42話 聖女の力
「何……これ?」
意識が戻った私の第一声がそれだった。
起きた私にお母様は抱き着いてきて、お父様もお姉さまもどこか安心したような顔をしていた。
でも、それよりも気になるのは。
「お目覚めになられたようで安心しました、聖女様」
ズラリと大勢の大人たちに囲まれているこの光景。その代表者なのか、一人老齢でめちゃくちゃ高価そうな礼服に包まれた人に頭を下げられた。
いや、誰? と思う暇もなく、お父様の舌打ちが聞こえてくる。
「無事だと分かっただろう? 今は帰ってくれ」
ものすごく嫌そうなのが全員に伝わるであろう低い声だったのに、頭を上げた人はニコニコとした顔でお父様に向き直っていた。
「侯爵。これは古よりのしきたり。あなたもよくご存じでしょう?」
「フィは今やっと起きたところだと分からないか? 連日大勢で許可なく屋敷に入ってくることがしきたりだなんて、誰が思う?」
「ええ、ええ。侯爵のお怒りも御尤もなのですが、いかんせん、我ら教会に属するものが待ち望んだ聖女様なのです。いえ、この世界に住む人々が待っていた。我らはご神託によりここにいることをお忘れなく」
そう言って、また深々とその人がお辞儀して、周りにいる人たちも同じようにお父様に頭を下げている。
そんな光景を呆然と見てしまったけど、いやいや、ちょっと待ってほしい。ご神託? いや、それよりも聖女とか言ってなかった? 誰が?
全く今の状況もその言葉の意味も分からずに混乱していると、お姉さまがベッドの上で放心している私の手を握ってくれた。お母様がそれに気づいたのか、お姉さまの手の上から自分の手を重ねて、微笑んでいる。
「セレス、ありがとう。そうよね。私たちじゃないわよね。一番困ってるのはフィよね」
「……」
コクンとお姉さまがお母様に対して頷いている。クスリと笑ってから、またお母様が私の方に向き直ってくれた。
「フィ、あのね。驚かないでほしいんだけど」
「? はい」
「セレスの手を治したことを覚えている?」
お姉さまの手? 治した?
チラリと握ってくれている手に視線を落とした。そうだよ。私が転ばせてしまってケガさせちゃったんだった。あ、本当に治ってる。よかった。
「お姉さま、良かったです。もう痛くありませんか?」
「……大丈夫」
「でもこんなすぐ治るなんて。大した傷じゃなかったってことですね。お母様、どんなお薬使ったんですか?」
私が寝ている間に手当てしたんだろうな。すごいなぁ。こんなすぐ傷がなくなる薬なんてあるんだなぁ。って素直に感心してお母様に聞くと、今度は困ったように笑っていて、とんでもないことを言いだした。
「あなたが治したのよ、フィ」
……はい?
「どうやって?」
「魔法を使ったの」
「誰が?」
「だから、あなたよ」
お母様の言葉が全く頭に入ってこない。パチパチパチと目を瞬かせて、今度はお姉さまの方を見た。見るからに戸惑っている表情だった。
魔法を使って治すだなんて……それってまるで聖女様の話みたいだなぁ。
「お母様、なんかそれって聖女様みたいですね」
「……ええ、うん。だからそうなのよ?」
「聖女様が近くにいたってことですか?」
「だからね、あなたが、そうみたいなのよ」
「あはは、何を言ってるんですか、お母様? 私、普通の子供ですけど?」
「そうね。そうだったら良かったんだけどね。でも、間違いなくあなたなのよ」
いやいやいや、お母様ったら。何を言っているのかなぁ? 聖女? 私が? 私、が……?
