50話 初めて、冷たく感じて
「大丈夫? 誰かに何か言われたりとかは?」
「平気ですよ。そんなこと言う人、この学園にいるはずないではありませんか」
学園からの帰り道、殿下はいつも屋敷まで一緒に馬車に乗る。私の魔力なしを心配しているらしい。
「殿下、お姉さまと一緒にいなくても?」
「ああ、大丈夫。セレスは一人がいいだろうから」
貼り付けられた笑顔を見ると、途端に不安になってくる。顔に出ていたのか、殿下は安心させるかのように微笑んできた。
「大丈夫だよ。セレスには他の干渉がないように勉強に専念してもらってるだけ」
「専念、ですか?」
そんな話、屋敷で言っていただろうか? でも、殿下とお姉さまが会話している所にいたことはないから……二人の間でそういう話があったなら、私も迂闊に言えないし。
学園に入っても、屋敷ではあまりお姉さまに会わないようにはしている。相変わらずお母様がお姉さまのことを目の敵にしているから。夜中にこっそり部屋に行ってるけど。
「婚約者だってことで、他の子たちに絡まれても嫌だろうしね」
それは……あるのかもしれない。殿下が話しかけてくると、それはもう注目の的になってしまうし。お姉さまはそういう皆の視線は嫌かも。
でも、殿下? 婚約者なんだから、それこそお姉さまのことそういう視線から守ってほしんだけども? 私は全然平気だし。
学園内では私もあまり殿下とは関わらないようにしている。お姉さまの婚約者なわけだし、私は私で忙しい。せっせと社交に勤しんでいたりする。そういう面でも助けられればって思って。
殿下の婚約者だからと、お姉さまはちょっと周りの子たちからは遠巻きにされていたから。
変に絡まれてほしくないし、誤解されたくない。それに、いざという時にお姉さまを守る味方が欲しかった。
殿下のおかげもあってか、屋敷内では子供の頃よりはお母様とジル達がお姉さまを虐げる場面は減った。それでも不安はやっぱり消えない。私が寝ている間は? 私がいない時は? 何かをされているのではないかという不安が常に付きまとっている。
だからといって、一緒にいることはできない。一緒にいれば、さらに酷いことをされるのをもう知っている。
「でもすごいね、フィリアは。魔力なしなのに、あんなにたくさんの友人に囲まれているなんて」
ニコニコと貼り付けた笑顔を浮かべて殿下が言ってくるから、ついパチパチと目を瞬いてしまった。
全然すごくないけど。だってこれ、聖女時代にやっていた他人との関わり方だもの。
『いいですか。聖女様はお淑やかに笑顔で人々に安心を与えなければいけません』
『うえ……』
『うえ、ではありません。話を聞くために耳を澄ませ、うんうんと人々の言葉に頷き、時には励ます。そうしておけば、聖女様に悪意を持つなんて輩は勝手に消えていきます。そうやって味方を作れば、事は運びやすいものです』
『なんか騙すみたいですね』
『騙すとはまた人聞きの悪い。確かにあなたは少し……いや、かなり突拍子もないことを訓練している時にしていましたし、歴代の聖女様たちとは性格も違いますが』
『先生、それ、貶してません?』
『……』
『そこで黙らないでほしいんですが⁉』
『オホン、ともかく、ニコニコと笑って話を聞いていればいいんです。反論はしない。印象さえよければ勝手に皆が騙されてくれます。セレスティア様の話はしないように。あなたの姉のことなんて誰も興味持っていません』
『騙すって言ってるじゃん⁉ あとお姉さまの話は先生にしか言ってませんよ⁉』
『言葉遣いもちゃんとするように』
そう言って私が誰かを治す時とかに、ジーっと近くで見張ってるんだもん。人を騙す――もとい他人に好印象を植え付けさせるのは、それはもう慣れたものだよ。
私が聖女だったなんて、今はもはや懐かしい記憶になりつつあるけどね。
そっと自分の胸に手を置いてみる。聖女時代にあった魔力がもう微塵も感じられない。今はもう慣れたけど、戻ってきた時は本当になくなったんだなぁと不思議な感じさえした。
魔力がなくても、人は生きていける。だから、殿下やお母様の心配は本当にいらないものだ。
