置。
そして最後に、弟子の顔へ視線を戻す。
「……これは、どういうことだ?」
静かな声。
めちゃくちゃ怖い。
トワは露骨に目を逸らした。
「えーっと……」
ほんの少しだけ考えて、
「テスト?」
沈黙。
クロウのこめかみがぴくりと動いた。
「テストで草原を更地にするな」
トワは頭を掻き、少しだけ気まずそうな顔をした。
「いやー……思ったより音がデカかったんだよね」
「新型だったんで、つい」
「“つい”で済ませるな」
トワは慌てて巨大装置を指差した。
「いやでも今回かなり良かったんですよ! 低音がすごくて!」
「え、そんな騒ぎになってるんですか?」
クロウの眉がぴくりと動く。
「届いている」
「王都が大騒ぎになっている」
「魔族の襲撃か、大規模魔法災害かと軍まで出動しているぞ」
数秒の間。
トワが止まる。
「……え」
ちょっと目が輝いた。
「え、マジ?」
「嬉しそうな顔をするな!!」
トワは慌てて手を振った。
「いや違う違う! でも、ちょっとすごくないですか?」
しゃがみ込み、スピーカーをぽんぽんと叩く。
反省より先に興味が先走る。
いつもの顔だった。
「王都まで届いたんですよね?」
「ってことは、ちゃんと飛んでるってことだ」
少しだけ真面目な顔になる。
「せっかく良い演奏でも、前の人しかちゃんと聴こえないって、もったいないじゃないですか」
「後ろの人までちゃんと届いたら、もっと沢山の人が楽しめると思うんだよなー」
風が吹き抜ける。
説得力があるのかないのか微妙な理屈。
クロウは少しだけ黙った。
理解はできない。
毎回意味不明だ。
だが、こいつがこういう時だけ妙に真っ直ぐなのも知っている。
だからこそ、余計に面倒くさい。
怒り切れないし、放っておけない。
(……もう本当に師匠を辞めたい)
本気で、心の底から思った。
だが無理だった。
こいつを野放しにすれば、次は街か、城か。
最悪――国が滅亡する。
そんな確信があった。
(何故こんなやつを弟子にしてしまった……)
深い、人生に疲れ果てたため息が漏れた。
「……それで草原を更地にするな」
「今回は事故!」
「毎回言っている」
「今回はほんと!」
「毎回言っている!!」
その時、遠くから声が響いた。
「いたぞ!! こっちだ!!」
騎士団だ。
思ったよりかなり近い。
土煙が上がっている。
トワの顔が引きつる。
「……あ」
クロウは即座に判断した。
巨大スピーカー。
馬車サイズのアンプ。
大量の配線。
置いていけば絶対に面倒なことになる。
「ゴーレム!! 撤収!!」
地面が盛り上がり、無骨な土の人形たちが一斉に動き出した。
巨大設備を手際よく解体・回収し始める。
異様に慣れた動きだった。
嫌な慣れ方だ。
「えー、でももうちょい測定――」
「黙れ!!」
「はい」
即答だった。
――
数分後。
騎士団が到着したとき、そこに残っていたのは禿げた平原。
気絶した動物たち。
そして巨大災害の痕跡だけだった。
騎士団長が呆然と呟く。
「……何が起きた?」
まだ、誰にも分からない。




