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08:意志

 僕も「奴」も肉体的、精神的にボロボロだった。まず、我先にと銃を握ろうとするのだが、互いに手に力が入らず持つことすらままならないのだ。次いで、俯せのまま踠いている。何とも醜い「戦争」であるが、この戦いにおいては正に先手必勝。もし、僕も「奴」も銃で撃たれたのに死ななかったことが偶然ならば、次で勝負は決する筈なのだ。






 結果、イニシアチブを取ったのは僕だった。数秒の差で「奴」より速く銃を構えることに成功したのだ。逸る心をよそに、意識を落ち着かせようと深呼吸をする。が、手の震えは止まらない。しかし何しろ敵は目の前である。僕は少しでも手の震えを抑えるためにグリップを地面に突き立てた。「奴」も同様の動きをしようとしたが―――遅い。



 僕は無言で「奴」の頭を撃ち抜いた。数秒遅れて「奴」の額から血が噴き出した。


 噴き出す血を呆然と眺めながら。僕は軽い懺悔の感情に苛まれた。とはいっても、所詮軽微な偽善感情であるらしく、さっと脳裏を掠めては消え去っていった。




 ところで、僕は何をすべきなのだろうか。骸骨の敷き詰められた真っ黒な空間で。人らしき存在は僕と「奴」のみである。考えても考えても理解のしようがない状況下、僕は精神的にも肉体的にも立ち上がれそうになかった。

 ひとまず、ここまでの経緯を脳内で綴ることにした。まず、生きていることが嫌になった僕は学校の屋上から飛び降りた。すると、重力が逆転したかのように「反対向き」に落ちていった。その影響を受けたのは僕だけではないらしく、恐らく地球全体から物や人が投げ出されていた。僕の父もその例外ではなかった。そして僕はカラフルな三角形状の薄っぺらい物体を纏いながら、長い間宇宙空間を「落下」した。結果、ここへと辿り着いた。どうやら三角形は形……。……。

 何かがおかしい。脳が動かない。「思考」ができないのだ。朧げな苦しさの中、視界に映ったのは銃を構えた「奴」だった。「奴」は最早人間の眼をしていなかった。苦痛と憎悪の混ざった獣のような眼だった。恐らく……。恐らく撃たれたの……だろう。動かない脳で曲がりなりにも理解した。


 苦痛が僕を襲う。「痛み」や「気怠さ」を超越した、概念的な「苦しみ」が容赦なく僕を呑み込んでゆく。

 ここまで苦しいのなら、いっそ殺して欲しい。もう……もう嫌だ。



 嗚呼、苦しい。言葉にならぬ嗚咽。滴る血液で視界は赤く染まっている。湿った生暖かい額にそっと手を当てると、案の定、傷口は完全に塞がっていた。けれど……。虚しい。痛みの大きさはとうに精神限界を越えていて、体の感覚はなくなり寂然と「虚しさ」に支配される。ずるずると僕の感情が「無」、「虚無」へと吸い込まれていく。これこそ「死」なのだろう。意識が朦朧としていく。生気の尽きた僕の瞼は無意識のまま閉まっていき、真っ赤な視界を黒い暗闇へと導いた。


 暗闇の中。ぼんやりと声が聞こえ始めた、というより「概念が呼び掛けてくる」といった方が正確であろうか。宛らSF小説のテレパシー会話のようだ。幾多の種類の声。それら個々に感情が強く、深く籠っていて「心」へと訴えかけてくる。


「苦しい」


「死にたくない」


「許さない」


「いつか……必ず」


「栄光あれ」


「なんで俺のせいで」


「目には目を。歯に歯を」


「怖い」


「もう……信じない」


「痛い」


「これで何度目だ」


「無駄だったな」


「死にたい」


「あのね。お父さんはね……」


「助けて。お願い」


「私の命は……」


「全ては王のために」


「死ねばいいのに」


「守るんだ」


「明日が来なければいいのに」


「あいつのせいで」


「皆んなはいいよね」


 衝撃。宙ぶらりんの心が揺さぶられる。自我は既に崩壊寸前である。

 押し留められぬ憎悪、憤怒、悲愴の中で。僕は、本当に僕だと言えるのだろうか。感情、感覚が徐々に浸食されていくのが分かる。気が狂いそうだ。息も絶え絶え、必死の深呼吸も殊の外、役に立たないらしい。


 僕の中に違う「何か」いるような感覚。脳中の葛藤。操られるように、痺れの引いた右手で咄嗟に銃を掴む。瞬時、飛び出す幾つかの「感情」。


「奴を殺せ」


「戦いは無意味だ」


「怖い」


「人殺し」


「君は正しい」


「止めて」


「あんな奴死ねばいい」





「もう黙ってくれ! 五月蝿い!」


 口から出たのは、そんな言の葉だった。他人の意思なんて関係ない。人なんて懲り懲りだ。戦っているのは「僕」だけじゃない。そんなことは分かっている。だが、これは「僕」の戦いなのだ。感情の檻で悶えながら、僕は思考を加速させる。

 確かなこと。先程僕は憎悪と嫌悪の狭間で「奴」を撃った。程なく「奴」の傷口は塞がり、直後、「奴」は僕を撃ち返したものの、僕もまた傷口が塞がった。繰り返しである。

 恨み合い、憎み合い、愛なんてなく傷つきながら、耐えながら。終わらぬ命を散らすことのない争い。この戦いに意味はあるのか? いや、意味を求めることこそ無意味であろう。だが……このままでいいのか? 繰り返される殺し合い。感情の、欲望のままの行動。

 罰を受けるのは誰だ? 無論、僕であろう。僕は「奴」を、「僕」を傷つけた。僕の罪だ。「奴」は悪くない。

 人がそこにいる限り、争いは終わらない。終わる訳がない。終わらせるために。「戦う」には何かしらの「武器」が必要だ。だが、それで傷つけ殺し合ったって終わりは来ない。戦うべきは、殺すべきは「奴」か? いや、僕だ。


 僕は殆ど衝動的に立ち上がった。痛みなんて気にもならなかった。仰向けで呆然とする「奴」をよそに、僕は僕のこめかみへと銃口を当てた。


「これで……終わりだ!」


 そっと引き金を引いた。乾いた銃声が暗闇へと響く。

 案の定というか、何というか。痛みは治らない。傷も癒そうにない。気を失いつつある中で。横たわる僕を、白い白い暗闇をも包み込むような光が覆っていく気がした。

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