52話 貴女のことが、好きなんです
目を開ける。
周りは真っ白で、ここがどこなのかも分からない。
どこだろう、ここは?
何をしていたんだろう、私は?
――そうだ。
お姉さまが、いなくなったんだ。
探さなきゃ。見つけなきゃ。
体を起こして、周りを見た。どこを見てもやっぱり真っ白い空間だ。
でも、遠くにあの目を引かれる銀色の髪が見えた。
「お姉さまっ……」
お姉さまの髪だ。あれはそうだ。間違いない。
足を動かして、手を伸ばす。けど一向に近づかない。
「お姉さま! そっちじゃないです!」
声を出しても聞こえていないのか、お姉さまは振り向かない。それどころかますます小さくなっている気さえした。
ドッドッドッと心臓が騒めいていく。どんどん遠ざかるお姉さまが、もうこっちに振り向かないんじゃないかとさえ思えてくる。
「だめです、お姉さま! お願いです、戻ってきてください!」
皆が待っているんです! お父様もアネッサもカンナもタックもバールも、スクルだって!
このままいなくなるのは嫌だ。
このまま会えなくなるなんて絶対嫌だ。
もう二度と、人生をやり直すなんてこと出来ないんだから!
でもやっぱりお姉さまは遠くなる。
その小さい姿が最悪の未来に進んでいる気がして、あの冷たい温度を思い出させる。
「だ、だめです! お姉さま、お願いです! そっちはだめです!」
そばにいないと不安になる。
手を繋いでいないと、消えてしまうんじゃないかと思ってしまう。
「おねえ――」
「もう二度と、この部屋に入ってこないで」
――え?
いきなり耳元でお姉さまの声がした。
振り向くと、成長したお姉さまが私を見下ろしている。
体が血塗れで、あの冷たい眼差しを向けてくる。
「話すことはないわ」
冷たい声で、冷たい言葉を浴びせてくる。
ドクンドクンドクンと心臓の鼓動が耳に響いて、喉が渇いて声が出てこない。助けられなかったお姉さまが目の前にいて、冷や汗が服の中を伝っているのを感じた。
違う。違うんです。
お姉さまを、私は、ただ、お姉さまを、
助けたかった、だけで。
『フィリア!』
□ □ □
誰かの声で、ハッと目を開けた。
ハアハアと荒くなった自分の息遣いを感じて、体が汗で気持ち悪くて、手を天井に伸ばしていた。
ここ、は……?
視界に入ったのは薄暗い部屋の中。ベッドサイドのテーブルに置いていた明かりがぼやけて見える。
え、あ、れ? ここ、どこ? お姉さまは?
ドクンドクンとまだ心臓がうるさい。さっきまでのお姉さまは? 血塗れ、あれ? 待って? いや、お姉さまは、生きて……? 死んで? 聖女? あれ?
頭の中が混乱する。色んな記憶がごちゃまぜだ。
ぼやける視界で、息もし辛い。
でも、その視界に黒い顔が覗き込んできた。
『大丈夫?』
「……ス、クル?」
『そうだよ』
心配そうなスクルの顔が、近くにある。
小さい黒い手が、頬に触れてきた。
『ずっと、ずっと泣いてたよ』
……泣いて?
ハアハアと息をゆっくり吸って、吐いて、パチパチと何度か瞬きを繰り返した。そっと重い腕を動かして、自分の頬を触ってみる。確かに、少し濡れている。
『今日のは一段と魘されてたから、さすがに起こした方がいいと思ってさ』
ペチペチと反対の頬をスクルが軽く叩いてきた。その感触が、やっと今のは夢だったと教えてくれる。
夢……夢か……。
夢で、良かった。
まだ頭が回らないけど、喉がもうカラカラと渇いていて、重い体を無理やり起こした。スクルが心配そうに『誰か呼ぼうか?』って声を掛けてくれたけど、その前に水が飲みたい。
サイドテーブルに視線を向けたら、水差しがあった。きっとアネッサが用意してくれたんだろうなと、ありがたくその水差しに入っていた水をそばにあったグラスに注いでゴクゴクと口に流し込んだ。
『落ち着いた?』
「う、ん……」
ぷはっと息を吐いてから、改めて周りを見た。ここは私とお姉さまの部屋だ。汗で体がべとべとしていて本当に気持ち悪い。
……えーと、なんでここに私いるんだろ? 確か、そう、確かお姉さまを探しに外へ――
そこまで考えて、ぼやけていた頭がさらにはっきりしてくる。思い出したと同時に、治まっていた心臓がドクンと跳ね上がった。
――お姉さま! そうだ! お姉さまを探さないと!
