02:亀裂
太陽は燦々と容赦なく照り付け、暖かな日差しは冷え切った僕の体を優しく包み込んだ。
気分も落ち着いてきた。ふと空へ目をやると、青雲の渡る澄み渡った空が広がっていた。いつも「下」しか見ていない僕にとって屋上は新鮮なものであった。
と、その時、
「こら!」
その一声で僕は我に返った。
使い古し、所々染みの付いた作業服の男が声をかけてきた。男は紙とペンを持って、屋上の換気扇の点検をしていたらしい。
男は続ける。
「こんな所で二度と遊ぶな。先生には黙っといてやるから屋上から降りなさい」
なるほど、確かにこの「状況だけ」を見ると、遊んでいる様に見えるのだろう。凄い勢いで飛び出してきた僕は鍵を閉め、そしてその鍵の掛かったドアからはドンドン、と殴る音が聞こえるのだから。
僕は重度の人見知りだ。でも、今助かるには言えるだけの事を言うしかない。覚悟を決めた。
「あ……あの」
駄目だ。喉まで来ている言葉達は、全てが一斉に出ようとしてどうも痞えてしまうらしい。
「言い訳は止しなさい。ほら、とっとと帰った」
「いっ……いや! ぼ……僕…僕は!」
「おい! いい加減にしろ!」
「そ……その、僕を……あいつらは…」
男はカチンときたらしい。眉根を吊り上げてこちらへと向かって来る。
「あ…貴方も、僕を虐めるんだろ!」
口から出たのは予想外の言葉だった。男も予想外の発言に驚き、暫しの間面食らっていたが、溜め息を一つついて、自分の持ち場へと戻り、点検を再開した。
引っ切り無しに聞こえたドアを叩く音もそこで止まった。「奴ら」は観念した末、
「明日! 明日覚えとけ!」
と、捨て台詞を残していった。
僕はもう、限界だった。この現状に。
僕の父は仕事で毎日忙しく、とても話を聞いてくれそうにはない。またいつも僕の味方だった母は数年前、病死している。学校の先生は、いつも困った眼で僕を見てくる。もう、誰も頼れない。誰も味方なんてしてくれないのだ。
もう限界なのだ。この小さな十六歳の体では。もう、こんなことならいっそ……
数年振りに高い所に来た僕の心には死への欲望が渦巻いていた。今すぐ消えてしまいたい。そう感じるのだ。錆び付いた柵に向かい、呆然と下を眺めた。放課後、部活に勤しむ先輩達が小さく見えた。
柵はかなり高く感じる。特に運動能力の低い僕には辛いものがある。しかし、火事場の馬鹿力とでもいうのだろうか。咄嗟に力が湧いてきて、軽々とまではいかないが、先ずは左足を力任せに柵の向こう側へと突き出した。あとは右足だけだ……と思っていると、
「おい、何をしている。お、おい…ちょっ、ちょっと待て!」
例によって作業着の男である。明らかに動揺しているのが見て取れる。が僕はその声を無視し、
「ふっ…はぁ」
なんとか右足も柵の向こう側へとやることに成功した。あとは両手を離すだけだ。
人間は、いざという時になって躊躇するものだ。臆病な僕の両手は、今になって柵に必死にしがみついてガクガク震えだした。
考えてみると、この短い人生、楽しいこともいっぱいあった。他愛の無い日々がいかに楽しかったかが、今になって痛いほど分かる。でも辛いことも沢山あった。特に、高校に入学してからのこの三ヶ月間は正に地獄の様な日々だった。思い出したくもない出来事の連続だった。
「もう……嫌だ」
もう覚悟はできている。怖くはない。だか、ただ、ただ虚しいのだ。ここで僕が死ぬと、明日の新聞にでも載るのだろう。そして、それを知った人々は他人行儀に『可哀そう』と御託を並べるのだ。
また、人々は僕を忘れていく。父親だって、いつまで生きているかは分からない。
そう、僕は二度死ぬのだ。それが言いようもなく虚しい。




