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カンナの我儘 ―セレスティアSide


「スクルは何故それを渡してきたんでしょうか?」

「……分からないけど」


 馬車の中で自分の手の平に乗せたネックレスを見ていると、カンナも不思議そうに首を傾げていた。


 先程、この馬車が動き出す前にスクルがいきなり私の首に掛けて、服の中に入れてきたネックレス。あの市場で見つけて、あの子が私に贈ってくれた太陽のデザインのネックレスだ。


 あの子を思い出させる琥珀色の小さい宝石が手の平の上で輝いている。


 これを渡してきたスクルが「これを?」と聞いた私に対して、何度も力強く小さい首を縦に動かしていた。


「持っていろ……ということみたい」

「そうなんですか?」

「たぶん……」


 あの目は多分そうだと思う。確実とは言えないけど。


 クスリと対面に座っていたカンナが笑った。


「ああ、ごめんなさい。あの時のフィリアお嬢様が恨みがましくスクルのことを見ていたから、つい思い出してしまって」


 カンナの言葉で、辛そうな顔をしていたことを思い出す。きっと心配しているんだろう。


 今から行くのは、側妃様のところだから。


 最初に手紙に目を通した時にどうして私がと思ったけど、殿下の言葉を思い出した。殿下は前に私を婚約者にしようとしている人がいることを言っていた。きっとそれが側妃様のことだったんだ。


 それに、あの手紙には父のことも書いていた。父の今の立場について相談があると。


 だとしたら、いかないわけにはいかない。何を企んでいるのかは分からない。でも父に対して何かをするつもりなら、その内容をちゃんと把握しておくべきだと思った。そうすれば父やバールに伝えることができる。


 それが、今の私に出来る唯一のことだと思うから。


 ギュッと手の平に乗せたネックレスをもう片方の手で包み込む。


 それに、早く帰らないと。

 あの子が待っている。


 今にも泣きそうな顔で見送っていたから、どうしても心配になる。


「お嬢様、フィリアお嬢様のためにも早く旦那様と合流しましょう」


 私が考えていることが分かったのか、安心させるようにカンナが微笑んだ。でもその笑顔がどこかぎこちない気がする。


「カンナ、緊張している?」

「……バレてしまいましたか。実は王宮に行くのは初めてなんです。いつもは慣れているアネッサに行ってもらっていて」


 あははと無理やり笑顔を作っているけど、どうにも表情が強張っている。確かに殿下が来る時も、アネッサがいつも前に出て応対していた。


「フィリアお嬢様もセレスティアお嬢様も旦那様もアネッサも、すごいといつも思っています。王族相手にあんな普通にいつも会話していらっしゃるから」


 ……あれは父とフィリアが殿下に喧嘩をしかけているような気もするけど。


「私は……身分の高い方はやはり恐れ多い気持ちが強くて。学園にいた時からそうなんですけど」

「カンナは確か……子爵?」

「ええ、そうです。父が子爵の爵位を戴いています」


 他にも姉と兄がいると、前に話してくれていた。恥ずかしそうに笑いながら言っていて、家族のことを誇らしげに教えてくれたはずだ。


 でも身分のことを、どこかいつも気にしているとも言っていた。


 今から行くのは王宮。側妃様もそうだけど、そこで働いている人もカンナより身分は高いのかもしれない。そこまで詳しくはないけど。恐れ多いと今も緊張しっぱなしなのかも。連れてきて申し訳ないと思ってしまう。


 それでも、そばにカンナがいてくれると私もどこか安心する。今はあの子もいないから、余計に。


「……カンナがいてくれると、心強い」

「え? どうしたんですか、いきなり?」


 つい本音を零すと、カンナが困ったように笑って、私の手に自分の両手を重ねて包んでくる。


「お嬢様のそばにいるのは当然ですよ。それに、私の方がお嬢様から力を貰っています」

「私から?」

「はい。成長していくお姿を見ていると、私も頑張ろうと思えるんです」


 楽しそうにカンナが笑う。成長? しているのだろうか? 身長は伸びたけど。


「前よりも気持ちを出すようになりましたね、お嬢様。フィリアお嬢様を大事にしている姿も、見ていてこちらの心も温かくなります。それをすごく私もアネッサも嬉しく思っているんです」


 ……大事にしている姿? カンナたちから見て、そういう風に見えるのだろうか?


