54話 絶対貴女のこと守れるようになるから
「こちらです」
そう言って、バールが扉を開けてくれる。
部屋の中は薄暗く、昼間だというのにカーテンが閉められていて、テーブルの上に淡い光を放つランプが置かれていた。その前の椅子に座っているお母様が、ゆっくりと私とバールの方に顔を向けてきて、淀んだ瞳を向けてくる。
「いらっしゃい、フィ」
かつての優しかった雰囲気はもうないお母様の微笑みが、不気味に感じられた。
■ ■ ■
「駄目だ」
めちゃくちゃ動かし辛い体を引き摺って部屋に行ったお父様は、最初こそものすごく喜んで抱きしめてきたけど、お母様に会いたいと言ったら即答してきた。
「お嬢様、会いたいのは構いません。ですが、お嬢様はまず体を治さないと。今さっき起きたばかりなんですよ?」
「アネッサの言う通りだ。どれだけ心配したと思っている? 医者たちもただの風邪だとしか言わないし、こうなったら王宮の医師たちを一人残らずここに連れてこようとも思っていたんだぞ?」
「実際連れてきたのは僕だけどね」
そして、何故か殿下もいた。いや、なんでいるんですか? と突っ込みたかったけど、いつものニコニコした作り笑顔を作って「フィリアが心配でさ」とか言っていたから、とりあえず無視しといた。
この部屋に来るまででものすごく疲れたというのもあるけどね。この体が憎い。ただちょっと……ちょぉっと魔力を多めに使っただけで一ヶ月も寝込むこの体が! 子供だからだけど!
「でもよかったよ。本当に安心している。フィリアにまで何かあったら、侯爵に何をされるか分かったものじゃなかった」
フィリアにまで何かあったら? そうだよ。私のことはともかく、お姉さまのことはどうなったの? スクルから大丈夫だっていうのを聞いてるから、私は生きてるって知ってるけど、お父様たちは?
アネッサが温かいお茶を淹れてくれて、まず一口飲んでからお父様たちを改めて見てみた。
うん、疲れてるね! タックもだろうな。さっきアネッサがタックに私が起きたことを伝えてきたらしく、体に良いものを作るとかで張り切っていたと嬉しそうに教えてくれたけど、絶対タックも疲れているよ。
「スクルもよかったよ。フィリアが倒れてから好物のリンゴにも手をつけなかったから心配してたけど」
『いやあ、本当にさ! 本当は食べたかったんだよ? でもさ、さすがに魘されているフィリアの前でおいしいものを食べ続けるのは、さすがに嫌味かなと思ってね!』
殿下から差し出されたリンゴをこれでもかと頬張ってムシャムシャしながら偉そうに言うスクルに腹が立つんですけど⁉ はっ! 違う違う! スクルにムカついている場合じゃなかった!
「お父様、お姉さまは? お姉さまのことはどうなりました?」
「……」
途端に黙ってしまって、私から目を逸らすお父様。これは……もしかして死んだと思っている?
「お父様」
「……領地の端の森で、馬車の残骸が見つかった」
……は? 領地?
空気が重いまま、今度はアネッサが辛そうに口を開いた。
「やっと目が覚めたお嬢様に聞かせるのは苦しいですが、お嬢様も知りたいですよね。あの門番の遺体も見つかったそうです。近くには大量の血痕も。多分、カンナのものかと」
「どうして領地にあるのか、どうやってカンナがあの傷でこの王都まで戻ってきたのか、色々とまだ調査中だ」
お父様がアネッサの続きを話してくれて重い溜め息をついていたけど、スクルが何てことないようにポロっと説明してくれる。
『転移魔法だよ。カンナは精霊たちが運んでくれた。最初に転移で領地に馬車ごと行って、ケガをしたカンナを近くにいた精霊たちが飛ばしてくれたんだと思うよ』
リンゴを食べながらそんな重要なことをサラッと伝えてこないでくれる⁉ とか心の中で思っちゃったけど、グッとそれは我慢する。お姉さまが精霊王様の娘だなんて知ったら、さすがにお父様も悲しむのでは?
