53話 ちゃんと貴女に伝えたい
この気持ちに気づいたのは、いつだっただろう。
『この日に聖女様にお会いできるなんて、本当にありがたいです』
『祝福してもらえたらなって、二人で話していて』
そう幸せそうに話す一組の夫婦。私が来る日がちょうど結婚式の日だったらしい。
その嬉しそうに笑い合っている二人の姿に、とっても胸が温かくなったのを覚えている。
『先生?』
『なんですか?』
『あの二人は、幸せになれますか?』
『え? ああ、さっきの……そうですね。それこそ二人で手を取り合って幸せを掴んでいくのではないでしょうか』
『掴む?』
『結婚とはそういうものでしょう?』
楽しそうに先生は笑っていて、でも頭に浮かんできたのはお姉さまのことだった。
いつかは、いつかはお姉さまも殿下とああなるのかな? 幸せそうに笑っているのかな? 手を取り合って、殿下とまだ分からない幸せを掴むのかな?
まだ見たことないお姉さまの笑顔を、殿下に――
そこまで想像して、堪らなく嫌になった。
ギュッとつい膝上の服を掴んでしまったけど、先生はそれに気づかないのか、『あなたにはまだ早い話ですがね』とか失礼なことを言っていた気がする。
祝福した二人のことはお幸せにって思った。良かったねって。そういう相手がいて、隣にいて、周りからもお祝いされて。
なのに、
どうしてお姉さまだと、こんなに嫌な気持ちになるんだろう。
気づいてはいけない気がした。
知ってはダメだと頭のどこかで警鐘が鳴っている。
だって、家族で。
それに、姉妹になったのに。
その前に、私は、聖女なわけで。
皆を祝福する、立場で。
ごちゃごちゃと言い訳を並べて、気づかない振りをして、ただ義妹として、家族として好きだって言い聞かせて。
でも、教会にお姉さまが来て抱きしめてくれた時、その全てが消し飛んだ。
あの温もりに包まれた時、どうしようもなく自覚した。
この人のそばにいたいって。
どうしようもなく、好きなんだって。
誰にも渡したくない。
この温もりも。
見たことない笑顔も。
この手も、腕も。
私に向けてくれた、サファイアの瞳も。
でもそれは、届けられない気持ち。叶えられない想い。
私がお姉さまをそういう目で見てるって知ったら、お姉さまはどう思うんだろう?
ましてや、殿下の婚約者。殿下とお姉さまの間には、私が入れない空気があるのを知っている。迷惑になる。
そうしたら、もう二度と会えなくなるかもしれない。
そんなの、絶対に嫌だ。
隠さなきゃ。
知られちゃいけない。
だから、ずっと助けることを考えてきた。
笑顔にできないか考えてきた。
笑っている顔を一目見られればいいから。
命を助けられればいいから。
自分の気持ちに蓋をして、考えないようにして、でも殿下と一緒にいるところを見るのは嫌で。
だから殿下が屋敷に来た時は、お姉さまのところに行かないようにして。
それでもやっぱり、お姉さまの温もりは感じたくて。
スクルの魔法のおかげでまた子供の時に戻って、ずっと一緒にいることを選んだ。前は離れて失敗したからだって言い訳をしながら。
手を繋ぎたかった。
その温もりを感じたくて。
見てほしかった。
吸い込まれるサファイアの瞳を、ずっと自分に向けてほしかった。
やっと、やっと笑顔を見せてくれた時、自分が祝福した二人のことを思い出した。
あの二人の幸せは、こういうことだったんだって。
嬉しくて涙が勝手に出てくる。
温かい気持ちで溢れて、自然と自分も笑ってしまう。
ずっと見ていたい。
ずっとずっと、隣でその笑顔にさせてあげたい。
駄目かな?
ここにいちゃ駄目かな?
一度目よりも、二度目よりも、もっともっと深く。
届けたいって、そう思っちゃ駄目かな?
