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38話 側妃様からの手紙


 嘘だ。

 嘘だ嘘だ嘘だ。

 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!


 私は絶対信じない!


『フィリア!』


 スクルの声が背中から届いてくる。

 お父様と殿下の声も、アネッサとタックの声も、聞こえてくる。


 でも足を動かすのをやめない。


 体がどんどん熱くなる。


 でもやめない。



 扉を開けて、躊躇う間もなく暗闇の中に足を踏み入れた。



 きっかけは、あの手紙。



 ■ ■ ■



「アネッサ……これが……」


 部屋に入ってきたカンナがものすごく焦った顔で、手に持っていた手紙みたいなものをアネッサに渡していた。


 旅行から帰ってきて、お姉さまがまた笑わないかなって考えていた。


 前よりは柔らかい表情をするようになったけど、旅行に行った時みたいには中々笑顔を見せてくれないから。


 表情筋が硬くなっているとか? と思ってお姉さまのほっぺをコネコネとしてみると、「くすぐったい」とお姉さまが可愛らしい反応をしていた時だった。


 カンナが持ってきた手紙を受け取ったアネッサもまた、驚いたように目を見開いている。手紙? まさか殿下? スクルに散々お願いしろって言われて、殿下にこの前書いた時の返事かもしれない。


 でも、その相手は予想外の人だった。


「王宮から? しかも……これは側妃様の?」


 え? 側妃様? 殿下のお母様の? 殿下じゃなく?


「先程、門番がこれを持ってきたんです。緊急だと言われたとか……どうしますか? バール様も今日は領地に行ってますし……でも連絡ならすぐにでも……」


 カンナがオロオロとしたように、手を出したり引っ込めたりしていた。さすがに側妃様からの手紙ということで動揺しているみたい。手紙を持って考え込むようにしていたアネッサが、カンナの方に顔を上げた。


「そうね……。カンナはバール様に連絡を。旦那様には私から」

「わ、わかりました」

『……なんかおかしい』


 二人が深刻そうな顔でやり取りしている時に、リンゴを頬張っていたはずのスクルがいきなりそのリンゴから口を離した。


 おかしいって何が? と思った瞬間、スクルがピョンっと飛び跳ねて、その手紙をアネッサからひったくっている。アネッサもいきなりでびっくりしちゃっている。スクルがこんなことするの珍しい。


 そのアネッサが慌ててスクルに「だめですよ、スクル」と言っていた。


「スクル、返しなさい。それは食べ物じゃないですから」

『ふーん……ふんふん』


 アネッサから逃げるように棚の上によじ登っちゃったよ。手紙をクンクン嗅いでる場合じゃないでしょうが。アネッサたちがものすごく困ってるでしょうに。


 仕方ないからその棚の近くまで行って声を掛けてみる。お姉さまもスクルの行動を不思議に思ったからか隣に立っていた。


「スクル、ちょっと~? アネッサたちが困ってるから、下りてきて」

『フィリア、ちょっと黙っててよ』


 はい? 黙っててじゃなくて――内心そのスクルの言い草にイラっとしていると、ビリビリって音が聞こえてきたよ。え、は? 手紙破ってるの⁉ お姉さまとは逆隣りに立っていたアネッサもサアっと見るからに顔が青くなっていく。さっき側妃様って言ってたよね⁉ 


「スクル! 下りてきてよ! っていうか、その手紙大事なものみたいだから!」

『ふーん……ふんふん』


 全く聞いてない⁉ ふんふんじゃないって!


『これはいらない……これも……』


 ブツブツ言っているスクルがポイっと何かを投げた。紙? え、それって中に入ってた手紙じゃない⁉


 あまりに突然降ってきた紙に呆然としていると、ヒラヒラと落ちてきた紙をアネッサが手に取る前に、お姉さまがものすごく冷静に掴んだ。そのまま手紙を見て視線を動かしている。あれ、読んでる?


