メルボルンの博物館
ある日、匙は小学校の廊下の壁に、遠足の写真が貼られているのに気づいた。
子供たちが大きな骨の前で笑っている。ガラスケースには石や貝や古い道具。別の写真では、教師が地図を指し、子供たちは半分聞いて半分ふざけていた。
匙は写真を指した。
「これは何だ」
エミリーが答えた。
“Museum.”
「ミュー……ジアム?」
星船が横から解説した。
「博物館。古いもの、珍しいもの、自然物、人工物などを集め、保存し、展示する施設」
匙は顔をしかめた。
「ものを閉じ込めて、人に見せる家か」
「かなり雑に言えば、そうだ」
エミリーは首を傾げた。
“Sometimes boring. Sometimes cool.”
匙はこの説明を気に入った。
退屈な時もある。面白い時もある。かなり信用できる言い方だった。
******
その夜、星船に戻ると匙は言った。
「顔なし。博物館」
「候補多数。自然史、考古学、民族学、科学、美術、軍事――」
「ものを閉じ込める家」
「保存・展示施設である」
「閉じ込める家」
「……その側面はある」
匙は部屋の棚から、ファーブルにもらった虫眼鏡を取り上げた。
「虫じじいの虫も、博物館にはいるか」
「標本としている」
「死んだ虫?」
「多くはそうだ」
部屋の隅にある恐竜のぬいぐるみをちらりと見る。
「恐竜は」
「骨格、化石、復元模型」
「本物?」
「本物と復元部分が混在する場合がある」
匙は眉を寄せた。
「本物と偽物が一緒にいる家」
「表示されていれば――」
「一緒にいる」
星船は反論をやめた。
サルが言った。
「最初は自然史がよい」
強硬接触班三が表示する。
軍事博物館で鍋と武器の――
「だめだ」
民族学博物館で鍋を――
「あとで」
匙が顔を上げた。
「鍋の博物館もある?」
「ある」
「あとで行く」
サルは少し後悔した。
******
数日後、星船は匙を二十一世紀初めのオーストラリア、メルボルンに下ろした。
今日は小学校ではないが、だいたい同じ時代だった。
公園の木の向こうに黒と白の大きな建物が横たわっている。 その隣に古い大きな展示館の屋根が見えた。
匙はしばらくその建物を見た。
「倉にしては、人を入れすぎる」
「メルボルン博物館である」
「中のものは出さないのに、人は入れる」
「そうだ」
匙は少し考えた。
「変な倉」
匙は入口まで一人で歩いた。
星船の補正は最低限だった。 周囲には、保護者が館内のどこかにいる子供くらいに見える。
受付で入館券を受け取ると、匙は紙を裏返してしげしげと見た。
「これがないと入れない?」
「そうだ」
「門の許可」
「そう考えてよい」
匙はポケットに入れた。
博物館の中は広かった。
天井が高く、人の声が上へ抜けていく。
案内板には、恐竜、昆虫、地球、森、メルボルンの歴史の展示が紹介されている。
匙は迷うことなく恐竜の展示へ行った。
展示室に入った途端に、足を止める。
黒い天井の下に、大きな骨が立っていた。それも、一体ではなかった。
太い脚の骨。長い尾の骨。大きく開いた顎の骨。
匙の頭よりずっと高いところに頭蓋骨があり、その後ろにも別の骨が重なって見える。
高い天井の照明だけが、骨を明るく照らしていた。
「多い」
「複数種を展示している」
「墓みたいじゃない」
「どう見える」
匙はしばらく考えた。
「骨の森」
匙は一番大きな骨の下まで行った。
近くで見ると骨は一色ではなかった。濃い茶色もあり、薄い黄土色もある。
ところどころ、色も形も違う。
「全部、本物?」
「実物化石と復元部分を組み合わせているものもある」
「どれがどれ?」
「表示に説明がある」
匙は表示の英語をゆっくり読んだ。
「……本物と、作った骨が同じ体にいる」
「そうだ」
「本人は知らない」
「知らない」
骨になった恐竜は顎を開き、尾を伸ばし、今にも歩きそうな形に組まれている。
匙は、少し離れてそれを見上げた。
「これ、怒ってる」
「そう見えるか」
「口を開けて、前を向いてる」
「展示上、特徴が分かりやすい姿勢にしている」
匙は少し考えた。
「生きてる時は、もっと動いた」
「当然だ」
「飯も食った。止まった。横を向いた。寝たかもしれない」
「そうだな」
「ここだと、ずっと恐竜の顔をしてる」
「恐竜だからな」
匙は顔なしを睨んだ。
「そういう意味じゃない」
動物の展示室へ入ると、匙はまた止まった。
今度は部屋が白かった。壁も、床も、展示台も明るい。
その白い壁を動物が埋めていた。
鳥、カンガルー、ヤギのような獣、角のある獣、小さな哺乳類、猛禽、水鳥。
動物は高い棚にも、低い棚にも、ガラスの中にもいる。
匙は首を上げた。
「多すぎる」
「生物多様性を見せる展示である」
「死んだものを、たくさん並べて、多いと言ってる」
星船が少し黙った。
「……そういう見せ方でもある」
匙は棚の端から端まで見た。
「山みたい」
「何が」
「動物が」
白い壁の上に動物が段々に並んでいる。
上の方には鳥がいて、下には小さな獣がいる。大きなガラスケースの中では、カンガルーが立ったまま動かない。
「こいつも袋?」
「カンガルーである」