「スクル!」
『うん?』
「お姉さまは⁉ お姉さま、もう帰ってきてるよね⁉」
『ぅおっ! ちょちょちょっ! 全然落ち着いてないじゃん!』
ついスクルの体を持ち上げて揺らしたら、『揺らすなっての!』と足で突き飛ばされた。全然痛くないけど、簡単に私の体はベッドに背中から沈んでいく。あ、れ? 思ったよりも全然体が上手く動かないのを今更感じて戸惑ってしまう。
パチパチと目を瞬かせていると、スクルがまた顔を覗き込んできた。今度は呆れた目をしながら。
『無理だって。覚えてないの? 後先考えないで魔法使って、雨に打たれて風邪引いて、高熱出してぶっ倒れたんだよ?』
倒れた? 私が? じゃあ、お姉さまは?
『今は休んどきなよ。あんな大量の魔力を一気に使ったんだ。前に言ったよね? 今のフィリアの体じゃ負担がかかるって。それをまあ、あんな一気に無茶苦茶な魔法を使ったんだ。そりゃ起きれないよ』
「魔法……?」
『ハア。どんだけ無意識でやったの? フィリアがすごいのかバカなのか分かんない』
やれやれ仕方ないとでも言いたげにスクルが首を横に振っている。魔法を使った? 全く覚えがない。いや、そんなことより――
「ねえ、スクル? お姉さまは? 会いたいよ。私が倒れたからこの部屋にいないの? どこ?」
『どこまでいってもセレスのことしか頭にないよね』
ペチペチと額を軽く叩いてきて、『まだ熱あるか』と、知りたいことを教えてくれないスクルにイライラしてくる。
でもすぐに、スクルがジッと見下ろしてきた。
『あのさ、フィリア。先に言っとくね。やっと起きたところで申し訳ないんだけど、絶対ショック受けると思うけど』
「え?」
『……セレスはここにいないよ』
サアっと血の気が引いていく。
知りたいけど、知りたくないことを言ってくる。
お姉さまが、いない? じゃあ、どこに? いや、それよりも、じゃあ、探さない――
『でも、生きてる』
――はっきりと言ったスクルの言葉に、また無理やり起こそうとした腕が止まった。
『いないけど、ちゃんと生きてるから安心しなよ』
「いき、てる?」
『そうだよ。生きてる』
生きてるのに、いない?
安堵したのも束の間、バクバクと心臓の音が耳に響いてくる。
スクルがゆらゆらと尻尾を揺らしながら、心配そうに目元を歪めた。
『心配だろうけど、大丈夫だよ、きっとね』
「なん、で?」
『なんで分かるかって? セレスにね、馬車に乗る前に渡したんだ。一応お守りみたいな感じで』
「お守り?」
そういえば、確かに馬車に乗る前にお姉さまに何かをしていた。私の頭に乗って何をしていたのか分からなかったけど、お守りを渡していた?
『前にさ、フィリアが買ってあげたものあるでしょ? ネックレス。あれにね、魔法陣を仕込んだんだよ。いざという時に、セレスの魔力とあたしの今の体にある魔力が繋がるように。それと、セレスに結界がかかるように』
あのネックレスを? 魔法陣? 繋がる? 結界?
言葉を理解する前に、スクルは淡々と口を開く。
『フィリアも心配していたしね。万が一の保険にって。まさか役立つとはね。他にも一応できる限りの魔法陣は仕込んでおいた。でもそれらがちゃんと機能したかは分からない』
「わから、ない?」
『セレスの魔力次第だから』
お姉さまの魔力次第? 分からない。スクルの言っている意味も。
生きてる?
生きてるんだよね?
じゃあ、どうして、
どうして、お姉さまは今、ここにいないの?
「お、お姉さまは、どうしていないの?」
『……』
「生きてるんだよね? そうなんでしょ? じゃあ、なんで帰ってきていないの?」
生きてるだけでいいかもしれない。
でもさ、スクル。
生きてるなら、どうして帰ってこないの?
スクルが力なく首を振る。
『それは、セレスに聞かないとさすがにあたしでも分からない』
「な、なんで? 魔力が繋がったって言ったじゃん! じゃあ、お姉さまが今どこにいるのか分かるんだよね⁉」
『分かるのは、セレスの魔力の存在だけなんだよ。ちゃんとこの世界にあることだけ。どの場所にいるかまでは分からない。この体の魔力じゃ、それ以上の魔法はできなかった』
この体の魔力じゃ? じゃ、じゃあ!
「返す! 返すよ! スクルなら出来るよね⁉ 私の中の魔力は元々スクルのなんだし!」
だから! だからお姉さまを見つけて――
『できないって前に言ったこと忘れたの? 複雑に絡まれ過ぎて、どういうわけかフィリアの体に馴染んでしまってるって』
「あ……」
そう、だった。自分でも試した。渡せないかって。でも、無理だった。
事実を言われて、その記憶を思い出していると、スクルがフウと息を吐いた。
『でも生きてるし、多分、他にも色々とセレスの周りでは変化が起きてるから、あたしは当分何もしないよ』
――え?