タックは今日、何を作ってくれるだろうか? お姉さまにも同じもの食べてほしいんだけどな、なんてふと帰ってからのことを考えながら馬車の窓から外を眺めた時だった。
王都の街中で、見たことのある顔を見かけた。
どこにでもいるような母親と、その母親の荷物を持っている息子さんの姿。
『すごいすごい! 全然痛くない!』
『うそ、本当に……あ、ありがとうございます! ありがとうございます!』
『おねえちゃん、ありがとう!』
背が伸びて少し逞しくなった男の子と、あの時に治ったケガを見て嬉しそうだった母親。
……ああ、ほら。
やっぱり、ちゃんと、生きている。
聖女がいなくても、ちゃんと笑っている。
魔力がなくても、聖女がいなくても、この世界は生きていける。
「フィリア? どうかした?」
「え?」
「いや、笑ってたからさ」
笑っていた? 全然意識していなかった。
殿下に言われて、自分で頬をむにむにと触った。
ちょっと嬉しかったからかも。少し罪悪感を感じていたから。私がいなくなったら、助けた命はどうなるんだろうって。
――でもね、先生。やっぱり大丈夫だったよ。
皆、ちゃんと明日を考えて生きている。
またあの成長した男の子のことを見た。
「……だから、お姉さまも」
お姉さまのことも、助けられる。
いつか、いつか笑ってくれる。
「フィリア様、どこへ?」
「あ、うん。ちょっと。先に行っててくれる?」
次の授業で使う講義室までの移動時間、声を掛けてくれた子に一言言って、私は別の方向に足を動かした。
この先で、お姉さまが一人で授業を受けているはず。
最近は本当に令嬢たちの話を聞いたりお茶会に呼ばれたりと忙しくて、帰りも遅くなったりで屋敷でも滅多に顔を合わせられなかったし、ずっと寝顔しか見られてなかったから……ちょっとでいい。少しだけ話せないかな。話せたら、嬉しいけど。
久しぶりに声聞けるかも、なんて少し緊張しながら、お姉さまがいるであろう講義室をコソリと覗いて見る。
お姉さまはやっぱり表情が変わらないまま、淡々と教科書類を机の上に出していた。
講義室は広々としていて、お姉さま一人だけ。
……綺麗だなぁ。
久しぶりに明るいところで見たお姉さまに、見ているだけでキューっと胸が締め付けられる。
本当はね……? 少しだけじゃない。いっぱいいっぱい話したいよ。どんな些細な事でもいい。昔みたいに、私の話を聞いてくれるだけでもいい。
我儘かなぁ。
まだどうなるか分からないし、ちゃんと笑顔にできていないから。
「……我儘、かなぁ……」
今は開いた教科書を読んでいるのか、聖女時代はいつも見ていたサファイアの瞳は机の上に向けられている。
『いつでも、帰ってきていいから』
思い出される、昔の言葉。
帰りたいのは、あの屋敷じゃない。
お姉さま、私はね。
貴女のそばに、帰りたいよ。
今更帰れるわけないって思ってる。
そばにいたいなんて、そんなの我儘だって分かってる。
だって、私はあの時、助けられなくて。
あなたを苦しめているのは、私の母親で。
今も、全然笑顔に出来ていなくて。
でもね? でも、一度でいいんだ。
また、あの時みたいに、ギューってしてほしいよ。
「フィリア?」
名前を呼ばれてビクッと肩を震わせてしまった。え、誰? と思って振り向くと、殿下が目を丸くさせて私を見ている。
「殿下、何故?」
「何故って、フィリアこそどうしてここに?」
逆に問われて、あ、やば……って思ってしまった。今の私はただの覗きをしている人じゃない?
でも殿下は私の後ろの講義室を見てからクスリと笑った。
「セレスに会っていかないの?」
「い、いいんです。最近、家でも会えてなかったから、だ、大丈夫かなってちょっと思っただけなので」
「ふーん……」
どこか含み笑いをしている殿下にイラっとする。この分かってそうな顔が嫌だ。あと地味にセレス呼びが嫌だ。今回は殿下に一応お世話になってるから、そんな顔出来ないけど。
「じゃ、じゃあ私は行きますね」
「フィリア」
「はい?」
「君は、このままでいいの?」
いつもの作られた笑顔をやめて、殿下がそんなことを聞いてくる。このまま?