少し離れたところでは、子供が大きなタッチパネルを触っていた。画面の上で動物の写真が切り替わる。
匙はそれを見て言った。
「死んだ動物の横で、生きてるみたいに動かす」
「映像展示である」
「忙しい家」
昆虫の展示では、急に世界が小さくなった。
蝶は羽を広げたまま止まり、甲虫は脚を整えられ、小さなラベルが一匹ずつに付いている。
匙はファーブルにもらった虫眼鏡を出した。
「これは虫じじいと同じ?」
「標本という点では近い」
「でも全部止まってる」
「死んでいるからな」
匙は少し先で、生きた昆虫の展示を見つけた。枝の上で、一匹がゆっくり脚を動かした。
匙はそちらへ行った。
「こっちの方が虫」
「なぜ」
「勝手に動くから」
石の展示の部屋は素通りしかけた。
「石」
「鉱物、化石、隕石など」
「石だろ」
だが、隕石の展示を見つけると、少し立ち止まった。黒っぽい塊が、照明の下に置かれている。
「顔なしの石?」
「星船由来ではない。小天体から落下したもの」
「空の石」
「そうだ」
匙はガラスへ顔を近づけた。
「拾われた?」
「回収された」
匙は黒い塊を見た。
「拾われた石」
少し考える。
「私はガラスには入らない」
「入れない」
「嘘なら割る」
「入れない」
そのあと、匙は人間が昔使ったものの前で長く立ち止まった。
欠けた土器、石の刃、骨で作った針、黒くなった種、小さな飾りがガラスケースの中で展示されている。
「これは割れた鍋か」
「土器片。煮炊きや貯蔵などに使われた可能性」
「鍋の骨」
匙はガラスへ近づいた。
形は残っていないが、縁の曲がりと、火に焼けた色が残っている。
「これを使った人間は、腹が減ってた?」
「おそらく、そういう時もあった」
「飯を煮た?」
「可能性はある」
「誰が作った?」
「分からない」
「どこで使った?」
「それも、分からないことがある」
匙は少し黙った。
「分からないのに、ここまで来た」
「そうだ」
「強い」
「何が」
「鍋の骨」
匙がいちばん長くいたのは、触れる展示だった。
化石のレプリカ、動物の毛、持ち上げられる石、拡大して見られる虫の羽。
いろいろ触って遊んだあと、「子供向けコーナー」という表示に気づいて眉を寄せた。
「私は子供じゃない」
「初心者向けでもある」
「初心者でもない」
「恐竜展示については初心者である」
「うるさい」
そういいながら、匙はまたレプリカに触った。
石は重い。毛は柔らかい。歯の複製は尖っている。
「これは偽物?」
「複製である」
「触るため?」
「本物を傷めないため」
匙は歯をなぞった。
「偽物にも仕事がある?」
「ある」
匙はここでノートを出した。
Fake good if says fake.
(偽物だと言っている偽物は、よい)
少し考えて、下に書いた。
Bad if hides.
(偽物だと言わない偽物は、悪い)
******
帰る前、ミュージアムショップに寄った。
恐竜のぬいぐるみ、図鑑、鉛筆、石、ポストカード、化石の複製、発掘キット。クッキーやステッカー、ペンも売っている。
匙は眉をひそめた。
「死んだものを見せたあと、物を売る?」
「運営資金や教育普及にもなる」
「商売?」
「そうだ」
「なら分かる」
匙はそう言って、虫の絵が付いた小さなノートを取った。
「虫じじい用」
「ファーブルは既に――」
匙が睨んだ。
「呼ぶな」
「呼ばない」
「これは私が持つ。虫じじいを覚えるため」
「そうだな」
匙はノートを買った。袋はいらないと言って、そのまま胸に大事そうに抱えた。
******
星船へ戻ると、匙はノートに長く書いた。
Museum = house of kept things.
Bone dead. People make it stand.
Bug dead = easy to see.
Bug alive = more bug.
Sky stone = picked up.
Pot bone = maybe food.
Fake okay if says fake.
Shop = strange.
最後に、もう一行。
Face-no must not make me museum thing.
(顔なしは私を博物館のものにするな)
星船はノートを読まなかった。
匙が声に出した。
「顔なし。私を博物館のものにするな」
「しない」
「私が死んでも?」
星船内部が止まった。
「私の骨、立たせる?」
「しない」
「ガラスには?」
「入れない」
匙は少し考えた。
「ノートは?」
「どうしてほしい」
「まだ分からない」
「では、決めなくてよい」
「顔なしは勝手に決めるな」
「決めない」
匙はノートを閉じた。
「博物館は、悪い家ではない」
少し間を置く。
「でも、怖い家」
「そうだな」
「そのうち、また行く」
「次はどこへ」
匙は少し笑った。
「鍋の博物館」
強硬接触班三が表示しかけた。
――鍋展示候補
「うるさくするな。鍋は静かに見る」
「了解」
「でも、よい鍋なら叩く」
「展示物は叩かない」
「偽物なら?」
サルが言った。
「触れてよい展示なら、軽く」
匙はそれで満足した。