自分の胸の奥に溢れるこの気持ちを。
罰なのかな。
やっぱり駄目な想いなのかな。
だって、想いが強くなるほど、お姉さまはいなくなる。
早くいなくなる。
手が届かなくなる。
だから、
だから、
「好きで、好きでたまらない、から……」
いなくならないで。
この気持ちは伝えないから。
応えなくていいから。
「生きてほしいん、だよ……私は」
あの笑顔を、また見せてほしい。
私に向けられてなくていいから。
殿下でいいから。
「自分の命より、大事なん、だよっ……」
罪悪感も、もちろんある。
お父様もお母様もジル達も、ずっとお姉さまを蔑ろにしてきた。私を何故か優先してきた。
お姉さまの助けてほしいというサインにも気づかなかった。
だけど、
それよりも、何よりも、
「好きだからっ……誰よりも、何よりも、助けたいっ!」
止まらない涙のせいか、ずっと胸の中に溜め込んできた気持ちが勝手に口から出てくる。
「私の命なんかよりっ、お姉さまの方が、大事なんだよ!」
今すぐ、今すぐそばにいきたい。ケガしてないかちゃんと知りたい。もう目が覚めないカンナを見て、お姉さまはどう思っただろう。今、どれだけ心細いだろう。
ずっと黙って聞いていたスクルが、フウと静かに息を吐いたと思ったら、勢いよく見上げてきた。
『……だったら!』
「うぇ――⁉」
いきなり私の両頬をぐいっと両手で押し上げてきて、顔を近づけてくる。なに、なに⁉
『だったら! 自分の命をちゃんと大事にしないとダメじゃんか!』
スクルの大声に、パチパチと目を瞬いた。止まらなかった涙が引っ込んでいく。
『あんたは、本当、本っ当に! バカか⁉』
「え、あ、へ?」
『セレスティアが大事なんでしょ⁉ 好きなんでしょ⁉ じゃあ、まずちゃんと自分の体を大事にしないとじゃん!』
か、体? なんで⁉ 今、そういう話じゃないよね⁉
「だ、だから! 自分の体なんかどうでも――!」
『良くない!』
「ちょっ! んぶ!」
『ああもう! 本当にバカ! 命より大事? ふざけんなって話だよ! そんなこと言ってるのこの口か⁉ 口だね! おらおらおら!』
すごい勢いでスクルがほっぺをこねくり回してくるんですけど! 何にも言うこと出来ないんですけど⁉
ピタッとスクルの手がいきなり止まった。
『バッカみたい。好きなら大事にしなよ。自分のことを大事にしない奴を、誰が好きになるもんか』
「は、はあ⁉」
『好きだから命を放り出す? 犠牲にする? 断言してあげる。そんなことされても、された本人は全然嬉しくもなんともないから』
はっきりと伝えてくるスクルの言葉に胸が痛む。お姉さまは、確かに喜ばないかもしれない。
でも!
「助けたいって……助けたいって思って、何が悪いの⁉」
『助けるためにあんたが死んでどうすんのさ⁉ それで? はい、私は満足ですって? どんな自己満足さ、それ!』
「スクルには分かんないよ! 誰かを好きになったことなんてないくせに!」
分からないよ! 絶対分からない!
「聖女の時も! 前の時間軸でも! 何も気づけなかった! 出来なかった! 無力な自分がどれだけ悔しいか!」
『だから? 今はあたしの魔力があるから限界まで使って、セレスティアをここに連れ戻す? 自分の命を犠牲にする?』
「それしかないんだったらそうするしかないじゃん!」
それでお姉さまを守れるなら!
助けられるのなら!
