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46話 望んでいます


 先生に休むように言われて、実家に帰らずに教会で与えられた自室でボーっとしていた。


 別に帰っても良かった。

 でも出来なかった。


 お姉さまに会いたいけど、今更どんな顔をすればいいのか分からなかったから。


 聖女の力以外何もないんだって気づかされて、そんな自分が情けなくなって、だからなんとなく会い辛い。


 毛布の中でモゾモゾと動くばかりで、でも特に何もする気にはなれなかった。


「……何やってるんだろ、私」


 ハアと息を吐いて、でもやっぱり何かをやる気にはなれない。休みの日に特にすることが思い浮かばない。


 いつもはどうしてたのかを思い出すと、実家に帰っていたことしか思い出せなかった。でも今はほとんど帰っていないから、それももう遠い記憶だ。


 それに、今帰ったところでお姉さまに会える保障なんてない。王子様の婚約者でやることが一杯の人なんだから。お姉さまが婚約者になってから、会えない時なんて何度もあった。


 ゴロンと寝返りを打って、自分の顔に腕を乗せる。その腕の重さが疲れた目にはちょうど良い。せっかくだからと歴代聖女様の魔法書を読んでいたせいだと思う。


『あなたの希望は何ですか?』


 先生の言葉が蘇って、そして思い知らされる。

 休みに入って、何度もあの問いかけが頭を巡る。


 私の希望って何だろう?

 何の希望もない私が、誰かの希望になることが出来るの? 希望を知らないのに?


 私が聖女でいる意味は?

 皆が望む聖女って何?


 答えのない疑問が次から次へと溢れてきて、苦しくなる。


「何にも……分からないや」


 分からない自分がおかしくなってくる。もう何年も聖女としてやってきたのに。


 今まで傷を癒してきた人たち。

 喜んでいた人たち。


 あの人たちは、私に安心を求めていた。

 希望を求めていた。


 明日を歩くために、私に希望を求めていた。


 先生の言葉を借りるなら、そうなんだろう。


 でも先生? 安心は誰かに与えられるものなのですか? 希望を誰かに与えられないと、その人たちは明日を生きられないのですか?


 そんなの……そんなの、やっぱり道具じゃないんですか?

 先生は聖女は道具じゃないって言ったけど、本当にそうなんですか?


 道具と希望の違いがもう分からない。

 分からないからこそ、恐怖が湧く。

 今まで傷を癒してきた人たちと喜んでいた人たちの顔が、純粋に嬉しいと思えない。


「……疲れた」


 考えるのも、自分に何もないのも、聖女のことも。

 

 全部、全部疲れた。

 もう考えたくない。


 腕をどけて、ボーっと天井を見つめた。休みはくれたけど、でも予定も詰まっているはずだ。先生が無理やり休みをくれたんだから、またすぐに聖女としての旅が始まる。


 また笑顔を浮かべるのかな。

 別に嬉しくもないのに。

 また言われるのかな。黙って治せばいいとか。

 別に自分から治したいと思っているわけじゃないのに。


 そういう風に考える自分が堪らなく嫌だ。

 他に何も出来ないくせに。


「っ……」


 聖女であることが嫌で嫌で仕方がない。


 歴代の聖女様たちは、どうして皆の希望であることを受け入れたんだろう。


 誰かの希望? 知らない人なのに? なのに、どうして聖女としてその力を振る舞えたんだろう?


 あったのだろうか。

 皆、

 今までの聖女様たちは皆、


 明日を歩くための希望が。


 そうなれない自分が情けなくて、勝手に涙が零れてくる。そんな自分が悔しいのか、そう思えない自分が悲しいのか、もう分からない。


 考えるのに疲れたのに、ずっとずっと、同じことが頭の中を駆け巡る。


 声を殺して、涙を流す。


 この頭の中の考えを、

 嫌な気持ちを全部流してくれますように。


 そんな願いを込めて、どうせ誰もいないんだからと、毛布を頭から被って泣いていた時に、


 キイッと扉が開いた音がした。


 ……先生?

 ここには基本先生しか来ない。教皇様に会う時は逆に教皇様の部屋に呼び出されるし。


 なんかあったのかな? 急遽行かなきゃいけないところが出来た?


「……寝てるの?」


 ――ヒュッと息を呑んだ。


 この声、ずっと聴いていなかった声。どうして、ここに?


