01:ひび割れ
飛び交う嘲笑、有無を言わせぬ圧力。今の立場から抜け出したいという焦燥だけが脳裏を覆う。ただ、抜け出せそうにはない。そう、今日だって……。
トイレから教室へと帰ってきた僕の目に映ったのは、撒き散らされた教科書の山だった。その教科書さえも、油性ペンで汚されまともに読むことはできそうにない。
「大丈夫」
自分に言い聞かせる。そう、いつもの事なのだ。教科書を買い直すのも三回目なので、もう気にもならない。
僕は虐められている。クラス全体から。「目をつけられた」だけで。気弱な僕は、始め、柄の悪い同級生に声をかけられ、言い返すこともできずに扱き使われていた。そして要求はエスカレートしていった。始めは買い物を頼まれる際には代金を受け取っていたが、だんだんと自腹になっていった。金の搾取はそれだけで終わらなかった。やがて、学校に来るだけでお金を取られた。お年玉も全て渡しきった。
結果、一文無しとなった僕を待っていたのは理不尽な嫌がらせ。彼らの不満の捌け口の「役」であった。誰も決して咎めはしない。捌け口「役」は一人で十分なのだ。
僕が慌てておどおどと教科書を拾い集めるのを尻目に、「奴ら」は容赦なく僕を思い切り蹴ってくる。蹴られる度にドサッと、僕の両手から集めた教科書が零れ落ちる。それを見た「奴ら」は、またケタケタと嗤っている。
僕は羞恥と憤りとで思わず叫び声をあげそうになった。いくら自尊心が削られたからといって、ゼロになった訳ではない。と、その時、授業の始まる合図、チャイムが鳴った。「奴ら」は、薄ら笑いを浮かべながら自分の席へと戻っていった。
三時間目、数学Ⅰの授業が始まった。担当の教師は特に驚いた様子もなく、一人席から立ち教科書を集める僕を、軽い侮蔑の混ざった様な視線でジロジロと見てくる。先生だって味方はしてくれない。どうせ厄介事に巻き込まれるのは真っ平御免なのだろう。
「起立」
「礼」
「お願いします」
学級代表の号令が終わっても、僕は未だ散らばった教科書を拾い集めていた。ようやく席に着いた頃には、授業はとうに始まっていて、黒板にチョークの当たる、カッカッ、という音だけが教室にぼんやり響いていた。
教科書を開く。汚れて読めない。内容を理解する前に認識できない。そればかりか見えるのは『馬鹿』、『消えろ』といった僕を蔑む文句ばかり。
ノートを開く。引き千切られていた。残っていた頁は二、三枚ほど。その二、三枚にすら所狭しと暴言が書き綴られていた。
「はぁ」
「奴ら」に聞こえないように、心の中で大きく溜め息をついた。
僕は元々、成績優秀とは言えないが、同年代の平均的な学力よりは少し上、どちらかというと勉強のできる生徒だった。だが「奴ら」の影響で、僕の成績は急降下した。こんな状況下、勉強に取り組める方がおかしいのだ。
休み時間が来る度、教科書やノート、筆記用具を投げられたり、盗られたり、捨てられたりしている内に、又僕がそれに怯えている内に今日の授業は終了した。
瞬時、僕は駆け出した。教室に居たって、きっと「奴ら」に殴られるからだ。
僕は、力の限り廊下を疾走した。突き当たり、踊り場へと差し掛かった時、ふと後ろへ身をやると「奴ら」は案の定追ってきていた。「奴ら」は血相を変えて追ってきている。そして僕の運動神経は「奴ら」の足下にも及ばない。が、僕には「先に教室から出た」というアドバンテージがあるため、少し時間を稼ぐことくらいはできそうだ。
「はぁ、はぁ」
もう僕はばてていた。体力のない僕はこの程度の運動が限界だ。しかし「恐怖」は凄い速さで追ってきている。踊り場で立ち止まる訳にはいかない。僕は迷った挙句、上へ上へと階段を上っていった。
僕の教室は二階にあるから、今頃は四階に着いた筈だ……と、少し数え違いをしたらしい。もう五階まで来ていた。最上階だ。そして目に映ったのは更に上への階段だ。普通、屋上への階段は固く施錠されているが、今日に限って施錠は解かれていた。清掃中か点検中か何かなのだろう。これを利用しない手はない。再び瞬時、躊躇した僕は、屋上へと進み始めた。
もう「奴ら」は近い。僕との距離も、もう七、八歩程だ。先に屋上へと上り詰めた僕は、咄嗟の判断で間一髪、屋上と階段とを繋ぐドアの鍵を掛けた。悔しそうにドンドン、とドアを殴る音は、屋上のコンクリートに反射し空へと放たれる。
僕は安堵して深く溜め息をついた。
のんびり書いていく予定です。
連載停止中の二作品は、このお話(20~30話程度の予定)が終わり次第再開しようと思ってます。