「どういう意味ですか?」
「分からない?」
え、分からない。
「君が裏でこんなに頑張ってること、セレスは知るべきじゃ――」
「だめです」
殿下の言葉を遮って、即座に否定した。また目を丸くさせて殿下は見てくるけど、そんなのはだめだ。
いきなり何を言い出すの、この人は。
お姉さまが笑えないのはお母様のせいだ。
自分の力じゃ何も出来ない自分のせいだ。
私が皆に呼びかけているのも、殿下に屋敷内での待遇を何とかしてほしいと頼んだのも、自分だけでは何も出来ないから。
そんなのは頑張りじゃない。
知らなくていい。
知ったら、優しいお姉さまは今以上に何も言わなくなる気がする。逆に、私には何もするなとか言う気もする。
耐える人だから。
我慢する人だから。
誰よりも、私がそのことを知っている。
「余計な事、言わないでくださいね」
頼んだこと以外は何にもしないでほしい。それに、頑張っているのはお姉さまの方だ。
昔は聖女の姉だったからかもしれない。
でも今は、殿下、あなたの婚約者だから頑張って勉強している。
こんなところで、一人で、でも何も文句は言わないで。
屋敷でも、お姉さまはずっと本を読んでいる。あの寂れた部屋で、黙々と。
政治の本。他国の本。文化、文明、王宮のしきたり。数多の学問を、誰かに言われたわけでもなく勉強している。
「フィ――」
「授業が始まるので、失礼します」
もうそれ以上殿下と話したくなくて、その場を離れた。
使い慣れた聖女スマイルを浮かべることも出来なかった。
私じゃなくて、お姉さまの頑張りを見てほしい。自分の婚約者が頑張っていることを、ちゃんと分かってほしい。
今は、あなたのためにあの人は耐えているはずだから。
ずっとずっと、殿下には話してきたはずなのに、それが分かってもらえてないことが、ただ悔しかった。
「フィリア様は殿下といるべきでは?」
「いきなり何を言ってるの、カーラ?」
お昼に皆でご飯を食べていた時だった。なぜかカーラがそんなことを言い出した。
「おかしいではありませんか。誰よりも殿下の近くにいるのに、どうしてフィリア様が婚約者ではないのですか?」
少し大きい声で話すものだから、周りにいる子たちが騒めいた。どうしていきなりカーラがそんなことを言ってくるのか分からなかった。
「あのね、カーラ? 何を勘違いしているのか分からないけど、殿下は私がお姉さまの義妹だから話しているだけだよ」
「ですが、殿下が近くにいるのはフィリア様です」
「そんなことない。屋敷でもね、殿下とお姉さまは二人で話して――」
「この前お邪魔した時、そんな素振りはありませんでしたよ?」
そう。つい最近、お母様の要望で学園の子を招いて、屋敷でお茶会をした。殿下も一緒にだ。もちろん、カーラも招いた。カーラと友達みたいになってからは、ずっと一緒にいるし。
でも、お茶会にお姉さまを参加させなかった。お母様が絶対何かすると思って。
それがこんな形で変な誤解をされるとは。
殿下の婚約者に私が? いや、絶対ありえない。
だって私は、殿下がお姉さまと一緒にいる時の、あの入っていけない空気を知っている。
「素振りも何も、殿下の婚約者はお姉さまだよ。お姉さましかいないと思ってるし、婚約者として色々と勉強しているお姉さまを尊敬している」
ずっと頑張っているお姉さまを知っている。
「誰よりも、殿下の婚約者にはお姉さまが相応しいよ」
「そんなことはありません! フィリア様は皆からの人望も厚く、誰よりも優しい! 王族の婚約者として相応しい人ではありませんか!」
「カーラ、変なこと言わないで。私は婚約者なんてこれっぽっちも望んでいないのだから」
殿下の婚約者なんてどうでもいい。なりたいなんて全く思わない。
でも、お姉さまには必要な人だ。結婚をすれば、お姉さまはきっと王宮に住む。王宮にいる人たちがどんな人たちかはさすがに分からないけど、でもお母様とジルたちがいるあの屋敷よりは絶対いい。
だから、今のカーラの発言ははっきり言って迷惑だ。
「それに、相応しいか相応しくないかで言ったら、お姉さまの方がすごい相応しいよ。誰よりも頑張り屋で、殿下の婚約者としての知識をいっぱい勉強している人だから」
