↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
匙の世界線  作者: 灰神楽ねこ
第一部 星船の少女

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

14/41

間章 煬帝の星船視察

星船内部会議ログ:

強硬接触班三:「前回の愛新覚羅弘暦《アイシンギョロホンリイ》、後世呼称、乾隆帝《けんりゅうてい》への接触事案の反省を踏まえ、拘束ではなく招請の形式を取る」


地上観測班:「大規模政治組織の中心個体の招請は推奨しない」


強硬接触班:「短時間のみ」


生命影響班:「短時間、とは」


強硬接触班:「具体的には二時間程度」


サルが少し迷うように点滅した


サル:「観測は有益。よって、今回は暫時停止しない」


強硬接触班が明るくなった


強硬接触班:「では実施」


******


大業《たいぎょう》九年(613年)

隋帝国、江都《こうと》付近


煬帝(ようだい)は、水の上にいた。


大業の運河である。

北と南をつなぐ水の道。洛陽から江都へ、天下の富と人夫と怨嗟(えんさ)を流しながら掘らせた、彼の巨大な意思そのもの。


船は豪奢だった。

楼閣を載せ、絹を垂らし、音楽を響かせ、灯火を水に映した。水面には、皇帝の都が浮かんでいるようだった。


臣下たちは疲れていた。兵も疲れていた。民はもっと疲れていた。

だが煬帝は、それを天下統一の痛みだと思っていた。

天下は大きい。大きいものは、強い手でなければ一つにならない。


高句麗(こうくり)はまだ従わない。突厥《とっけつ》はまだ測りきれない。南は豊かだが、北とは違う顔をしている。貴族は古く、民は愚かで、官は鈍い。

だから道がいる。運河がいる。巡幸(じゅんこう)がいる。

皇帝が動くことで、天下も動く。煬帝はそう信じていた。


その夜、江都の空にもう一つの船が現れた。

最初、楽人が音を止めた。次に、宦官(かんがん)が空を見た。そのあと船上の者たちが一斉にざわめいた。

星が落ちてきたのではない。龍でもない。火の鳥でもない。

それは船だった。

ただし、水に浮かんでいない。空に浮かんでいた。銀灰色の腹を持ち、翼も櫂も帆もなく、音は低く、しかし水面全体を震わせる。船の下の川が、見えない手で押されたように波立った。


臣下の一人が叫んだ。

「妖異でございます!」

別の者が伏せた。

「天の瑞兆(ずいちょう)でございます!」


煬帝は立ち上がった。

彼の目は恐怖ではなく、飢えに近い光を帯びていた。

「船だ」

誰も答えない。

「空を行く船だ」

彼は笑った。

「朕の運河は地上をつなぐ。だが、天にはなお道があるのか」

その言葉を聞いた近臣は、胸の底が冷えた。皇帝は恐れていない。恐れないことは美徳である。だが、恐れるべきものを恐れないのは、災いである。


天船(てんせん)から光が下り、煬帝の御座船の甲板に輪が開いた。侍衛(じえい)が刀を抜き、矢が構えられた。

煬帝は止めた。

「待て。天の使いなら斬るべきではない。妖異なら、なおさら正体を見ねばならぬ」


光の中から三人が現れた。

彼らは人に似ていた。しかし人の礼を持たなかった。

拝しない。伏せない。名乗りもしない。

ただ、皇帝を見た。

その見方が煬帝には気に入らなかった。

彼は見られることに慣れている。だが、畏れを含まぬ視線には慣れていない。


「何者か」


「我々は観測者である。あなたは楊広(ヤングァン)、隋(スイ)帝国の最高統治者」


隋帝国。

その言い方は、奇妙だった。

彼は天子である。皇帝である。天下(せかい)の主である。

「隋帝国」という地図の上の一つの国のような呼ばれ方は、あまりにも低すぎる。

だが煬帝はそこで怒らなかった。それよりも船が気になった。


「汝らの天船を見せよ」

この時点で強硬接触班は手筈が狂った。そして臣下たちが叫んだ。

「おやめください!」

煬帝は微笑した。

「朕は天子である。天子が天船を親しく観(み)る。これは道理である」


強硬接触班が言った。

「我々はあなたを星船に招請したい」

また臣下たちが騒いだ。煬帝は片手を上げて静めた。

「朕の侍衛と輿(こし)と筆と史官(しかん)を伴わせよ」

「不可である」

この返答で煬帝の顔から笑みが消えた。


皇帝は一人で動かない。皇帝の動きには記録が伴う。史官がいなければ、それは出来事ではなく事故になる。

「史官なしに朕を見るとは、何を記すつもりか」

「星船は複数名の招請を想定していない」

「天子は常に侍衛と輿と筆と史官を伴う」

「不可能」


煬帝はまた微笑した。

「不可能とは、臣下が怠けるときにいう言葉だ」


強硬接触班は負けた。


******


星船内部会議ログ:

地上観測班:「なぜ群衆が見ている場所で中心個体に接触した」


強硬接触班は雑である。


******


煬帝は怯えて騒ぐ侍衛と史官に囲まれながら、浮上する連絡艇の窓から自分の船を見下ろした。

彼は思った。


美しい。


自分の楼船が水の上で小さく見える。運河も灯も兵も臣も、すべてが下にある。

その光景は彼を魅了した。



星船は白かった。

香もなく、漆もなく、絹もなく、玉(ぎょく)もない。龍も鳳もない。人間の権威を示すものが何もない。

それが、煬帝には貧しく見えた。


「天の船にしては、飾りがない」

星船は答えた。

「装飾は機能に不要」

煬帝は笑った。

「汝らは王ではない」


星船は沈黙した。


「王でない者が、なぜ天の船を持つ」

「星船に所有主体はない」

「では、朕が所有する」


星船は震えた。

強硬接触班の対人接触用アバターが煬帝の発言を記録した。煬帝は、その動きを見て言った。

「朕の言葉を記すなら、朕の年号も記せ。大業である」


彼らは煬帝に地球を見せた。


壁に青い球が現れる。雲が巻き、海が光り、大陸が浮かぶ。

その中に隋の版図が示された。


黄河、長江、洛陽、大興城《ちょうあん》、江都。

そして高句麗、突厥、南海、さらに彼の知らない大陸。


煬帝は最初、黙って見た。

それから言った。

「ここからここへ、どのくらいで行ける」

彼は地球上の点を指した。

「この船なら短時間」

「短時間とは」

「ほぼ一瞬」

煬帝の目が光った。


「洛陽から江都まで」

「同じ」


「高句麗まで」

「同じ」


「突厥の牙帳(がちょう)まで」

「同じ」


「南海の果てまで」

「ほぼ同じ」


彼は笑った。

その笑いは星船をひどく不安にさせた。


「これこそ真の運河だ」

煬帝は言った。

「水を掘る必要がない。山を削る必要がない。民を徴する必要がない。天を道にすればよい」


星船は言った。

「星船の技術は提供できない」


煬帝は振り向いた。

「では、なぜ見せた」


反応観測──と言いかけて強硬接触班が止まった。

沈黙が流れた。


煬帝は確信した。

朕は正しい。天下は動かさねばならぬ。だが、朕の道具は小さすぎた。地上の運河は未完成の試みだった。天の船こそ完成形である。

もしこれを手に入れれば、反乱は起こる前に潰せる。

高句麗は山城ごと飛び越えられる。突厥の動きは空から見える。南北の富は一日にして移せる。皇帝はもはや巡幸に月日を費やさない。

天下は、彼の視線の下に縮む。その縮んだ天下を見て、彼は支配の新しい形を夢見た。


星船は言った。

「あなたの民は大規模徴発に苦しんでいる」

煬帝は答えた。

「民は目の前の苦しみを見る。帝は百年の利を見る」

「反乱が発生している」

「反乱は常にある。平らげればよい」

「あなたの統治は不安定化している」

「不安定なのは天下ではない。天下を担う者たちの心が小さいのだ」

「あなたは責任を認めないのか」

煬帝は少し笑った。

「責任とは、成す者にだけ生じる。何も成さぬ者には責任もない」


煬帝は要求した。

「天船を一隻、朕に渡せ」

「不可能」

「ならば、職人を渡せ」

「不可能」

「ならば、図を渡せ」

「不可能」

「ならば、朕を天の都へ連れて行け」

「不可能」


煬帝は黙った。


そして言った。

「汝らは何も与えぬ。何も従わぬ。何も認めぬ。ならば、なぜ朕を招いた」


星船は答えた。

「接触評価のため」


煬帝は、その言葉を嫌った。

評価。

皇帝が評価される。

誰が天子を評価するのか。


「評価する者は、評価される覚悟を持て」

彼は言った。

「朕は汝らをこう評する。技は大きいが名がない。名がないから礼がない。礼がないから長く座れぬ」

星船は答えた。

「星船は長く存続している」

「存続と支配は違う」

「説明を」

「石は長くある。だが石は天下を治めない」

星船はまた沈黙した。


******


星船内部会議ログ:

地上観測班:「なぜ群衆が見ている場所で接触した」


強硬接触班:「我々は強硬接触班なので」


サル:「改名しろ」


生命影響班:「短時間接触予定である。予定時刻が近い」


サル:「早く戻せ」


地上観測班:「今回は記憶操作を推奨」


生命影響班:「なぜ」



内部会議室にシミュレーション映像が投影された。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

煬帝が強硬に主張する。

「昼に帰せ」

「混乱を招く」

「皇帝は隠れて戻らぬ」

「危険」

「危険を恐れて皇帝か」


真昼の江都の水面に天船の影が落ちる。

兵が見上げる。民が叫ぶ。臣下が伏せる。煬帝が光の中から甲板へ降りる。


第一声。

「朕、天路を見たり」


煬帝が直ちに詔を書かせる。


天船、江都に降る。朕、天外の道を覧る。大業の運河は地上の始めにすぎず、天下を一つにする志は天にも通ず。諸臣は恐るるな。これは隋の天命の大いなる徴である。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


サルは頭を抱えた。

「これは記憶を消せ」


******


星船内部会議ログ:

堂々と国家統治者を呼び出すな。

とくに煬帝は二度と呼ぶな。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。