それに領地って聞いて、ますます自分の中にあった疑念が深まった。
「お父――」
「セレスは……まだ見つからない」
苦しそうにお父様が呟く。アネッサも暗い顔で、殿下までもが沈んだ表情という表現がぴったりだ。やっぱり、死んだと思ってる。
もしスクルがいなかったら、私だってまたそう思ってたかもしれない。
また何も出来なかったって。
もうやり直すことはできないのにって。
責めて責めて、自分を責めまくって。
でも、違う。今度は違う。
ちゃんとスクルが教えてくれた。
まだお姉さまは生きているって。
だから!
バンッとテーブルを勢いよく叩くと、皆が顔を上げて目を丸くさせていた。
「お父様! アネッサも殿下も! お姉さまは生きています!」
だから、諦めるのはダメだ! 今も一人なんだよ! 帰ってこない理由は分からないけど、とにかく一人なんだよ!
「諦めないでください! お父様が諦めてどうするんですか!」
迎えにいかないといけない。独りぼっちになんてさせたくないから。
フウと殿下が息を吐いた。
「……フィリア。信じたくないのは分かるよ。でもさ――」
「殿下! 殿下の能無しっぷりなんて今はどうでもいいんですよ!」
「のっ能無――⁉」
「その分かってるような顔やめてください! というか、全く分かっていませんから! いや、まず殿下は何にも出来ていませんからね⁉ 側妃様のこととか、王族のこととか! 何があったのかも知りませんけど! そっちの問題に私たちを巻き込んで、でも結局何も出来ていませんから!」
「っ!」
明らかにショックと言ったように殿下が顔を青くさせていた。いや、事実だし。迷惑極まりないのも。
よくよく考えれば、聖女の時も殿下って全然役にも立っていないし! 前の時間軸の時も王子ってだけで何でもできますよみたいな立ち振る舞いしていたけど、挙句の果てにはお姉さまを見捨てるし! 考えれば考えるほど、この人いらないなって思っちゃうし!
「殿下がポンコツなのはいいんです! ええ、ポンコツなのは! 家族のことさえ何も出来ないんですから!」
「ポ、ンコツ……」
「ですけどね! お姉さまのことをとやかくいうのはダメです! だって生きてるから! 何にも出来ないっていうなら、もう口を挟まないでください!」
『フィリア、フィリア。もうやめたげなよ。王子様、もう固まっちゃってるよ』
ツンツンと殿下の肩を突きながら、スクルがあーあという感じで呆れた目を向けてきた。確かに殿下がもう固まっちゃってたよ。動かない。侍女さんと護衛騎士さんはものすごく気まずそうだけど、いやいや、私これでも今は抑えてる方ですよ?
もう固まっちゃった殿下は放っておいてと、お父様たちの方に顔を向け直すと、こっちはこっちで目を丸くさせちゃっている。いやいや、お父様だっていつもあんな感じのことを殿下に言っているくせに、何を今更。
「とにかく、お父様。お姉さまは生きています。信じてください。諦めないでください。探すのをやめるなんて論外ですからね!」
「え……あ、ああ。それは、もちろん――」
「私も今は体が回復してないからあれですけど、元気になったら探しに行きますから! 世界中!」
「は? い、いやいや! フィにそんなことさせられるわけ――」
「行きます! 私のことをお父様が娘だって思ってくれるのなら、全力でお姉さまを探しに行く私のことを助けてください! それとも助けてくれないんですか⁉」
「そんなわけないだろう⁉ フィのことだって私はもちろん可愛い娘だと思ってる!」
「じゃあ約束ですよ! 全力で私のこと助けてください!」
「ああ! 任せろ!」
「旦那様……フィリアお嬢様に乗せられてどうするんですか……」