「なんだって、私はするよ! あの人を助けるためならなんだっ――うぇ!」
ペシンとスクルの尻尾が顔に飛んできて、そのまま為すすべもなく自分の体が床に倒れた。完全に体が弱り切っている。『ほうら、見ろ』と、スクルがものすごく冷めた目で見下ろしてきた。
『何にも出来ないよ、今のフィリアじゃ』
「っ……!」
『セレスティアを笑顔にするんじゃなかったの?』
「だ、だからっ……」
『フィリアがしようとしていることは、絶対に笑顔にしないことだね』
言葉に詰まると、スクルが私の体に乗ってくる。
『セレスティアを助けたい? あたしもだよ。主様の命令だしね。セレスティアが好き? じゃあセレスティアの気持ちはどうでもいいの?』
「そ、れは……」
『フィリアはさ、セレスティアに自分のこと好きになってほしくないの?』
そ、そんなの……
そんなの、
「好きに、なってほしいよ……」
目尻がどんどん熱くなる。ジワッと止まっていた涙が滲んでくる。隠すように重い腕を動かした。
嫌われた時、死ぬほど苦しかった。
閉ざされた扉も、手を払われた時も、あの冷たい声も眼差しも。
あんな思いを、本当は二度としたくない。
そばにいたい。
抱きしめてほしい。
お姉さまにも、そう思ってほしい。
「私が……」
私が、
「お姉さまを、笑顔にしたいよ」
あの狂おしいほど幸せになる気持ちを、お姉さまに私が与えたい。
『じゃあもう二度と、自分を犠牲に、なんて考えるのはやめなよ』
「っ……無理……」
『無理じゃない』
「無理、だよぉ……」
自分が笑顔にさせたい。殿下じゃなく、私が。
好きになってほしい。殿下じゃなく、私を。
でも、やっぱり一番は、お姉さまが生きる未来。
「わ、私は、いっつも、し、失敗してるんだよ……」
『……』
「いつも……いつも、気づくの、遅くて……」
間に合わなくて。
「そんな自分が、他にどうすればお姉さまを助けられるの……?」
もう、命しか懸けられない。犠牲にできない。
魔力はもうない。
聖女の力ももうない。
他人はもう信じられない。
嗚咽混じりに弱音をつい吐くと、スクルの盛大な溜息が聞こえてくる。
『犠牲じゃなくて、強くなればいいだけじゃん』
――強く?
『なんで犠牲が絶対なのさ? 助けたいんでしょ? どうやっても死ぬかもしれない未来が不安なんでしょ? だったら、フィリアが強くなってセレスティアを助ければいい。単純じゃん』
「単純……?」
私が強くなって、お姉さまを守ればいい?
『なんでそこが抜けてるのさ。だからバカだって言ってるんだよ』
スクルが軽く尻尾で腕を叩いてくる。釣られるように顔からどかすと、呆れた目を向けてきた。
『魔法なら、あたしが教えてあげるよ。これでも魔法に関しては誰よりも得意なんだから』
「魔、法?」
『フィリアが強くなるっていうなら、魔法ぐらいでしょ。魔力の扱いも一から。幸い、あんたの体にはあたしの魔力がたっぷりあるわけだからね』
スクルの魔力。
確かに、私の体にある。ちゃんともう分かる。
『魔力に耐えられる体に鍛えて、扱いを理解して、それで覚えた魔法でセレスティアを助けて、死ぬ未来を避ければいい』
それで、助けられるかな?
お姉さまの冷たい手を、もう感じなくて済むのかな?
『あとさ、ちゃんと伝えなよ』
伝える……?
『フィリアの気持ちを、ちゃんと。受け入れるかはセレスティア次第だけどね』
お姉さまに、私の気持ちを?