 ギシリとベッドが軋む音がして、そっと肩に手を置かれたのを感じた。そのぎこちない手の触れ方が、変わらないなと少し嬉しくなる。


 毛布の中で涙をグイっと拭って、少しだけ顔を出してみた。


 視界に入り込んできたお姉さまはちょっと大人びていて、でも前と同じように戸惑ったような表情で見つめてくる。


 ずっと思い出していたサファイアの瞳が、私をちゃんと映していた。


「……起こした?」

「大丈夫です。寝ていませんよ、お姉さま」


 体を起こして、無理やり笑顔を作った。泣いてたなんて知られたら、この人は心配するかもしれない。


 久しぶりに見たお姉さまはさらに綺麗になっていた。部屋の明かりに煌めく銀髪が照らされて、まっすぐにその綺麗なサファイアの瞳を向けてくる。


 ……やっぱり、会いに帰れば良かった。


 さっきまで苦しくて悲しくて、だから泣いていたのに。


 なのに、会えただけで今は胸の奥が温かい。


「お姉さま、どうしてここに?」

「……来るように言われたから」


 言われた? 誰に?


 さっぱり見当がつかないでいると、お姉さまも首を傾げていた。


「あなたが、苦しんでいると」


 ……きっと先生だ。私が馬車で泣いていたのを、あの人だけは知っている。あの時、先生は珍しく心配そうだった。私の今更ながらの質問にも、優しく説いてくれた。


 思い悩んでいるのを、絶対気づいている。

 だからといって、何故お姉さまを呼んだのかは分からないけども。


「……泣いてた?」


 先生がどんな考えでとつい頭を巡らせていると、お姉さまの指先が目元に触れてきたから思わず顔を上げてしまった。なんで知って……? 目をパチパチと瞬いて見つめると、心配しているように、お姉さまが眉を顰める。


「目、赤い」


 ……そんな顔させたくないから、バレたくなかったのにな。


 無理やり口角を上げて、首を横に振った。


「まさか。だって私は聖女ですよ? 疲れていただけです。それにさっきまで魔法書を読んでいたから」

「……そう?」

「はい」


 泣いていた目を見られたくないから、顔をつい俯かせる。

 心配させたくない。お姉さまには笑ってほしい。まだ一回も見たことないけれど。


 話題、何か。いっぱい話したいことあったんだけどな。


「お、お姉さまは元気でしたか? 王宮で婚約者として励まれているとお母様からずっと聞かされてて」

「……」

「殿下とも仲睦まじいって、前に手紙に書いていましたよ。あはは、良かったです」


 あ、やばい。自分で言ってて悲しくなる。殿下と一緒にいるところを想像しただけなのに。あの自分以外を見ていたお姉さまの姿を思い出しちゃう。


 あの寂しい気持ちを、今は思い出したくないのに。

 せっかく、お姉さまと会えたのに。


 さっきとは違う嫌な気持ちを出さないように、毛布をギュッと手で握りしめた時、お姉さまがポツリと呟いた。


「……無理して、笑わなくていいから」


 予想外の言葉に、手が震えた。


 ……どうして?


「今、苦しいの?」


 ……どうして、そんなことを今言うんですか?


「あなたは……そんな風に今まで笑ったことなかった」


 そんな、風?


「こっち、見て」


 そっとお姉さまの手が両頬に添えられて、顔を上げさせられる。「ほら」とお姉さまが言った。


「やっぱり、泣いてた」


 気づかない内に、目尻から涙が零れていた。あれ? なんで?