「お嬢様の優しさは、皆に伝わっています。旦那様もバール様も、私もアネッサもタックも、スクルとフィリアお嬢様にも。そして、きっとミアラ様にも」


 母にも? いきなり優しさの話になったから首を傾げると、クスリとカンナがまた笑った。


「ですが、きっとミアラ様はもっと我儘になっていいと言うでしょうね」

「我儘?」

「私たちもそうですよ。お嬢様にはもっと我儘になってほしいなって思います」

「……何の話?」

「お嬢様の成長の話ですよ」


 我儘が成長? よく分からない。でもカンナの緊張がほどけたからか、いつもの優しい笑顔に戻っている気がする。カンナが楽しそうに笑っているからいいか。


「それにしても、まだでしょうか? もう王宮に着いてもいいはずですが」


 カンナの言葉に、『あれ、確かにそうかも』と思った瞬間だった。



 馬車の音が、止まった。



 二人でパチパチと目を瞬きながら見合ってしまう。着いた? それにしては時間がかかったような気もする。


 ふと、窓の外が視界に入った。


 ……? 王宮じゃない? ここ、どこ?

 視界に入ったのは木々。そして生い茂る草。街道でもない。王都の街並みもない。いつの間にこんな場所に?


「あの、着いたんですか?」


 カンナが御者台の窓に向けて声を掛ける。でも何も返事が聞こえない。


「ちょっと?」


 コンコンとカンナが窓をノックする。でも返事がない。

 いや、さっきまで見えていた御者の姿がない。


 ザワッと、嫌な空気が馬車の中に漂う。

 ついカンナの腕を掴んだ。カンナも不安そうな表情だったけど、状況の変化に気づいたかのように、ギュッと口を引き結んでいた。


「大丈夫ですよ、お嬢様。私も一緒ですからね」


 明るい声で笑顔を作っているけど、無理しているのが分かる。いきなりガタッと音がしたから、ついカンナも私も黙ってしまった。


 外から声が聞こえてくる。


「こいつか?」

「ええ、そうです……それで、金は?」


 その声に反応してカンナが私の身を引き寄せた。知らない男の声だった。でも一方のちょっと甲高い声が、どこかで聞いたような声の気もする。その直後にジャラジャラとした音も聞こえてきた。


「ほらよ。で、上手くいったのか?」

「誰にもバレてませんよね?」

「は、はい……」

「本当かあ?」


 ケタケタと笑う声が聞こえてくる。何の話をしているのかはさっぱり分からない。でも、良い話ではなさそうだ。声の感じからして、三人はいる?