勢いで言質を取った私と、「あれ? そうだな?」と目を丸くさせているお父様に、アネッサが疲れた息を吐いていた。でもすぐにいつもの優しい目を向けてくれる。
「ですが、お嬢様の言う通り、信じなければですね。セレスティアお嬢様が生きていることを」
「そうですよ、アネッサ。私たちが諦めてどうするんですか」
「ふふ、そうですね。これで諦めたら、カンナだって怒るでしょう」
クスクスと笑うアネッサに、さっきまで重苦しかった部屋の空気が変わった気がした。殿下は固まったままだけど。「ポンコツ……僕が……」とか呟いているけど。
そんな殿下に目もくれず、お父様がやっと少し笑った。
「そうだな。諦めないで探そう。フィの言う通りだな」
「そうですよ、お父様。それでですね、お母様にちゃんと話を聞きたいなと思いまして」
「それはダメだ」
どさくさまぎれに伝えると、やっぱり即答してくる。なんで⁉
「なんでですか⁉」
「フィこそ、なんでヴィエラに会いたいんだ?」
なんで? そんなの決まっている。
「お母様しかいないからです」
お姉さまを憎んでいる。何かをするとしたら、あの人以外に考えられない。
「領地でお姉さまを乗せた馬車が発見されたのなら、疑うのは当然では?」
「……フィはヴィエラを疑っているのか? 今回の件に関わっていると?」
当たり前だ。それ以外に考えられない。もしかしたら、お姉さまの場所も分かるかもしれない。
スクルが今は探さないと言っていた。私が回復するまで手伝わないとも。でも今見つけられるなら、それに越したことはないじゃん。
それに、
「お姉さまが死んでいると、お母様が思っているならそれでいいです。でも、そうじゃなかったら?」
まだ生きていると思っているなら、お母様はまた今回みたいにお姉さまを狙ってくる。そうならないためにも、今ちゃんとお母様に釘を刺しとかないと駄目だ。
「……ヴィエラがセレスに何かをするのは不可能だ。領地の屋敷からは一歩も――」
「ジルなら? バールが見張っているのは、お母様だけですか?」
「それは……」
お母様は自分の手を使わないんじゃないのかな。バールだってジルのことは警戒しているかもしれないけど、お母様のことだけで手一杯なはず。
「お父様、私が話します。お母様と。何かを知っているなら、私はそれを知りたい。お母様が関わっているなら、ちゃんと知りたいんです」
お父様はやっぱりお母様に甘いから。昔からそれだけは変わらない。
「任せてください。私、あの人に愛されてるので」
多分。もう自信はないけど。
ポンポンと胸を叩きながら言うと、お父様が眉根を寄せている。やっぱり難しいのかな。それとも、あんなお母様に会わせるのは、とか思ってくれているのかな。嫌わないでほしいって言ってたものね。
「バールにも傍にいてもらいます。二人だけで話しませんから」
「……」
まだ難しい表情のお父様に、今度はアネッサが顔を向けた。
「旦那様。私も一緒に行きましょう」
「アネッサ?」
「お嬢様がそう言うのなら、私は侍女としてお嬢様をお守りするだけですよ」
ふわりと微笑むアネッサにパチパチと目を瞬かせた。アネッサが援護してくれるとは思わなかったから。
しばらく考え込んだお父様が、ゆっくりと目を閉じてから、すぐにまっすぐに見つめてくる。
「……フィに手をかけることは、さすがのヴィエラもないだろう」
「じゃあ!」
「アネッサ、頼めるか?」
「かしこまりました」
「本当は自分がついていきたいが……」
チラリとお父様が殿下に視線を送ると、やっと正気に戻ったのか、殿下が気まずそうに視線を逸らしている。あれ? もしかして殿下関係でなんかあったの?
