「秘密」
夜。
森は静かだった。
風が木々を揺らす音と、遠くで鳴く虫の声だけが辺りに響いている。
昼間の騒ぎが嘘だったみたいに、森はすっかり落ち着きを取り戻していた。
家の中も珍しく静かだ。
トワは相変わらず地下工房にこもっている。
「あとちょっとだけ!」
そう言い残して消えてから、もう数時間。
クロウは止めることを諦めていた。
客間では、リュナがなかなか眠れずにいた。
知らない森。
知らない家。
そして、あの二人。
変な木箱。
変な音。
変な人。
思い返すほど変なことばかりだった。
それなのに、昼間の演奏だけは妙に頭から離れない。
自分の音が、いつもより遠くまで届いた感覚。
トワの言葉。
『もっと沢山の人が“おおっ”ってなった方が楽しい』
意味不明なことを言う人だと思った。
けれど。
少しだけ、その気持ちが分かる気もした。
ドゴンッ!!
突然、地下から鈍い音が響く。
続いて聞こえてきたのは聞き慣れた声だった。
「いったぁぁ!?」
リュナは無表情のまま呟く。
「……やっぱ変」
喉が渇いて部屋を出る。
その時だった。
ふと、音が聞こえた。
弦の音。
静かで優しい旋律。
聞き覚えのある音だった。
リュナの足が止まる。
(……これ)
音を辿るように廊下を歩く。
辿り着いたのはリビングだった。
扉が少しだけ開いている。
中にはクロウがいた。
椅子に深く腰掛け、静かに目を閉じている。
その目の前には、小さな木箱。
淡く光りながら音を鳴らしていた。
そして流れていたのは――
リュナ自身の演奏だった。
リュナは固まる。
(……え?)
間違えるはずがない。
弾き方の癖。
少し急ぎ気味になるテンポ。
間違えかけた箇所まで全部同じだった。
けれど今、自分は弾いていない。
「……何してるの?」
その言葉に、ぴたりと音が止まった。
クロウの肩が僅かに固まる。
ゆっくり振り返った。
「……見たか」
「それ……私の音?」
少し沈黙が落ちる。
クロウは視線を逸らした。
「あいつが、後で聴けるようにしたらしい」
「後で?」
「知らん」
即答だった。
「本人に聞け」
リュナは木箱へ視線を向ける。
意味が分からない。
でも、自分の音がそこにあった。
昼に弾いたはずの音が、今この場所で鳴っている。
不思議な感覚だった。
そして――少し嬉しい。
クロウがぼそりと呟く。
「悪くない音だ」
リュナが目を瞬かせる。
「……私の?」
「木箱越しでも、ちゃんと音楽になってる」
ぶっきらぼうだった。
それでも褒めているのは分かる。
不器用な言葉だった。
その時。
後ろから声がした。
「お、何してんの?」
トワだった。
状況を見て、一瞬で理解する。
木箱。
クロウ。
リュナ。
そして、にやりと笑った。
「……違う」
クロウが即答する。
「師匠また聴いてる」
「違うと言っている!!」
「でも消してないじゃん」
沈黙。
リュナは思わず吹き出した。
少しだけ。
本当に少しだけ。
この家も悪くないかもしれないと思った。