『伝えなきゃ、伝わらない。言葉にしないと、誰も気づかない。心を読める魔法は存在しないんだよ、フィリア』
ペチペチと頬を叩いてくるスクルの小さい手が、声が、どこか寂しい気持ちにさせてくる。
『その先に、もしかしたらね。変わった未来があるかもしれない。望んだ未来を見れるかもしれない』
何かを懐かしむようなスクルの言葉に、胸の奥が苦しくなる。
『フィリアには後悔してほしくないなって、思ってるんだよ』
いつか先生も言っていた、同じ言葉。
後悔しない、選択を。
私は、ちゃんと貴女に伝えたい。
好きだよって。
大好きだよって。
だから、助けたい。
スクルに言われた通り、単純なことだった。
『好きな人には笑っていてほしいよね?』
「うんっ……」
『そのために、強くなろう? 守ればいいんだ』
「っ……うんっ」
泣いている場合じゃない。
何度同じことを思っただろう。
『笑顔にさせるんでしょ?』
「うんっ!」
グイっと涙を拭いてスクルをまっすぐ見つめると、フッとスクルの顔が優しく見えた。
『もう言わないよね?』
「言わない」
死んでもいいなんて言わない。
そうしたら、伝えることもできないから。
お姉さまを笑顔にすることもできないから。
私は生きて、
お姉さまのことも助けて、
ちゃんと気持ちを伝える。
ググっと無理やり重い体を起こしてから、パチッと自分の手で頬を叩いた。ジンジンする。スクルが目を丸くさせていたけど、さっきよりもずっと心も頭もスッキリしている。
単純なことだったんだ。
お姉さまが好き。
お姉さまに好きになってほしい。
私が笑顔にさせたい。
今まで出来なかったことがずっと心のどこかにあって、失敗したことがずっと引っかかっていて、臆病になっている自分がいた。
でも前よりはっきり思う。
あの人の笑顔をまた見たいって!
「……スクル」
『何?』
「お姉さまは……本当に大丈夫なんだよね?」
『今のところはね。でもまぁ、死ぬことはもう絶対ないから安心しなよ』
絶対ない。今はスクルの言葉を信じる。
「魔法、どれぐらい使えるようになればいい?」
『そりゃあ、セレスを守れるぐらいじゃない?』
「そうしたら、お姉さまのこと探しに行ってもいい?」
『ぶっ倒れないようになれば、セレスも心配しないでしょ』
じゃあ、やることは決まっている。
「スクル!」
『でゅわ⁉ だから持ち上げ――』
「私に魔法を教えてください!」
スクルが私の手から逃れようとする前に、目をパチパチとさせていた。
「私は強くなる! お姉さまを助けるために! だからちゃんと魔法を教えて!」
『だから、そう言って――ぐえっ! 締めてる! 締めてるぅ!』
あ、つい興奮して上下に強く振ってしまった。スクル、生きてる? ぐったりしてるよ。さすがにいきなりやりすぎてしまったから、そっと床に降ろすと、ぐでっと寝そべっていた。大丈夫?
『あ、あんたね……いきなり元気になりすぎだから』
「うん、ごめん」
『謝罪が軽すぎる!』
「そんなことより、ちゃんと教えてよ? 約束だよ?」
『はあ……元気になった途端これって。人の話を聞くことを先に覚えさせようかな……』
「ちゃんと聞いてるよ。明日からでいい?」
『全然聞いてないじゃん⁉ まず回復! 一ヶ月寝込んでたのに何言ってんの⁉』
そんな! 一日ももう休んでられないよ! いくら大丈夫だって言っても、お姉さまは今一人なんだよ⁉ 一刻も早く強くなって、お姉さまのことを探しに行かないと! そもそも、お姉さまが無事なのになんで帰ってこないかも謎だし! あと誰に襲われたのかも!
あわあわと考えている時に、ふと、頭に過った。
――違う。
その前に、やることがある。
「スクル、いつまでも寝てないで行くよ!」
『……は? どこに? ああ、アネッサとお父様のとこ? 心配してたしね』
「違う」
何とか立ち上がって、床に寝そべっているスクルを見下ろした。訳わからなそうに首を傾げている。
お姉さまが誰かに襲われた。
何故? 誰に?
ちゃんと考えれば分かることだった。
考えられるのは、たった一つだけ。
「お母様のところに」
あの人だけが、お姉さまを憎んでいるのだから。




