45話 あなたの希望は何ですか?
「はあ? 聖女様ってだけで偉そうに。あんたはただ治してくれりゃいいんだよ」
そんなことを言われたのは、訪れた町でいつものようにケガを治していた時だった。
あれから、国中の村や町を訪れる日々が始まった。他国にも行った。行く先々で、病人や怪我人を治し、瘴気を消していった。
最初は皆の喜ぶ顔が嬉しかった。でも今はもはやただの作業だ。嬉しい気持ちよりも、次はどこの町に行くのかに思考が持っていかれる。知らない町に行き、崇められ、治し、瘴気を消す。その繰り返し。
でもやらなきゃいけなかった。
だって聖女は私一人しかいないから。
その度に、先生は「過信してはいけない」と言ってきた。
……もう何年もまともにお姉さまとも会えていない。お母様ともお父様とも、まともな会話もしていない。
自分の自由が無くなったから、余計ストレスが溜まっていたのかもしれない。
だから、酒屋で喧嘩になって足をケガしたというその人に笑顔で言ったのだ。
『こんなケガしていると家族が悲しみますよ』
私のその言葉に、その人は酷く顔を歪ませて、さっきの言葉を私に言い放ってから荒々しく椅子から立ち上がり、周りにいる人たちを押しのけて部屋から出て行った。
取り残された人たちが「そんなことありません」とか、「私たちは皆あなたに感謝しています」とか言っていたけど、私はポカンとその人が出て行った扉を見つめることしか出来なかった。
『あんたはただ治してくれりゃいいんだよ』
その人の言葉が、何度も頭の中に繰り返し響いていた。
「……先生」
「はい」
また違う町に向かうための馬車の中で、窓の外を眺めながら先生に口を開こうとして、でも閉じた。何を聞けばいいのかも分からなかったから。
「何ですか?」
呼びかけたのに何も言わない私に、先生が不思議そうに聞いてくる。でもすぐに溜め息をついていた。
「……さっきの町でのこと、聞きましたよ。私がいない時はあまり他の人と話さないようにとの言いつけを破りましたね?」
「……」
「あなたは悪くありませんよ」
怒られるかもと思ったのに予想外のことを言ってくるから、思わず窓の外から先生の方に視線を向けてしまう。珍しく困ったように先生は微笑んでいた。
「あなたは悪くない。その人が勘違いをしているに過ぎません」
「勘違い?」
「聖女様は世界に神が遣わしてくれた人々への救済です。道具ではない」
『道具』と言われて、そこでやっと自分の中で出てこなかった言葉に当て嵌まった気がした。
道具。
聖女は道具。
でも今、先生は道具ではないとはっきりと言った。
なのに、どうしてこんなにモヤモヤとしてしまうんだろう。
「あなたは誰かを治す道具ではありません。だから堂々としていればいい」
「堂々と?」
「ええ」
堂々と……結局、今までと同じように繰り返せばいいのだろうか。歴代の聖女様と同じように、慈愛の心を持って癒しの力を使い、人々の笑顔に喜びを感じて、皆を守るために危険が起こる瘴気を消して。
……いつまで?
そんな疑問を持った時に、ゾワッと背筋が震えた。
ずっと、このまま、私は誰かを治していくんだろうか。
その人たちの笑顔に喜びを感じて。
ずっと、このまま、瘴気を消していくのだろうか。
人々が危険に冒されない為に。
ずっと、ずっと、ずっと……。
言い知れない恐怖が体を駆け巡っていく。血の気が引くのが分かった。
先生も分かったのか、「大丈夫ですか?」と聞いてくる。
「……疲れが溜まっているのでしょうね。帰ったら教皇様にお願いして休暇を取りましょう」
「……え?」
「そんな顔で、誰も癒すことなどできませんよ」
心配そうな表情の先生は初めて見た。
でも、それよりも、今感じている漠然とした恐怖が体を蝕んでいくのを感じる。
先生。
ねえ、先生。
聖女は本当に道具じゃないんですか?
誰かを治すためだけの存在ですか?
瘴気を消すためだけの存在ですか?
ギュッと目を瞑って、今まで治してきた人たちのことを思い出してみる。
皆が笑顔だった。
それが嬉しく感じたはずだ。
だけど、ねえ……。
本当にそれ、聖女が必要だった?
転んでケガをした。痛そう。可哀想。だから治した。
でも、そのケガは薬草でも治るのでは?
喧嘩をした。お互いボロボロだ。血が出ている。痛そう。可哀想。だから治した。
でも、それ、自分たちの喧嘩が原因だよね? お医者さんもいるんだけども。
事故にあった。麻痺している。動けないのは可哀想。だから治した。
でも、ずっと動かすために頑張っていたんだよね? お医者さんも頑張れば治るって言ってたんだよね?
瘴気が出ている。周辺の動物が魔物になった。大変だ。危ない。じゃあ、元の場所を浄化しなきゃ。
でも皆、今まで瘴気が出てもその魔物たちを倒してたんだよね? 対策を考えて、鍛えて、対応してきたんだよね? 結界だって貴族の魔力で保たれてるんだから、そんな酷い瘴気じゃないよね?