「そんなこと――!」
「もうこの話は終わり。カーラ、他の人にそういう誤解をするようなことは言わないようにね」
「っ……」
話を打ち切ると、カーラはちょっと黙ってから、「失礼します……」と言ってどこかへ行ってしまった。その後ろ姿を見て、少し心配になってしまう。全然納得いってなさそう。
どうしたものかなと一口お茶を飲んでいたら、他の子が「あの……」と声を掛けてきた。
「カーラのこと……あまり信用しない方がいいです」
「え?」
「あの子、最近時に変で。フィリア様のいないところでも、他の子たちにああいう事言っていて」
……噓でしょ? もう言ってたの? 頭が痛くなってきた。私のことを慕ってくれているのは知っていたけど、だからってなんでそんな話に。「それに」と、その子は言葉を続けてくる。
「あの噂もありますし……」
「……噂?」
「ご存じないのですか?」
知らない。噂って何? 漠然とした不安が胸に広がりつつも、その噂の内容を聞いてみて、さらに頭が痛くなった。
殿下と私が惹かれ合っている。
お姉さまはそんな私に嫉妬していて、皆が見えない屋敷で虐げている。
殿下に冷たくしているのも、婚約者のお姉さまを蔑ろにしているから。
嘘八百もいいところだ。どうしてこんな根も葉もない噂が広がっているの⁉
バクバクバクと、意味の分からない噂と、お姉さまの悪評が立っていることに気づかなかったことに、心臓が騒がしい。
「……その噂って、皆が言ってるの?」
「わ、私たちは信じておりません! で、ですが、やっぱりフィリア様たちをよく知らない人たちからは、そういう声が――」
最悪だ。今まで私が言ってきたことが全部嘘になってしまう。私を知らない人たちからすれば、どっちが真実かなんてそう判断できるものじゃない。
それに、そんな噂がお姉さまの耳に入ったら、どう思うの?
きっとお姉さまは殿下のことが好きだ。ううん。好きかどうかはともかく、信用はしているはず。
私は、悲しませたいんじゃない。
お姉さまの今の状況を変えたくて、お母様たちの手の届かない場所に行ってほしくて。
そうすれば、きっとお姉さまの命は助かる。
助かれば、その先に笑う未来だってあるはずなんだ。
たとえその未来を、私が見ることは出来なくても。
なのに。
「フィリア様?」
「噂は出鱈目。あなたも、他の子たちに何か言われたら否定して? カーラには私から言うから」
「え、は、はい!」
すぐにその場を離れて、カーラを追いかけた。
焦燥感と、苛立ちと、漠然とした不安。
聖女じゃなくなって、
出来ることが限られて、
声も全然お父様たちに届かなくて、
でも、大丈夫だって、何度も心の中で言い続けてきた。
お姉さまの状況は良くなっている。
このままいけばお姉さまは殿下と結婚して、お母様たちがいる屋敷からいなくなって、命が助かる。
そう信じてきた。
信じて動いてきた。
本当は、そばにいたかった。
話したかった。
殿下に頼るんじゃなくて、ちゃんと自分で守りたかった。
温かい食事も与えて、
傷ついていたら、治してあげたかった。
あの時、抱きしめてくれた代わりに、
私からあの人を抱きしめたかった。
でも出来ないから。
そんなことをしても、お姉さまは助からないと思ったから。
聖女でもない、何も出来ない自分では、お姉さまを笑顔にできないと思ったから。
だから、私は今お姉さまのそばにいることを選ばなかったのに。
ドッドッドッと心臓がずっと嫌な感じに鼓動を叩いてくる。背筋が冷えるかのように、冷たい汗が体に纏わりつく。
大丈夫だと言い続けてきた言葉が、足元から崩れていく感覚が広がっていく。
『選ぶのは、あなたです』
先生の言葉が思い出された。
『ですが、どんな道でも選べば、その責任はあなたが取る』
どんな道でも、責任は自分で取らなければいけない。
私が選んだのは、お姉さまのそばにいないこと。
そうすれば、お姉さまを守れると思ったから。
だけど、
間違いだったのかな。
「もう二度と、この部屋に入ってこないで」
いきなり魔力が暴走したのかお姉さまの部屋が氷漬けになって、駆け付けた私を見てきたサファイアの瞳が、
初めて、冷たく感じて、
息が出来ないくらい、苦しくなった。