「木登りする聖女なんているはずないじゃないですか⁉」
「「「木登り⁉」」」
静かになっていた大人たちの驚愕している声が同時にいっぱい聞こえてきたけど、それどころじゃない! 私が聖女って何⁉
お母様は困ったように笑って、お姉さまは私とお母様を交互に見ながら戸惑っていて、お父様は「木登りは危ないぞ」とか今絶対言う必要ないことを言っていた。そこじゃないでしょ、お父様⁉
さらに混乱する頭に、お母様が優しく手を置いてくるけど、そんなのに構ってもいられない。驚いている周りの人なんかより、聖女とか言っているお母様の方が信じられない。
「お、お母様? 何を言ってるんですか? 私が聖女だなんて、そんなことあるわけないでしょう?」
「うんうん、そうよね。戸惑うわよね。私もね、まさか何度も何度も注意しているのにも関わらず、親の心配を跳ね除けて木登りするような子がね、聖女の力を持っているなんて全く思っていなかったのよ」
あらあらとどこまでもおっとり笑っているお母様に呆然としてしまうんですが⁉ なんでお母様、そんなに冷静なの⁉
「でもね……自分の目で見てしまったから、信じることにしたわ」
「自分の目?」
「フィがセレスの手を治しているのをよ。信じるしかないわよね」
そんなあっさりと。しかも自分で治したとか全く信じられないんだけど。
じゃあお姉さまだ、と思って、お姉さまの方を見てみるけど、やっぱりお姉さまもどうすればいいのか分からなそうに、私とお母様、それに周りにいる人たちに忙しなく顔を動かしていた。
「お、お姉さま。お姉さまも何か言ってください。私が治したとかおかしいじゃないですか」
「? 治してくれた」
お姉さままであっさりと⁉ だから、それは私じゃないかもしれないじゃない⁉
「聖女様はあなた様で間違いございませんよ」
笑いながら、お父様に頭を下げていた人まで援護してくる。……まず、この人たち誰⁉ そうだよ、なんでここにいるの⁉
今一番聞きたいあなたは誰ですかという疑問を口に出す前に、その人がまた深々と頭を下げてきた。今度は私に。
「先日、教会にある魔道具に反応がありました。それは聖女の力の目覚めを知らせる魔道具でございます。その魔道具の導きにより、我らはここに馳せ参じたわけでございます」
「いや、えっと、あの……」
「あの魔道具はいわば神託に近いのです。それすなわち神の御意思。古より定められたしきたりにより、教会は新たな聖女様を保護しに参りました」
……ほご。保護? 保護⁉
つまり……どういうこと?
まだ全然その言葉の意味を咀嚼できないままでいると、その人は私の混乱が分かったのかニコニコとした満面の笑顔を向けてくる。
「今日より、フィリア様には教会で聖女としての知識を学んでいただきます」
……はい?
「教会?」
「はい」
「誰が?」
「フィリア様でございます」
「なぜ?」
「聖女の知識を得るために。必要でしょう? 聖女様がどういうことをこの世界でやっていかなきゃいけないのかを」
聖女がどういうことを? ああ、そうですね――ってなるわけなくない⁉ え、え、それって教会に行けってこと⁉ 嫌だよ!
ゴホンとわざとらしく咳払いをした。その人はきょとんを目を丸くさせている。いやいや、そんな顔する意味が分からない。でも、ちゃんと言わなければ。
「あのですね……どこの誰だか知りませんが」
「ああ、申し遅れました。私としたら聖女様になんという失態を。私めのことはどうぞ気軽にフィルとでもお呼びください。教会で教皇の立場ですが、お気になさらず」
めっちゃ偉い人だった! 教皇⁉ どうりで服装が豪華だと思ったよ!
……って違う違う。冷静に。冷静にならないと。まず、ちゃんと事実を言わなければ。
「私、聖女じゃないんですよね」
「ははは」
笑われた。え、なんでこんなにこの人も私を聖女だと信じきってるの?
「フィリア様。フィリア様はまごうことなき聖女様でございますよ」
「いや、だからですね?」
「こちらに手を」
教皇様はゆっくりとした動作で、後ろに控えていた人から何かの道具を受け取って差し出してきた。真っ黒な玉みたいなものだった。それの上に手を置けということらしい。「さあ」と言われて、つい流されるままに手をそっと被せた。
途端、ぶわっと私を中心に温かい風が舞い、体の奥が熱くなっていく。手の平から白い光が広がり、瞬く間にその黒い球が真っ白になっていった。光が収まると、体がまた重くなる。何、これ?
お姉さまが、お父様とお母様が心配する声が聞こえてきて、周りにいる人たちからは「おお」とどこか感嘆する声が上がっていた。そんなことより、体が重くなってハアハアと息を荒くしていると、教皇様の穏やかな声が頭上に響く。
「これが、あなたが聖女であるという証です」
……これが?
「これは、研究の為に瘴気が入っていた球だったのです。それをあなたは今、見事に浄化されました」
浄化? これが?