「し、しないって?」
『探さない。生きてればいいし、セレスが死ぬことはもう絶対ないって分かるから』
「何、言ってるの、スクル?」
探さないと、見つけないと。
だって、お姉さまは今、一人なんでしょう?
そんなの駄目。
絶対駄目。
あの人をもう絶対一人にしないって、そう決めているから。
そばにいるって、決めているから。
ギュッとシーツを掴むと、その手の上にスクルが自分の小さい手を置いて、私を見上げてきた。
『フィリアは納得しないと思う。そうだよね。今すぐにでもセレスのところに行きたいだろうね。見つけてほしいと思うんだろうなってちゃんと分かるよ』
「っ……なら!」
『でもね、少し考えたいし、調べたいことが出来たんだよ。それはセレスにも関係するから、あたしは今はセレスを探しにはいけない』
お姉さまに、関係ある? だから探せない?
でも、お姉さまは今一人なんだよ?
「私は、私は今すぐにでも行く。探しに行く」
スクルが来れなくても、一人でも探しに行く。
『どうやって?』
「え?」
『その体で、どうやって探すの? フィリアが倒れたのは明らかにあたしの魔力を使い過ぎたせいだ。フィリアの体には強すぎるんだよ。今回は一ヶ月ぐらいで済んだけど、これ以上は耐えられないと思うよ』
――一ヶ月?
サアッとさらに血の気が引いていく。一ヶ月も、私は寝ていたの?
『息をするように、自分の思うようにフィリアは魔力を使える。だから魔法も使える。すごいと思うよ。知識がないはずなのに、どんな魔法もすぐに使えてしまうんだから』
ジッと、スクルが倒れる前に見たような目つきで見上げてくる。
『まあ、聖女だったから、なんだろうけどね』
――なん、で、知って?
『ずっと魘されてる時に言ってたよ。先生とか、教皇とか、聖女じゃなければよかったとか』
「魘されてた時……?」
『夢に見てたんじゃない? だから、ちゃんと調べたよ。あたしは聖女なんて存在知らなかったからね。この屋敷にあった本、伝承、あと教会にも行ってきたし』
「教会に……?」
『あったよ。フィリアが使っただろう魔法陣の記述が。多分、フィリアが先生って言っていた人の本じゃないかな』
「……先生に、会ったの?」
『いや? ただその本を見させてもらっただけ』
ハアと疲れたように息を吐いているスクルにバクバクと心臓がうるさいまま。
『あんな無茶苦茶な魔法陣をよく使ったね? 下手したらフィリア自身が消えていてもおかしくなかった』
それしか、方法がなかったから。
『でもこれでスッキリしたよ。フィリアには魔力がないのにどうしてその使い方を知っているか、とか、どうしてあんなにセレスの未来を心配しているのか、とかね』
二度も味わったから。
あの絶望感を。
あの苦しさを。
『だからかもしれないけど、きっとフィリアはその聖女時代の時の感覚のまま、魔法を使っている。その時のフィリアの魔力量は分からないけど、でも同じ使い方してたら、間違いなくまたすぐ倒れるよ。最悪、死ぬ』
死ぬ……? そんな大袈裟な、と言いたいけど、真剣な目で見てくるスクルに何も言葉が出てこない。
死ぬのはダメだ。死んだらお姉さまを探せなくなる。そばにいれなくなる。
どうしたら、と考え始めたところで、スクルがとんでもないことを言いだした。
『まあ、死ぬとまではいかないけど、一生起きれなくなるかもね。それぐらい魔力の扱い方は慎重にならないといけないんだよ。カンナだって、もういつ目が覚めるか分からない』
……え?
「ま、待って? カンナ? なんでカンナが?」
『……限界まで自分の魔力を使ってしまったんだ』
限界、まで?
『この世界の人はね、フィリア。本当は魔力がなくなっても生きていけないんだよ。多分、セレスを守るためだろうね。カンナの体にはもうほとんど魔力がない。普通は寝てれば治るんだけど、それが間に合わないぐらい一気に使っちゃったんだと思う。出血量も多かったし』
「そう、なると、どうなるの?」
『仮死状態みたいなものだよ。生きてるけど、体も脳も魔力がないって判断してるから動かないんだ。ただ眠り続ける。魔力が回復するまで待つしかない。いつになるかは、分からない』
いつになるかは、分からない? あのカンナが、いつ目覚めるか分からない?