「でも本当にいいのかよ? 貴族のお嬢さんなんだろ?」

「……それが望みなんですよ」


 会話は間違いなくこの馬車にいる私のことを指しているみたいだ。カンナを見上げると、不安そうだけど厳しい目をして私のことを見下ろしている。


 カンナが小さい声のまま耳元で囁いてきた。


「……いいですか、お嬢様。決して私の手を離さないでくださいね」

「? わかった」

「いい子です」


 ふうとカンナが息を軽く吐いた。手を握って、笑いかけてくる。


「私が、お嬢様を絶対守りますから」


 カンナが言ったと同時に、馬車の扉が一斉に勢いよく開いた。「なんだ⁉」とさっきの男らしき声が聞こえてくる。


 カンナが手を引っ張って、馬車から勢いよく飛び出した。近くの茂みに二人で飛び込む。その時に――


「……小賢しいこと」


 ――目が一瞬合った。全身がマントに包まれている細見の人間。口元が布で覆われていた。手をこっちに向けている。


 でもカンナの手に引っ張られて、体が宙にいきなり浮かんだ。カンナが私の体に覆い被さるように腕の中に閉じ込めてきた。


「ぐっ!」


 衝撃がカンナ越しに伝わってきて、ザザッとそのまま二人一緒に地面に転んでしまう。背中がそのせいでちょっと痛かったけど、それよりもカンナの方が心配になった。


「カンナ?」

「大丈夫ですっ……大丈夫ですよ……」


 ハアハアとカンナが息を荒くしている。その後ろに人の気配がした。でもカンナはギュッと私を腕の中から離さない。何も見えない。


「大人しくしていれば、一瞬で済むものを」

「っ……大人しくやられるほど、やわではないもの、でしてね!」


 カンナがまた言ったと同時だった。グンッと体が軽くなる。視界がグラグラと霞んで、目を開けていられなくなった。何が起こったのか全く分からなかった。


 でもカンナの腕が抱きしめてくるのは、感じた。



「……お嬢様、お嬢様」


 しばらく目をギュッと瞑っていたら、近くでカンナの声が聞こえた。ゆっくり開けると、汗を流しながら泥まみれになったカンナの顔が視界に入ってくる。


「カンナ?」

「大丈夫ですか? 気持ち悪いとかは?」

「……平気」


 パチパチと目を瞬いて自分の手を見てみる。ついでに服の方も目に映りこんできた。泥だらけで所々が破れていた。木に自分の体が凭れ掛かっている。


 近くには木しかない。ここは、そういえばどこなのだろう? 森? 知らない場所だ。


「申し訳ありません、お嬢様……」

「?」

「私が全然気づかなかったばかりに、こんなことに……」


 何やら気落ちしているカンナ。カンナのせいじゃない。いつの間にかこんな場所まで馬車で連れてこられたのに気づかなかったのは私もだ。てっきり王宮に行っているものだと思っていたのに。


「カンナのせいじゃ、ない」

「やはりお優しいですね……」


 困ったようにカンナが力なく笑う。その額からは汗が出ている。そっとカンナが手を私の頬に触れてきた。


「ですが、まだ謝らなければいけません」

「? 何を?」

「この先、別行動です」


 別行動? 何故?


「まだ追われています。今はさっきいた場所から私の魔法で少し遠くまで来たにすぎないのです」

「……あの人たちに?」

「そうです。目的はきっとお嬢様です。理由は分かりませんが」


 確かにあの人たちは『貴族のお嬢さん』と言っていた。間違いなく私の事だろう。


「ですから、私が囮になります。その隙に、お嬢様はできるだけ遠くにお逃げください」

「だめ。カンナと一緒」


 即答すると、一瞬目を丸くさせてから、またふっとカンナが笑った。でもだめ。相手の目的が私なら、私を突き出せばいい。


「私が出ていく。それなら、カンナが逃げられる」

「だめですよ。そんなこと誰も望んでいません」


 ふわっと優しくカンナが抱きしめてきて、髪を撫でてきた。


「私の魔力は少ないのです……。もうさっきみたいな魔法は使えない。ですが、お嬢様が逃げられる時間を稼ぐ魔力は残っています」

「……だめ。じゃあ、一緒に逃げる」

「ふふ……お嬢様がそういう我儘を言うのは新鮮ですね」

「我儘になれって……言った」


 ついさっきだ。さっきそう言ったばかりだ。「確かにそうですね」と言いながら、クスクスとカンナが耳元で笑う。ギュッとカンナの背中に手を回して服を掴む。手に湿った感触がした。


「その我儘を叶えてあげたいですが……またいつの日かにとっておきましょう」

「……いつの日か?」

「ええ。今は、私の我儘を聞いてくれませんか?」


 カンナの我儘? 

 体を離して、カンナが顔を覗き込んでくる。


「何としても、絶対生きるって」


 優しく、優しく、カンナが頬を撫でてくる。



「生きてください、お嬢様。そうすれば、フィリアお嬢様と旦那様にまた会えますから」



 フィリア。

 お父様。


 父のあの大きな手を思い出す。



 フィリアのあの温かい笑顔を思い出す。



 私が二人の顔を思い浮かべたのが分かったのか、額からまた汗を流しながらカンナが笑う。


「もちろん、私もです。いいですか? 囮になるといっても、私だって死ぬ気はありません。私は別方向に逃げるだけです。もし、お嬢様が先にどこかの村か町に着いたら絶対に助けを呼んでください。私もそうします」


 助け。

 助けを呼べば、カンナも私も助かる? また二人に会える?