首を傾げていると、ものすごく覇気を失った声でボソボソと殿下が呟いた。
「ああ……いや、その……母のことでちょっと侯爵に頼んでいることがあって……」
「というわけで、このポンコツ殿下のことで王都から離れると少々まずいことになる」
「ポ――っ⁉ こ、侯爵まで……あ、いや、その……ああ、うん。そうだ、ね。確かに、何も出来ていないから……」
ズーンと見るからに落ち込んでいる殿下にポンコツ発言は効いたようだ。うん、なんか満足。
「それに……そうだな。フィの言う通りかもしれない」
「? お父様?」
「セレスが生きていると、か。うん、そうか。そうだな」
え、いきなり何? なんでそんな悪巧みしている顔になってるの⁉
「お嬢様、お嬢様はまずは奥様のことに集中した方がいいかと。いいえ、それよりもまず、体力を戻さないとですね。せめて熱が下がって、ご飯を普通に食べられるようになるまでは、奥様のところには行かせませんからね」
アネッサの凄んだ笑顔に圧倒されちゃって、それ以上はお父様に何を考えてるのかは聞けなかったけど。殿下はいつもの笑顔をする気力もないのか、ただ項垂れていたよ。
そうだよね、今はお母様だよね! と私も気を取り直して、普通に歩けるぐらいまで体力を回復させてから、アネッサと一緒に領地に行く転移陣に入った。
■ ■ ■
「さ、座って? 話がしたいのでしょう?」
何もなかったかのように、お母様が座るように促してくる。周りを見ても、誰もいない。
そう、ジルも。
にっこりと、笑顔を作った。
「ジルはどうしたんですか?」
「あなたが来るから、と、今は席を外しているだけよ。親子水入らずに団欒もいいでしょうって。バールとアネッサと違ってね、空気を読んでくれたみたいだわ」
ふふっと笑いながら、でも目はバールとアネッサに向けられていた。
「二人にしてあげたいのは山々ですが、旦那様にも二人が楽しんでおられた様子をちゃんと伝えたいのですよ」
「それに、奥様には是非お嬢様が今好んでいるお茶を飲ませてあげたいと思いまして。それが淹れられるのはわたくしだけでございましょう?」
さすがはアネッサとバールである。圧がある言い方のお母様に物怖じしない。
『……ふーん』
ちゃっかりスクルもついてきたけど、部屋に入るなりものすごく動き回っている。というか、本棚やらドレス類を物色している。『一応結界はかけとくから』とか言ってたな。
そんなスクルをお母様はジロリと眺めていた。
「あの魔獣もまだあなたと一緒にいるのね。ケガさせられていない? 旦那様もなんで容認しているのかしら……ああ、あの子に騙されているのね」
相も変わらず、全部がお姉さまのせいになる。
でも今は、そんなことに噛みついているわけにいかない。
椅子に座って、真正面からお母様と向き直った。アネッサが紅茶を淹れてくれて、バールは私の後ろに立ってくれる。
スウッと紅茶の香りを嗅いで、深呼吸した。
「いい香りでしょう? お母様も喜ぶと思います」
「……そうね」
飲もうとしたお母様が、一瞬警戒したかのように手を止めたけど、ゆっくりと紅茶に口を付けた。私も香りを嗅ぎながら口に含んで喉に流す。
「……お姉さまも好きな紅茶なんですよ」
告げると、お母様の手が完全に止まった。
「ねえ、お母様? 聞いていますか? お姉さまの乗っていた馬車がね、この領地で発見されたんですって」
「聞いているわ。どうしてなのか、バールも教えてくれないの」
「不思議ですよね。王都にいたんですよ。私がちゃんと見送ったんです」
またすぐ会えると、信じていた。
「カンナもね、何故か傷だらけで。もう目が覚めないかもしれないんですって」
「目が覚めない?」
「お医者さんが言うには、魔力が枯れているらしいです。極端に使い過ぎるとそういう状態になるって」
スクルが言っていたことを、お父様にも確認した。何人もの医者にも診てもらったらしい。でも皆が皆、同じ答えだったって。目が覚めるのがいつになるかも、一生目が覚めないのかも分からない。
「タックも悲しんでいます」
「タック? なぜ?」
「お母様、知らないでしょう? 実はね、タックと恋人になってたらしいんですよ」
お母様がさすがに驚いたのか、目を丸くさせている。私も驚いた。カンナのところに行ったら、ずっと手を握っていたんだもの。仲がいいなとは思っていたけど、そういうことになっていたとは。
早く目が覚めるといいなと思いながら、コトリと静かにカップを置いた。
「ねえ、お母様?」
一呼吸してから、スッとお母様を見つめる。
「お姉さまに、何をしました?」
本題に入ると、お母様の口元が僅かに嗤った。
「何を言っているの、フィ?」
「お母様ですよね? カンナをそんな目に遭わせたのも。お姉さまに何かをしたのも」
「おかしなことをいうのね。私はずっとここにいたのよ?」
「転移陣があれば、この領地に来させることはできます」
それに、ずっと不思議だった。
どうしてお母様があの時、お姉さまの魔力測定が終わった時、屋敷に来たのか。
この数日、ずっとずっと考えていた。どうしてこうなったのか? 原因は? どこが始まり?
