03:崩壊
七月半ば、太陽は厳しく僕を照りつけた。
いつの間にか手の震えは消えていた。
そして、そして僕はゆっくりと深呼吸し—————手を離した。
「おい! だっ、誰か!」
作業着の男が力一杯叫んでいるのが見えた。が、はっきりとは目に映らない。
僕は今、凄い速度で急降下しているのだ。もう地面はすぐそこにある。
——止まった。僕の体は今空中に逆さ向きで静止している。まるで透明な糸で宙吊りにされている気分だ。
意味が解らない。全くもって理解できない。 僕は死んだのだろうか。
考える間も無く、視界がぼやけていく。全ての物の輪郭が、二重、三重に見える。
と、何処からともなく薄いペラペラとした、手の平の大きさから、僕より大きなものまで、大小様々でカラフルな平面状で三角形の形をした何かが無数に現れた。
その無数の三角形状の何か、の数十個程度が僕を取り囲んで僕と落下していく……と言うより、昇っていく。そこで気付いた。
重力が逆になっている!
僕はゆっくりと「落下」していく。
どうやら地表から「投げ出された人」は、僕だけではないようだ。沢山の人や物が、目の前で宇宙へと「落下」していく。ただ、不思議なことに、三角形状の「何か」は無数にあるのに、それが纏わり付いているのは「僕だけ」なのだ。そして僕だけが異常なまでに、落下速度が緩やかである。この三角形が僕を「守ってくれている」ような錯覚さえ生じた。
——また止まった。どうやら僕に纏わり付いていた三角形の一つ、丁度両足が乗る程度の大きさのものが空中に静止し、足場となったようだ。
硝子の破片、花瓶、電柱、屋根、叫ぶ人々……様々な物と人々とが四散する、異様な光景の中、僕は一人考えていた。
結局のところ、『僕は死んだのだろうか』だ。それが重要なのだ。僕は決して幻影を見ている訳がなく、夢を見ている訳でもない、仮にそうだとしたら、意識が違和感なくはっきりし過ぎている。するとこれは死後の世界なのだろうか。死ぬとこうなるのだろうか。それとも、まず、これまでの十六年間の人生「そのもの」が夢だったのではないか?
考えれば考える程思考は堂々巡りを続け、収束しそうにない。
そして、降ってきた。いや降ってきている。前書のとおり、人は雨のように降り注いでいる。だが、違う。遠目でもはっきり分かる。眼鏡をかけ、皺一つ無い黒いスーツを着た中年の男性——間違いなく、僕の父親であった。
何故、僕はこうも単純なのだろう。妙に落ち着いていた小さな体は、わなわな震え始めた。つい先ほどまで何十人、いや、何百もの人が落ちてゆこうとも気にも留めなかった。しかし、父を見つけた瞬間、父を『助けないと!』、『どうにかしないと!』といった感情がふつふつ湧いてきた。
父は僕の五メートル程先を、かなりの速さで街から落ちてきている。もう通り過ぎそうだ。瞬時、受け止めようと足場の三角形から飛び込んだ。が僕の勇気も空しく、貧弱な右腕は空を掴んだだけだった。一方、父は僕に気づく素振りも見せず、只々大気圏のその先、宇宙の深淵へと消えていった。同時につい先程まで乗っていた足場の三角形が、ペラペラしていた時とは様子を変え、固形物の様に固まり、ピシピシと音を立てて砕け散った。
「っ!」
足場をなくした僕の体は不自然に傾き、また穏やかに落下していった。
もう僕は死んだ。死んでいなくたって「死んだ」のだ。