「……そうすれば、助かる?」

「そうですよ」

「本当に?」

「はい」


 カンナがあまりにも自然に頷くから、何だかそう思えてくる。ずっとそばにいてくれたカンナだから信じられる。


 私が納得したのが分かるのか、カンナがゆっくりとその場で立ち上がり、ある方向に指を差した。


「お嬢様はあちらの方に向かってください。大丈夫です。微かに人の声が聞こえたから。先程私たちを襲ってきた人たちじゃない声ですから、安心してください」

「……分かるの?」

「私の得意魔法ですよ? 風に乗ってきた声を拾ったんです」


 そうだった。その風魔法を使って、父と合流しようとしたんだ。


「ですが、どれだけの距離かまではさすがに分かりませんでした。山道ですし、もう暗いので足元には十分お気を付けを」

「……分かった」

「いくら馬車で移動しようが、この王国内は結界で守られています。魔物とかの心配はないですからご安心を」


 目元を緩めて、カンナが微笑む。でも息が少し荒く感じた。やっぱり心配になってくる。立ち上がってカンナの腕を掴むと、静かにその手を離された。


「さあ、行ってください。お嬢様が行かないと私も行けません」

「……やっぱり一緒に」

「あら? 私の我儘は聞いてくれませんか?」


 そんなことはないと首を横に振ると、クスクスとまた笑う。でもその笑顔が無理しているように見えて、ジッとカンナを見てしまう。


「…………おい、本……」


 遠くで、微かに声がした。


 二人でその声がした方に振り返る。多分、もう追い付いてきた。


「お嬢様……さあ」


 声を潜めて、私の背中を押してくる。顔だけ振り返ると、困ったようにまた笑っている。


「お嬢様、絶対に生きてくださいね」


 その声が、やけに耳に響いた。


 声がどんどん近づいてくるのが分かる。ここに留まったら絶対に二人で捕まるのも分かる。


 ――助けを呼んでこなければいけない。


 名残惜しい気持ちを押し殺して、一歩一歩、足を動かした。さっきカンナが指さしていた方向に足を進めた時に、


 後ろで、風が動いた。


「カン――」


 振り向いたら、もうカンナがその場にいなかった。え? と思ったと同時に、少し遠くで大きな音がした。


 ドン! ドン! と響いてくるような音が、自分の足元まで響いてくる。


『私が囮になります』


 さっき言ったカンナの言葉が頭を過る。本当に足止めしているんだ。不安がどんどん心の中をいっぱいにしていく。カンナがどうなるのか。自分はどうなるのか。


 でも今分かるのは、一刻も早く、一秒でも早く、誰かに助けを求めなければいけないということ。


 そうしなければ、カンナともう会えない気がした。

 誰にも会えなくなる気がした。


 アネッサにも、バールにも、タックにも。


 父にも。


 スクルにも。



 フィリアにも。



 カンナが示した方向に走った。今までにないくらい、心臓が張り裂けそう。初めて自分の息を吸う音を知った。


 汗が首を伝う。頬を伝う。どんどんへばりついてくる。


 でも走った。走るしかない。カンナの言葉を信じて、慣れない山道を走っていく。


 ここがどこかなんて分からない。でもカンナは人がいると言った。だからその言葉通りに行く。そうすれば、助けが呼べる。


 音は少し遠くなった。つまりはまだカンナがそこにいるということ。まだ逃げれてないということ。


 だからどんなに苦しくても、足を動かす。

 早く早く早く、と気持ちばかりが先走っていく。



「ケホ……」


 苦しくなりすぎて、少し咽てしまう。普段あまり運動しないのが仇になった。ゼエゼエと自分の喉元から初めて聞く音が漏れる。


 どれだけ走った? どれだけ進んだ?

 分からないけど、でももう音はしなくなっていた。


 カンナは逃げられた? 大丈夫だろうか?

 いつカンナが言っていた場所に着く? それまであとどれくらい?


 シンと静まり返る森の中が、余計な不安を生み出していく。



「……―い。って、本当にこっちか~?」



 微かに男の声がして、反射的にビクリと肩が震えた。この声は、さっきの声だ。じゃあ、カンナは?


「子供の足だから、そこまで遠くには行けないと思うがなぁ」


 やっぱりあの男の声だ。


 見つかっちゃいけない、と、頭の片隅で思った。


 音を出さないように、ゆっくりゆっくりと木の陰に隠れる。その声が遠くなるように、その木から離れようと後退りした時だった。



 ガラ――と小さな音がした。



 グラリと視界が反転する。体が浮遊感に包まれた。

 何が起こったのか、分からなかった。


 ガン! と、頭に衝撃がぶつかった。


 目の奥が一瞬チカチカとして、真っ暗になる。



『お姉さま……パン持ってきたよ?』



 ……フィリア?


 フィリアの声が響いた。

 幼い声が。


『その目も髪もあの女に瓜二つ! その目で、私を見ないで頂戴!』


 義母の声がする。

 あの憎しみに塗れた声。


『君には失望したよ』


 殿下の声が響く。

 今よりずっと低い声。


 ザアアアアッと、頭の中を知らない記憶が流れていく。



『何をしている⁉ やめろ‼』


『あんたがいなくなればいいのよ‼』


『だめです、だめ……お姉さま、嫌です……』



 知らない感情が、溢れかえる。


 知らない声。

 知らない記憶。

 知らない姿。


 ……違う。


 私は、知っている。


 ちゃんと、知っている。


 あの暖かさを、

 あの温もりを、


 その()()()()()()()()()()を、



 私は、ちゃんと知っていた。




「私は……あなたが憎かった……」




 冷たい雫が、頬に流れた。


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