「あと、側妃様に会いましたね?」
私がそう言うと、バールが息を呑んだのが分かった。アネッサも紅茶のおかわりを注ごうとしていた手が止まった。
お姉さまを乗せた馬車を引いていたのは門番の人。あの人が遺体で見つかった。
おそらく、お母様は屋敷に来た時に門番の人に手紙を渡したはずだ。側妃様宛の手紙を。きっと急いで届けたことだろう。前に殿下が王族だからと、確認もしないで勝手に屋敷に入れる人間だ。
いつ会ったかまでは分からない。どこで会ったかも分からない。本当は会ってないかもしれない。
でも繋がったはずだ。
だって側妃様はお姉さまを婚約者にしようとしてたんだから。
お母様は扇を開いて、口元を隠した。
「お会いしたことはあるわよ。側妃様とは話が合ってね。でもフィ? さっきも言ったけど、私はあれ以来この屋敷から出ていませんよ?」
「ですが、手紙のやり取りはされていたのでしょう?」
手紙のやり取り、それだけで容易に準備できる。
側妃様からの手紙を。
お姉さまがいなくなる原因になったあの手紙にあった封蝋を。
門番にも、側妃様にも、お母様は関わりがある。
「無理がありますよ、お母様」
今回の件に何もしていないというのは、無理がある。
この屋敷に出ていないからというだけで、関わっていないと言うには無理がある。
お姉さまを目の敵にしている、他でもないあなたが。
「そのせいで、お姉さまはいなくなった」
私が言い切ると、お母様の目が窄められた。敢えて死んだとは言わない。言うのも嫌だから。でも、お母様にはそれが何を意味するか分かるでしょう?
「あの子は行方不明なだけでしょう?」
「血の跡があったそうです。もうお父様も殿下も信じていない。それに、まだお姉さまは十二歳ですよ? 森の中で、子供のお姉さまが生きているとは誰も……もう捜索はしないと言われました」
「……そう」
聞き逃さなかった弾んだ声に、心臓がドクンと脈打つ。ギュッとテーブル下で拳を握った。震えないようにギュッと歯を食い縛って、なんとか声を絞り出す。
「お母様は、言いましたね?」
「……」
「いつか、私が感謝すると」
「……」
「お母様の言葉を聞いておけば良かった、と」
「……」
「これが、その答えですか?」
お姉さまの命を奪うことが、あなたの答えですか?
ジッとお母様を見つめると、お母様の目元が細められる。
「フィ。私は何もしていませんよ? ただ、あるべきことが起こったにすぎないの」
「あるべき……?」
「本来、いるべきではない人間が、いなくなったにすぎないのよ」
それは、お姉さまのことですか? どうしてそこまであの人が憎いんですか?
「お姉さまは、いるべき人です……」
「いいえ、不幸をもたらすわ」
「幸せをくれる人です……」
「騙されているのよ」
もうこうなったら会話にならない。いつまでも平行線。その扇の裏で、お母様は嗤っているのでしょう?
「満足ですか……? お姉さまがいなくなって」
「そんなことはないわ。私だって心配してはいたの。でも……」
でも?
「仕方ないわよね。まだ子供で、どうにもできないでしょうに」
さっきよりも、明らかに嬉しそうな声だった。
苦しい。
この悪意が。
悲しい。
その心が。
虚しい。
幸せだった記憶が消えるのが。
――だけど、信じさせることは出来た。
ゆっくりと椅子から立ち上がると、後ろにいたバールとアネッサも動いた。スクルもトコトコと足元に来て見上げてくる。
「お母様……」
顔を俯けたままだったけど、はっきりと言うために顔を上げた。お母様は扇で顔を半分隠したままだ。
「私は、絶対感謝しない」
お姉さまを傷つけたあなたを。
あの人を一人にさせたあなたを。
「あなたを絶対に許さない」
もう絶対に、お姉さまに指一本でも触れさせない。
お姉さまを見つけたら、あなたに何もさせない。
「もう二度と、私の為にだなんて言わないで」
お母様の目が見開かれたけど、バールの方に振り向いて「帰ります」と告げた。アネッサが慌てたように扉を開いてくれて、足を向けた時だった。
楽しそうに、お母様が嗤った。
「じゃあ、言い換えるわ」
――え?