でも、待って。それぐらいになるまで魔法を使ったってことだよね、それ? お姉さまを守るために?
息が詰まる。嫌な想像をしてしまう。
お姉さまは誰かに襲われた。あのカンナの状態がそれを物語っている。それは、今もなんじゃない? お姉さまは、今もその人から逃げている?
カンナのことも心配だけど、それよりもやっぱりお姉さまの心配が勝ってしまう。
――駄目だ。やっぱり駄目だ。待っていられない。今すぐ、今すぐにでもお姉さまのところにいかないと!
そう思ってベッドから抜け出そうとしたところで、力が入らなくなった。クラッと軽く眩暈がして、ベッド横の床に座り込んでしまう。ちょっと動いただけなのに、息をするのが難しい。
スクルが『だから言ってるのに』って言って、ぴょんと飛び降りてくる。
『無理だって。さっきだよ、目が覚めたの』
「で、も……でも、行かなきゃ!」
行かなきゃいけない。
お姉さまに危険が迫っているのなら、行かなきゃ。
でも手足が動かない。
自分の不甲斐なさに、胸の奥も苦しくなってくる。
ハアとスクルが溜め息をついた。
『やめときなよ。セレスを見つける前にまたフィリアが倒れるよ?』
「でも! だって! お姉さまは今一人なんでしょ⁉ カンナをあんな目にした人が近くにいるってことでしょ⁉」
『大丈夫だってば。あたしの魔法がちゃんとかかってるはずだから』
「大丈夫なんて、絶対言えないんだよ!」
思わず叫ぶと、スクルが何も言わなくなった。
でもね、スクル。
そばにいない状態で、大丈夫なんて言えないんだよ。
何が起こるかなんて、絶対分からないんだよ。
「そう、そう思ってたよ、私だって! 私だって大丈夫だってずっと言い聞かせてた! でも、でもっ!」
お姉さまは、死んでしまう。
「きっと大丈夫、あの未来に繋がることはしていないはず! そう! そう言い聞かせて、前もやった! でも、急に変わるの! 色んなことが変わるの!」
まるで、お姉さまの死は覆らないって言われてるみたいに。
「聖女だった時、私は助けられなかった! だから、絶対助けたいって思った! だけど、死なせてしまった!」
だから、だから、もう二度と失敗できない。
「今だって、こんなこと起こらなかった! この年齢の時に、こんなこと起こらなかったんだよ! でも、起こった!」
不安が込み上げる。
恐怖が染みこむ。
「今なんだよ、スクル! 今じゃないと駄目! 今、お姉さまを助けないと駄目なんだよ!」
あの温もりが、消えてしまわないように。
ハアハアと息を荒げてスクルを睨むと、スクルは目を閉じてゆっくりと息を深く吐いた。目を開けたかと思えば、またジッと見つめてくる。
『……助けられなかったから、助けたいの?』
「……え?」
『フィリアは、どうしてセレスをそこまで助けたいの? 二回も死なせてしまったから? 助けられなかったから?』
そ……そう、だよ? いきなり、何を……?
『自分の命よりも、セレスが大事?』
「そんな、の……そんなの当たり前じゃ――」
『どうして?』
――どうして?
どう、してって……それは……。
頭に浮かぶのは、お姉さまの顔。
全部が、お姉さまのことで占められている。
いつからだろう。お姉さまを思い出すようになったのは。
あの戸惑ったサファイアの目も。
あの銀色の髪も。
あの、温もりも。
初めて会った瞬間から、目を奪われた。
全部がお姉さまに釘付けになった。
何をしたら喜んでくれるかな。
どうしたら笑ってくれるかな。
今日はここに行ったよ。あそこに行ったよ。こんな人たちがいたよ。
お姉さまに伝えたら、どんな顔をするのかな。
悲しんでないかな。
痛い思いしてないかな。
なんで助けてって言ってくれなかったのかな。
会うたびに、胸が苦しくなった。
思い出すたびに、泣きたくなった。
抱きしめてくれた時、
その温もりに、嬉しさで涙が勝手に溢れた。
ポタっと涙が床に落ちた。
殿下の存在が嫌だった。
誰かと結婚するのが嫌だった。
私以外を見ているのが堪らなく苦しかった。
――どうして?
決まっている。
知っている。
気づいている。
「好き、だから……」
ポタリポタリと、涙が目から零れていく。
私は、
セレスティアお姉さまを、これ以上なく、
好きになって、しまったから。
姉妹愛じゃない。
家族愛じゃない。
もっと、もっと深く。
叶わない想いだけど、
届かない気持ちだけど。
あの人の目が、
手が、
温もりが、
存在全てが、
私の全てを占めている。
初めて会った時から、
お姉さま、
私は、
貴女のことが、好きなんです。