ねえ、皆。
それ、本当に聖女がすることだった?
私がやらなきゃいけないことだった?
一度出てきた疑問が、次から次へと溢れてきて止まらない。
聖女という存在意義が分からなくなる。
聖女がいなくても、世界は回るんじゃないかって思えてくる。
でも、じゃあ、どうして私は今まで頑張ってきたんだろう?
それすらも、分からなくなる。
「先生……」
「はい」
「聖女って……なんですか?」
「……」
何度も何度も、私が教会に来てから先生は『聖女』の意味を説いてきた。今更の私の質問に怒られるかもとも思ったけど、先生は怒るわけでもなく、目元を緩めている。
「聖女様は、希望ですよ」
希望。希望?
「明日を生きるための希望。いざという時に頼れる、そういう存在がいることが大事なのです。その存在があることで、明日を歩くことが出来る」
明日を生きるための希望。
「癒しではないのです。瘴気を消すことでもありません。聖女様の本質は、希望を与えることなのです」
希望を、与える?
「誰もが一歩を踏み出すことを怖がります。その道が正しいのか、間違っているのか、分からない。分からない未来を歩くのは、誰だって怖いものなのです」
穏やかな先生の声。でも初めて、私は先生の言葉を聞いている気がする。
「私は常にあなたに伝えてきました。聖女様は安心を与える存在だと。傷を癒すのも、瘴気を消すのも、手段にすぎません」
「……手段」
「人が求めているのは安心です。その時だけ必要な道具ではない」
ふうと息を吐いて、先生がまっすぐ見つめてくる。
「……怖いですか?」
「え……?」
「人々の希望になることが。その手を引っ張っていくことが」
ゴクリとつい唾を飲み込んだ。さっきから喉はカラカラと乾いている。
怖い。
正直怖い。
私にそんなのできっこない。
ずっとずっと思っていた。
私なんかが聖女様みたいなこと出来ない。
皆の描く未来の為に、安心を与える存在になんてなれるはずがない。
今までは、聖女の力が私にあったから使ってきただけだ。
その力を使えるのが私だけだから……だからやってきたにすぎない。
希望を与える? そんな大それたことなんてしていない。
傷を治せば皆は喜ぶ。
瘴気を消せば皆が笑う。
ただそれだけ。それだけだった。
ギュッと膝の上に置いた拳を握ってしまう。私の考えていることなんか見通しているような先生の目を見れなくて、つい顔を俯けた。
「怖くていいのですよ」
先生が意外なことを言ってきたから、またすぐ顔を上げると、穏やかに微笑んでいた。
「人々の希望になれ、なんて、怖くて当然のことなのです。知らない誰かの為にその身を削り続けるなんて、どんな人でも出来ることではありません」
……いいのかな? 怖いままでいいのかな? だって、皆が求めるのはこの先の安心なんでしょ?
私の不安に気づいているのか、先生は構わず微笑んだまま言葉を続けてくる。
「今は立ち止まるべきかもしれませんね。聖女様の本質は希望を持たせること。その為に安心を与える。ですが、聖女様が希望を持てなければ、本末転倒です」
私が希望を……?
「聖女様。いいえ、フィリア様。あなたの希望は何ですか?」
先生のその問いかけが、胸をさらにザワつかせた。
私の希望?
そんなこと考えたことなかった。
考えたことないから、全然思いつかない。
ずっと毎日毎日知らない人に会って、笑顔を浮かべて、傷を治して、魔物が出ないように瘴気を消して……
お姉さまにも、もう随分と会えていなくて。
ツンっと鼻の奥が苦しくなる。
聖女であることが苦しくなった。
聖女が私である必要も全然感じない。
今更ながら、気づかされるなんて。
希望なんて、私は最初から持っていなかった。
ただただ言われるがままに、状況に流されて、私は今ここにいる。
その事実が、胸を苦しくさせてくる。
勝手に涙が込み上がってくる。
私のしたいことって何なんだろう?
聖女でいること? 皆を喜ばせること?
何を信じて、何を希望に持てばいいんだろう?
……分からない。
分からないよ。全然、分からないよ。
『ここは……あなたの帰る場所だから』
ふと、いつかのお姉さまの声が脳裏を過る。
……会いたいな。
会って、話をしたいな。
話、聞いてくれるのかな?
今、お姉さまは何をしているんだろう? 今でも私のことを家族だと思ってくれているのかな? 最後に会ったの、いつだっけ?
思い出すのは子供の頃の戸惑った姿。
それでもまっすぐ見つめてくれるサファイアの瞳。
――会いたいよ、お姉さま。
聖女の重圧とか、聖女の力以外何も取り柄がない自分とか、思い出して会いたくなったお姉さまのこととか、色んな感情でぐちゃぐちゃになってくる。
先生の問いかけに答えられないで涙が零れている私に、先生は追及するでもなく、ただ静かに何も言わないでいてくれた。




