「音は武器か」
「……“声”も残せるんですよね?」
リゼルの問いは静かだった。
だが、その一言が落ちた瞬間、ホールの空気が変わった。
さっきまで楽団員たちは録音された演奏に驚き、興奮し、子供のように音の箱を囲んでいた。
失われるはずの演奏が残る。
何度でも聴ける。
それだけでも十分に常識を覆す技術だった。
だが、リゼルが見ているのは別の場所だった。
音楽の先。
技術の先。
その可能性だ。
トワはそんな空気の変化など気にも留めず、いつも通り頷いた。
「うん」
軽かった。
あまりにも軽かった。
だが、その一言で楽団員たちの表情が変わる。
ざわり、と空気が揺れた。
「声だと……?」
「冗談だろ」
「人の声まで残せるのか?」
「命令も再現できるのか……?」
戸惑いと警戒が混じった声が広がっていく。
録音された音楽は驚きだった。
だが録音された“声”は話が違う。
指揮者がゆっくりとトワを見る。
その目は、さっきまでとは明らかに違っていた。
音楽家の目ではない。
もっと現実的で、もっと重い視線。
警戒だった。
「……それは」
低い声がホールに落ちる。
「音楽では済まない話だな」
トワは首を傾げた。
「え?」
本気で分かっていない顔だった。
リゼルが静かに口を開く。
「軍事利用が可能です」
場が止まった。
誰も言葉を挟まない。
リゼルは淡々と続ける。
「王命の伝達」
「遠距離での指示」
「諜報活動」
「証言の記録」
静かな声だった。
だが並べられる言葉は一つ一つが重い。
研究者の声だった。
感情ではなく、可能性を数えている。
「場合によっては群衆誘導もできます」
「演説を記録し、何度も流すことも可能でしょう」
「思想や情報そのものを広げる手段になります」
リュナが少し目を見開く。
そこまで考えたことはなかった。
音楽を残せる。
それだけでも十分すごい話だったからだ。
「……そんなことまで?」
「できます」
リゼルは即答した。
そして確認するようにトワを見る。
「できますよね?」
「うん」
また軽かった。
クロウが深く息を吐く。
本当に嫌そうだった。
「……終わったな」
小さな声だった。
だがその一言には妙な説得力があった。
指揮者がゆっくりと言う。
「つまり」
静かなホール。
誰もが次の言葉を待っていた。
「音は武器になる、と」
誰も否定しなかった。
王命を遠くへ届ける。
軍を動かす。
情報を残す。
人々を導く。
それは確かに武器になり得る。
音楽家たちでさえ、その可能性を理解していた。
だが。
当の本人だけが違った。
トワは困ったように頭を掻いた。
「えー……」
少し考える。
そして首を傾げた。
「音楽だけど?」
沈黙。
誰も反応できなかった。
冗談ではない。
誤魔化しでもない。
本気でそう思っている顔だった。
リュナがぽつりと呟く。
「悪気がないのが一番怖い……」
誰も否定しなかった。
その時だった。
「なにやら、面白い話をしているな」
不意に後ろから声が響いた。
全員が振り返る。
ホールの入口。
そこに一人の男が立っていた。
年齢は五十代ほど。
深い赤を基調とした上質な衣服を身にまとい、その後ろには数人の護衛が控えている。
派手な威圧感はない。
だが、その場に立つだけで自然と人の視線を集める。
長く人の上に立ってきた者だけが持つ空気だった。
そして。
その姿を見た瞬間。
楽団員たちが一斉に膝をついた。
「陛下」
空気が変わる。
リュナが小さく息を呑んだ。
「え……王様?」
男――レオンハルトは気軽な様子でホールへ入ってくる。
王というより、興味深い見世物を見つけた観客のようだった。
そして、真っ先にクロウへ視線を向けた。
少しだけ目が細くなる。
「久しいな、クロウよ」
沈黙。
クロウは露骨に嫌そうな顔をした。
「……会いたくなかった」
即答だった。
空気が固まる。
リュナが横で目を剥いた。
(そんな態度あり!?)
だがレオンハルトは笑った。
むしろ楽しそうだった。
「まさかお前がここに現れるとはな」
「どういう風の吹き回しだ?」
クロウは短く答える。
「巻き込まれただけだ」
「お前は昔からそう言う」
レオンハルトは呆れたように笑った。
「そして大抵、お前が原因だ」
トワが小声で聞く。
「え、師匠そんな人だったの?」
「そんな人です」
リゼルが即答した。
クロウの眉がぴくりと動く。
レオンハルトは懐かしそうに続ける。
「研究棟を半壊させた時もそうだったな」
「“事故だ”と言い張っていた」
リュナの動きが止まる。
「……半壊?」
トワも止まる。
「え?」
クロウは顔をしかめた。
「事故だ」
レオンハルトが即答する。
「三回目まではな」
沈黙。
トワがぽつりと呟いた。
「……師匠も爆発させてたんだ」
リュナも続く。
「血筋じゃなくて師弟だった」
「おい」
クロウの声だけ低かった。
だが否定はしない。
レオンハルトは肩を揺らして笑った。
「本当に掴みどころのないやつだった」
「命令も聞かん」
「勝手に研究する」
「挙げ句の果てに突然いなくなる」
クロウは短く返す。
「面倒だった」
「王都がか?」
「人間関係がだ」
即答だった。
リゼルが小さく肩を落とす。
「相変わらずですね……」
レオンハルトはそこで視線を変えた。
テーブルの上に置かれた録音装置。
音を残す箱。
そしてそこから流れる宮廷音楽。
未知の技術。
未知の可能性。
王はゆっくりと近づく。
音へ耳を傾ける。
ホールは静まり返っていた。
誰も喋らない。
ただ録音された演奏だけが空間を満たしている。
しばらくして、レオンハルトの表情が少し変わった。
驚き
興味
そして、何かを思いついた顔。
「……これは面白い」
リゼルが即座に言う。
「危険です、陛下」
「非常に危険です」
レオンハルトは笑った。
「だから面白いんだろう」
クロウが即答する。
「ろくなことを考えてない顔だ」
レオンハルトは否定しなかった。
むしろ楽しそうだった。
再び音へ耳を傾ける。
少し考える。
それから、ぽつりと言った。
「欲しいな」
沈黙。
クロウが即答する。
「やめろ」
「まだ何も言っておらん」
「言う前から分かる」
レオンハルトは肩をすくめた。
そしてホール全体を見渡す。
高い天井
響く音
録音された演奏
誰も聞いたことのない技術
ゆっくりと口を開く。
「……もし」
全員の視線が集まる。
「この音を、王都中に届けられたらどうなる?」
止まる。
トワが顔を上げた。
数秒。
沈黙。
そして。
目が輝いた。
嫌な予感しかしない顔だった。
「え」
少し前のめりになる。
「それ」
さらに身を乗り出す。
「めっちゃ面白そう!!」
クロウが即答する。
「やめろ」
リュナは額を押さえた。
「もう止まらない顔してる……」
リゼルは静かに目を閉じる。
王は楽しそうに笑っている。
トワの目は完全に輝いている。
そしてクロウだけが頭を抱えていた。
(……王都が壊れる)
リゼルの脳裏に浮かんだのは、その確信だけだった。