「私の為に、フィ、あなたはいつか私の所に帰ってきてくれる」
含みのある言い方につい視線だけ向けてしまうと、扇を外して、隠そうともしない微笑みを浮かべていた。
「楽しみね。あなたが帰ってくる時が」
楽しみ?
「あなたが感謝するのではなく」
私じゃなく?
「私がフィに感謝するのかもね」
その淀んだ瞳に、ゾクリと背筋が震える。
『フィリア』
足元のスクルが呼ぶから、ハッとしたように視線を外した。スクルが睨みつけるようにお母様を見つめている。
『大丈夫だから、そのまま部屋を出なよ』
どういう意味だろうと思ったのも束の間、アネッサが背中を押してくれる。心臓の鼓動がやけに耳に響いてきて、部屋を出てから「お嬢様、大丈夫ですか?」とバールも心配そうに声を掛けてきた。
「う、ん……平気」
「それにしても……奥様が……」
「アネッサ、その話は後にしましょう。まずは旦那様に報告しないと。それにお嬢様の顔色も悪いです」
「お嬢様? 無理をさせすぎましたね。すぐに王都に戻って休みましょう」
アネッサが慌てるように背中を擦ってくれたけど、バールも焦っているようだ。お母様がやったという確証の言葉は使わなかったけど、それに近いことを言っていたから。
『……全く、困ったね』
スクルがふうと息を吐いてから、私のことを見上げてきた。
『いい、フィリア? 飲まれちゃいけないからね』
「え?」
『今は分からないかもだけど、いつか分かる日が来る。それまで飲まれちゃいけない』
飲まれちゃいけない? 何のこと?
首を傾げると、肩に上ってきて両手で頬を挟んできた。
『あんたはセレスのことだけ考えていればいい』
お姉さまのことだけ。
そんなの、そんなの当たり前じゃない。
グッと口を引き結んで、大丈夫という意思を込めてジッとスクルを見てあげる。
スクルの言っている意味は分からない。
お母様の言っていたことも全然分からない。
でも、私のやるべきことは決まっている。
お姉さまのことは今でも心配だし、今すぐに駆け付けたいけど、時間はスクルが作ってくれた。
お母様にお姉さまがもう死んだと思わせることもできたと思う。
お姉さま。
私、絶対貴女のこと守れるようになるから。
強くならないと、自信をつけないと、また私は不安に駆られるだろうから。
誰かに頼るんじゃなくて、私の手で、ちゃんと、お姉さまの笑える場所を作ってみせるから。
絶対に見つけるから。
見つけたら、もう二度と離さないから。
私の気持ち、お姉さまにちゃんと伝えたいから。
「スクル、絶対私を強くしてね」
お父様にどう伝えるかを話し合っているアネッサとバールに聞かれないように小声でスクルに呟くと、どこか満足気にスクルが笑った。
『フィリアに強くなってもらう必要が出てきたからね。悪いけど、前みたいな半端な魔法は教えないよ?』
「望むところ」
『焦るの禁止だからね?』
「わかってる」
ここで焦ってお姉さまのことを迎えに行っても、またお母様の影に怯えるだけだ。お父様とか殿下に頼るだけだ。
でもそんなことしても私の不安は絶対消えないってことを、もう理解している。
やることは単純。
考えることも単純。
「お姉さまを、絶対笑顔にしてみせる」
私が。
私の手で。
スクルが嬉しそうに目元を和らげた。
『それでこそフィリアだね』
そうでしょう? それこそ私だよね!
この気持ちは絶対に揺るがないから!
……でもさ、スクル? ちゃんとさっきの「飲まれるな」とか「分からなくていい」とか説明してよ? 新情報とかもいきなり言うのやめてね?
屋敷に戻ったらちゃんと問いただそうと思いながら、帰る準備が出来たというバールとアネッサの所に駆け付けた。
最後に見た、一度きりのお姉さまの微笑みを思い出して、
また絶対にあの笑顔にさせるんだと、決意を胸に秘めて、
これから先の未来に、あの人の隣にいることを望んで、
屋敷に戻るための転移陣に足を踏み入れた。
切り時がなくて1万近くなってしまった! すいません、長くなって!
あと一話! スクル視点であと一話入れます! それで5章終わる予定です!