重くなった体を何とか起こして、その綺麗になった白い球を眺める。黒いのが瘴気? 白くなったから浄化? さっぱり意味が分からない。
この力が聖女であると言われて、やっぱり『はいそうですか。分かりました』とは言えない。
聖女? 私が? この力が? 一歩――いや、百歩譲ってこの訳の分からない体が熱くなって重くなるのが聖女の証だと納得しても、どうして教会に行かなきゃいけないの?
心配そうに私の顔を覗き込んでくるお姉さまと目が合った。
綺麗で目が離せなくなるそのサファイアの瞳を見て、
嫌だと、やっぱり思った。
行きたくない。だって、まだまだ一緒にいたい。
知らないことの方が多い。
だからこれからもっともっと知っていきたい。
もっともっと、仲良くなりたい。
せっかく家族になれたのに。
これからなのに。
それに、聖女様なんてそんなすごい人になれるなんて思わない。
「……体がお辛いのではないですか?」
「え?」
「聖女様の魔力は強力で、今のあなたでは制御できずに体に負担がかかっているのです」
この重くなってめちゃくちゃ疲れるのはそのせい?
ニコリと教皇様は笑みを作った。
「その制御をするためにも、歴代の聖女様たちは教会で学んだのですよ。聖女様の役割もそうですが、何よりも聖女様の体の負担を軽減させるために」
行きたくないのが顔に出ていたのが分かったのか、説得するような言葉だった。
そんなことを言われたら、誰も何も言えなくなる。お父様もさっきみたいな威勢の良さはどこにいったのか難しい顔をしていて、お母様は心配そうに私の背中を撫でていた。
お姉さまもあまり変わらない表情のはずなのに、その瞳が辛そうに揺らいでいる気がした。
「ねえ、フィ。私たちもね、早すぎると思ったの。でもね、このままだと今教皇様が言ったように、聖女様の力にフィの体が耐えられないそうなの」
「お、母様……?」
お母様まで宥めるように言ってくる。嫌だ。行きたくない。
「だから、教会に行くべきだわ」
「ヴィエラ⁉」
お母様の言葉にお父様が驚いたように声を上げた。でもお母様は落ち着いた顔でお父様に向き直っている。
「相談したじゃないか! フィはまだ七歳だぞ⁉ だから教会には行かせないって――」
「ですが旦那様、少し聖女の力を使っただけでフィは倒れそうになっているんですよ? ただでさえ幼いのに、その体の中ではその聖女の魔力が大きい。このままだと耐えられなくて、フィを失うことになるのではないのですか? そちらの方が私は嫌です」
「だがっ――!」
「それに、先代の聖女様がお亡くなりなられてからもう何年経っているとお思いですか? そういう意味でも、フィはこの国にとっても、この世界にとっても、失うわけにはいかないのはお分かりでしょう?」
「国とか世界とかじゃなくて――」
「何よりも、フィの命を守るためでもあります」
本当は国とか世界とかよりも、命を心配している。それぐらい最後のお母様の言葉が強く感じた。心配しているのが分かる。
お父様もお母様の気持ちが分かったのか黙ってしまった。お父様まで口を噤んでしまったから、一瞬その部屋が静まり返る。教皇様まで黙ったままだ。
そんな中、お姉さまがそっとまた手を重ねてきたから、どうすればいいのか分からないままお姉さまの方を見てしまった。
「……お姉さま?」
「……」
口を開いて、すぐに閉じている。何を言えばいいのか考えているみたいだった。
でもすぐに、ジッとまっすぐ見てきて、小さい声を絞り出した。
「……皆が、心配しているから」
重ねてきた手が握りしめられて、その手が温かくて、キュッと胸の奥が苦しくなる。
「……お姉さまも、ですか?」
「……」
ついそんなことを聞いたら、お姉さまがゆっくりと頷いた。
その瞳が嘘に思えなくて、まだ会ったばかりで一緒に過ごせていないけど、でも心配してくれているのが伝わってくる気がした。
それでも、と思ってしまう。
本音が自分の口から、その温かさに溶かされたように、零れていく。
「でも……私は、もっとお姉さまと一緒に遊びたいです」
「……」
「聖女なんて、できるわけないです」
「……」
お姉さまは何も言わない。代わりに強く手を握ってくれた。余計にポロポロと不安が出てくる。
「それに、お姉さまを転ばせて、ケガさせてしまったのに……そんな私が、聖女なんて……」
元はといえば私のせいだ。私が先走って手を引っ張ったから。そんな後先考えることも出来ない私が聖女だなんてやっぱり思えない。
スウッとお姉さまが息を吸う音が聞こえた。
「……でも、あなたが聖女だから、私の手は治った」
私が、聖女だから?