 お姉さまの手の温もりを頬に感じて、胸の奥がさらに苦しくなる。止めようとしても、勝手に涙が溢れてくる。


「無理しなくていい」


 ふわりと、お姉さまが腕を背中に伸ばしてきて、ぎこちなく抱きしめてきた。


 暖かい温もりが、私を包んでくる。

 その温もりが、さっきよりもっと胸を締め付けてくる。


 震える手で、お姉さまの服を掴んだ。


「あなたが今まで頑張ってきたこと、ちゃんと知っているから」


 耳元で、お姉さまが伝えてくる。


 涙が止まらない。息が苦しい。


 どうして……。


「ちゃんと、分かってる」


 どうして、この人が、分かってくれているんだろう。

 どうして、欲しい言葉を今、伝えてくれるんだろう。


 どうして、今、この温もりを与えてくれるんだろう。


 分かってくれていることが、嬉しい。

 伝えてくれたことが、嬉しい。


 この温もりが、今はただ嬉しい。


 その温かさに絆されるように、涙がどんどん流れていく。


 聖女としての在り方とか、今はどうでもいい。

 他の誰かの希望になることなんて、私は望んでいない。


 ――ああ、そっか。

 私、分かってほしかったんだ。


 頑張ってること、無理してること、自分が望んでいないこと。


 聖女としてじゃない。皆に私を私として見てほしかった。傷を治したのも、瘴気を消していたのも私だよってどこかで思っていたんだ。


 褒めてほしかったのかもしれない。聖女じゃなくて私を。

 認めてほしかったのかもしれない。私自身を。


 『あんたはただ治してくれりゃいいんだよ』


 だから、道具だって思った時、否定された気がした。今までの頑張りを。今までの我慢を。


 苦しかったよ。

 嫌だったよ。


 笑いたくないのに、笑わなきゃいけないのも。

 道具として見られたのも。


 お母様だって聖女はどうでもいいとか言っていたけど、でも聖女としての仕事をするようになってからは、「さすがは聖女ね」と言うようになった。

 お父様だって教皇様に反対してたのに、聖女だから仕方ないという目で見てきた。


 全部、全部、嫌だったんだよ。


「頑張ってる。あなたはちゃんと」


 それを認めてくれた。

 他ならないお姉さまが。


 お姉さまだけが、私を私として見てくれていた。

 お姉さまだけが、今まで聖女としての私じゃなく、ただ静かに私自身の話を聞いていた。


 今までのお姉さまを思い出して、堪らなく嬉しくなった。


 抱きしめてくれたまま、お姉さまが背中を撫でてくれる。その温かさが嬉しくて、お姉さまの肩に顔を埋めた。



『あなたの希望は何ですか?』



 ……先生。

 これは希望になりますか?


 この温かさを失いたくないです。

 明日も明後日も、この温もりを感じたいです。


 これは明日を生きる希望になりますか?


 殿下の婚約者だけど、この人だけがまっすぐそのサファイアの瞳で見てくれるんです。


 この人だけが、私に今欲しい言葉をくれたんです。

 この人だけが、私が今一番欲しい温もりを与えてくれたんです。

 この人だけが、私が無理して笑っていることを気づいてくれたんです。


 この人だけが、私を、ちゃんと見てくれているんです。


 ギュッと強くお姉さまの体を抱きしめる。でもやっぱりお姉さまは引き離さないでそのままでいてくれる。泣いている私の背中をぎこちなく撫でてくれた。


 願っちゃだめですか?

 聖女は望んじゃいけませんか?


 たった一人の温もりを、望んではだめでしょうか?


 ――でもね、先生。

 私は、この温もりがあれば頑張れる気がするんです。


 殿下の婚約者で、お姉さまには幸せな未来があるのは分かっているけど、でも時々でいい。この温もりをまた感じたい。


 皆の前では、聖女としてやるから。

 聖女の仕事をちゃんとするから。


「お姉さま……」

「……何?」

「ありがとう」


 少し体を離してからお姉さまを見ると、パチパチと目を瞬かせていた。それがちょっとおかしくて笑ってしまう。


「今日来てくれて、ありがとうございます」

「平気?」

「すごい、元気貰いました」


 ちゃんと笑えてるかな? どうかな?


 きっと泣き腫らしている目で見上げると、お姉さまはさっきより表情を和らげて私の目にかかっていた前髪をどけてくれた。無理して笑ってるわけじゃないって、分かってくれてるのかな?


「いつでも、帰ってきていいから。大丈夫だから」


 そんな嬉しいことをまた言ってくれる。


 ああ、適わないなぁ。


「じゃあ、また帰ってきた時は会ってくださいね?」

「……ええ」

「……また今みたいに、ギューしてもらっていいですか?」

「あなたが、それを望むなら」


 望んでいます。


 貴女のこの温もりを。

 貴女のその声を。

 貴女のその見つめてくれる瞳を。


 また自分から抱きついて、ギューッと強く抱きしめる。お姉さまの手が背中をあやすようにポンポンと撫でてきた。


 あったかい。


 ずっとじゃなくていい。

 この一瞬があるのなら、私は明日が怖くない。

 この温もりをまた感じられるなら、まだ頑張れる。


 そう思った。



 そう確かに思った。



 だから頑張れたよ。

 次の日からまた聖女の旅が始まったけど、私、ちゃんと聖女としてやれたと思うよ。やっぱり皆は私を聖女としか見なかったけど、でも前を向けたよ。笑顔を皆に向けられたよ。先生だって、「聖女らしくなりましたね」って褒めてくれた。


 お姉さまに会えない日がやっぱり続いたけど、でもね、次会った時はいっぱいギューってしてもらうんだって、下を向かなかったよ。



 お姉さまのあの温もりが、ちゃんと私の希望だった。



 また感じられると思った。

 またあの瞳を向けてくれると思った。


 お姉さまに何が起きているのかも知らずに、勝手に願っていた。


「これだったら、今度休みをあげられそうです」

「本当ですか⁉」

「ええ。久しぶりに教会に帰りましょう」

「はい!」


 帰りの馬車で先生が苦笑していた。お姉さまに手紙を書こう。お母様とお父様にも。あ、そうだ。お姉さまにも教えてあげよう。さっき行った領地の、あの湖と色とりどりに咲き誇っていた花々の景色の事。いつか一緒に見られたらいいなぁ。


 またあの温もりに触れられると、信じて疑わなかった。


 でも、



 教会に着いて、教皇様が私に告げた。



「……セレスティアお嬢様が亡くなりました」



 目の前が絶望で真っ暗に染め上がった。


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