41話 壊れるなんて、思っていなかった
「ちょっと緊張するわね……」
「お母様でもですか?」
「フィは私のことを何だと思っているのかしら?」
クスクスと笑いながら、馬車の中でお母様がギュムッと私の頬をつまんできた。
でも、私も緊張している。
これから住む屋敷には、新しいお姉さまがいるから。
お母様がお父様と再婚するって話を聞いた時、純粋に嬉しかった。本当の父親は、まあ、ろくでもない人だったから。物は投げるわ、お母様に手をあげるわ、挙句の果てに浮気はして、ついには屋敷に帰ってこなくなった。
そんなお母様を見てなのか、離縁するために色々と手伝ってくれたのがお父様だと聞いている。学園の知り合いだとか。
お父様は、あの父親と違って優しかった。私ともよく遊んでくれて、おいしいものも買ってくれる。お父様と一緒にいる時は、お母様もよく笑っていた。
これから、どんな生活になるんだろう。
お姉さまという人は優しい人なのだろうか。
ワクワクとドキドキで胸は一杯。
「セレス、自己紹介しなさい」
でも、ワクワクもドキドキも、お姉さまに会った時に全てが吹っ飛んだ。
煌めく銀髪。
吸い込まれそうなサファイアの瞳。
「セレス……」
お父様に促されて、小さい声で恥じらうように呟いた。
「セレスティア……」
照れているのか、人見知りしているのか、チラチラとお父様と私たちを見ながら、自分の名前を言うお姉さま。
その姿に、魅入られた。
その声に、意識が持ってかれた。
時が止まったかのように、お姉さまの全てが私の中に入ってきた。
「よろしくね。私も、セレスって呼んでいいかしら?」
「……」
腰を屈めてお母様がお姉さまに微笑んでいて、お姉さまがゆっくりと頷いていた。
「……すまない。緊張しているみたいだ」
「いいの。これからゆっくり仲良くなりましょう」
お父様が困ったようにお姉さまの頭に手を置きながらお母様に謝罪している。そんなお父様を見て、おかしそうに笑いながらお母様もお姉さまの頭を撫でていた。
撫でられながらも、お姉さまは私の方を見てきてくれた。
目が合った瞬間、胸の奥が熱くなって、すごい嬉しくなって、笑ってしまったのを覚えている。
「お姉さま、フィリアです! 仲良くしてくれると嬉しいです!」
もっと話したくて自分も自己紹介すると、お姉さまが戸惑いながらも私が差し出した手にそっと握手してくれた。
温かい手だった。
その温かさにも、心が弾んだ。
この人が今日お姉さまになる。
家族になる。
毎日、これからこの人に会える。
それが嬉しくて嬉しくて、たまらなかった。
お父様もお母様も笑っていて、お姉さまは戸惑っていたけど嫌そうな顔はしていなかった。
楽しい毎日を送れるって思っていた。
壊れるなんて、思っていなかった。
― ― ―
「お姉さま、お散歩行きましょう?」
「……」
お姉さまは無口な人だった。あまり表情も変わらない。
でも、私からの誘いは絶対に断らなかった。今のお誘いにもゆっくりと頷いてくれる。
その仕草が可愛くて仕方がない。お姉さまの前では自然と私も笑みがいつも零れてしまう。
そんな私を見て、紅茶を飲んでいたお母様がクスリと笑った。
「フィはすっかり懐いてるわね」
「お母様だって、お姉さまには私より優しくしてると思いますよ?」
「そうかしら?」
「私には怒るくせに」
「それはフィがはしたない真似をするからでしょう?」
さすがに木登りはやりすぎたよねって、ちょっと内心自分でも納得した。
でも、お母様はあまりお姉さまを怒らない。怒っている所を見たことがない。まだこの屋敷に来て数日だけども。お母様もお姉さまにはまだまだすごい気を遣っているのが、子供ながらに見ていて感じ取れた。
「行きましょう、お姉さま?」
「あまりセレスに無理を言っちゃだめよ?」
「分かってますってば」
手を差し出すと、お姉さまがチラチラとお母様の方を見てからゆっくりと繋いでくれる。まだお母様にも私にも慣れていないお姉さまのそんな姿を見ると、なんだか胸の奥がくすぐったい。
早く慣れてくれるといいな。
そういえば、笑っているところも見たことがない。どうやったら笑ってくれるかな、なんて思った時だった。
手を繋いでいたお姉さまが後ろで転んでしまった。慌ててしゃがんでお姉さまに声を掛けた。
「お姉さま、大丈夫ですか⁉」
「っ……」
サーっと血の気が引いた。繋いでいない方のお姉さまの手から、血が出ていたから。
どうしようどうしよう、と思っていると、私たちに気づいたジルが慌てて駆け寄ってきてくれる。ポンポンとお姉さまの背中を撫でながら、傷ついた手の平を見ている。
「すぐに治療しましょうね。大丈夫です。これぐらいならすぐに治りますから」
本当に? 本当にすぐ治る?
痛そうに眉を顰めているお姉さまを見て、ドッドッドッと心臓が騒がしくなる。
私のせいだ。無理やり引っ張ったから。何も考えずに引っ張っていたから、お姉さまが転んじゃったんだ。
笑顔にしたいとか考えていたくせに、やっていることは正反対のこと。
自分を責めた。
ケガをさせてしまった。
やっぱり痛そうに手の平を抑えているお姉さまに、申し訳なさが勝ってしまう。
何か、何か出来ない?
お姉さまの痛みが取れればいいのに。
無意識だった。
お姉さまのその手を握った。
体の中から、熱い何かが溢れ出てくる感覚がした。
「え?」
「ふぃ、フィリアお嬢様?」
お姉さまの呆けたような声と、ジルの驚いたような声が同時に聞こえた。ボワッとその手の平から淡い光が出てきて、辺りを包む。でもそれに構わず、ギュッと目を瞑ると、さらに体から何かが出ていく感覚がした。
痛いの治れ。痛いの治れ。
ただ一心にそう願った。
「フィ……あなた……」
お母様の声がしてやっと目を開けると、皆が私を驚いた様子で見ていた。え、あれ? どうしたの? あ、お姉さまのケガは⁉
手を離して見てみると、さっきまで血を流していたはずの傷口が消えていた。
あ、れ? 治ってる?
そう気づいた瞬間、ドッと体が重くなる。
服の中は大量の汗で濡れていた。
え、え、何、これ? とんでもない疲労感が襲ってきて、だんだん目の前が暗くなっていく。「フィ!」とお母様の焦ったような声がしたと同時に、私の意識はそこで途絶えた。
それが、初めて私が力を使った瞬間。
初めて、『聖女』の治癒の魔法を使った時だった。