「癒しの力が、私のケガを治した」
癒しの力。
この力があったから、お姉さまのケガを治せた。
不思議と、お姉さまの言葉がストンと心に落ちてくる。聞き心地がいい声だからなのか、肯定していいような気さえしてきた。
「だから……ちゃんと使えるようになった方がいいと思う。今は、その使い方を学んだ方がいい。皆が、心配しているから」
握っていた手が離れて、今度は私の肩に躊躇いながら置いてくるから、ついパチパチと目を瞬いてお姉さまを見てしまった。
「……いつでもここには帰ってこれる」
帰ってこれる? 本当に?
またお姉さまとこうやって話せる?
なんか教会に行ったらもう戻ってこれないんじゃないかって思っていたけど……できるのかな?
クスクスと教皇様の笑う声が聞こえた。
「聖女様がお望みなら、ここにはいつでも帰ってこられますよ」
え、本当に⁉ つい教皇様の方にバッと顔を向けてしまうと、お父様も教皇様のことを目を見開いて見つめていた。って、お父様もなんでそんな驚いた顔してるの⁉
「聞いていないが?」
「おや、侯爵? 私はここに聖女様を迎えに来たとは言いましたが、連れ去るとは言っておりませんぞ?」
「言っていたが⁉」
「はて? 教会で保護はしますとは言いましたが、保護とは監禁するということではないと思っておりました。 今までの聖女様も実家にたまに帰られていましたよ?」
「こ、の……くそ爺……」
「ははは。昔と変わらず言葉が汚いですなぁ」
え、ん? 昔って言った? 何、この二人知り合い?
いきなりのお父様の口調にちょっとポカンとしていると、ポンポンと今度はお母様に頭を撫でられた。ついでにお姉さまの頭にも手を置いている。
「フィ。あの二人のことは今は置いておいて」
置いておくことなの⁉ お母様、やっぱり冷静すぎませんか⁉
え、え、とお母様とお父様たちの方をついつい見比べていると、お母様は思いっきり言い合いしているお父様たちを放っておいて、ニコリと変わらない微笑みを浮かべていた。
「お母様はね、フィが聖女だろうが普通の女の子だろうがどっちだっていいと思っているわ」
「え?」
「ただね、心配なのよ。あなたがセレスを治してから、もう一週間眠ったままだったの」
……初耳ですが⁉ 一週間も⁉
「セレスもずっと心配してたのよ。旦那様ももちろん。その間に教皇様たちも幾度もここに足を運んでくださってね、色々と説明はしてくださっていたの」
髪を掬うように、何度も何度も撫でてくるお母様の手は優しい。
「教皇様もああ言っていることだし、フィ、教会にいってらっしゃい。まずは自分の体のことを第一に考えてほしいとお母様は思っているわ」
「お母様……」
「ここにはいつでも帰ってこられるのだから。セレスとはその時に遊べばいいのよ。だから、ね?」
お母様がそう言ってお姉さまに視線を向けると、お姉さまもゆっくりと頷いていた。
……これで行きたくないって言ったら、お母様もお父様もお姉さまのことも心配だけさせてしまう。
……行きたくない。
行きたくないけど。
「……わかり、ました」
私のその言葉に、お母様と教皇様は安心したように息を吐いて、お姉さまもちょっと表情が和らいだ気がした。お父様はまだ心配している顔をしていたけど。
またお姉さまの方を見る。あまり変わらない表情。
困った顔を見たくない。
心配させたくない。
どうせなら、私は笑った顔を見たい。
その為には、こんなことですぐ倒れる体じゃない方がいい。
自分に言い聞かせながらそばにいたお姉さまの体に抱きつくと、お母様が「あらあら」と楽しそうに笑っていて、お姉さまが困っている感じで肩にまた手を置いてくれる。
「お姉さま、帰ってきたら遊んでくれますか?」
「……うん」
「約束ですよ?」
「わかった」
慣れない手つきで私の肩を撫でてくれるお姉さまの手が優しくて、ちょっと泣きそうになった。
あまりお姉さまとの時間を過ごすことも出来ないまま、私は次の日から教会で過ごすようになった。