 お姉さまが、驚いたように目を大きく開けた。


「お姉さま?」

「……」


 え、無言? 何? なんて書いてあったの?

 アネッサがもう読んでしまって諦めがついたのか、ハアと息を吐いて冷静にお姉さまに聞いていた。


「お嬢様、何が書かれていたのですか?」

「……今から来てほしいと」

「来てほしい? 旦那様ですか?」

「……私に」


 その返答に私含めて全員が「え」と声を出したよ。お姉さまは読み終わった手紙をアネッサに差し出している。受け取ったアネッサも素早くその手紙の文字に視線を走らせていた。私の頭は疑問で一杯。


 側妃様がお姉さまを? え、なんで? 今までそんなことなかったのに。殿下関係? いやでも、それだったら私にも来いって書くのでは?


 あれこれと考えている間に、お姉さまが動き出した。え、どこ行くの⁉


「お姉さま、どこに⁉」

「? 行く準備を」

「だ、駄目ですよ!」

「でも来いって……」


 慌ててお姉さまの腕にしがみついて足を止めさせるも、不思議そうに首を傾げていた。なんでって思ってないの⁉ はっ! そうだよ! そういえば、前に殿下が手紙とか気をつけろとか言ってなかった⁉


「殿下だって仰ってたじゃないですか! 気を付けてほしいって!」

「それはそうだけど……でも来てほしいって」

「偽物かもしれないですよ! アネッサ、その手紙は本当に側妃様からなんですか⁉」

「……恐らく、本物かと。側妃様が使われている紋章がありましたし、王宮で使われている紙ですから」


 アネッサに否定してほしくて聞いたのに、本物⁉ でも確かめる術がもうない。スクルがビリビリに破いてしまって、その紋章が入っていたはずの封蝋も欠片しか残っていない。棚の上から落ちた際にバラバラになっている。


「……行くしかないと思う」


 どこまでも冷静な声でお姉さまが言った。


「アネッサ、準備を」

「ですがお嬢様。旦那様が許すはずが――」

「許すも何も、側妃様の手紙を無為にはできない。これで行かなかったら、それこそ父に迷惑がかかる。それに父のことを相談したいと言っているから、行くしかない」


 お父様のことで相談? 怪しすぎるよ! あんなに王族を毛嫌いしているお父様に対して、何の相談をするっていうの? 殿下だってお父様の王族嫌いを知っているのに!


 でもお姉さまはもう行くことを決めている目をして、アネッサを見ていた。


「……分かりました。ですが、すぐに旦那様も側妃様のところに向かわせます」

「それでいい」

「カンナ、準備を」


 緊張気味のカンナが強張った声で「わかりました」と言って部屋を出ていった。アネッサも王族には逆らえない。分かってる。これが王族の手紙なら、誰も逆らえない。


 ――だったら!


「私も行きます!」


 お姉さまを見ながら、ギュッとしがみついている腕の力を強くした。一瞬目を丸くさせたお姉さまが、すぐに目元を緩めてまっすぐ見てくる。


「……だめ。フィリアはお留守番」


 予想外のことを言ってくる。なんで⁉


「お父様のことで相談なんですよね? だったら私も無関係じゃないです!」

「フィリアお嬢様……側妃様はセレスティアお嬢様だけにきてほしいと仰っているんです」


 アネッサが言い辛そうに教えてくれた。なんでお姉さまだけ? そんなの余計に怪しすぎる!


「そ、そんなの……そんなの絶対怪しいです!」

「大丈夫。分かってる」


 お姉さまがあやすように、ポンポンと空いている手で私の頭を撫でてきた。


 でもその大丈夫で、やっと私は分かった。

 分かってる。お姉さまはちゃんと分かってる。王族嫌いのお父様のことも、この前に殿下が気をつけろと言ったことも、今回、側妃様がどうしてお姉さまを呼び出すのかも。


 お姉さまは賢い。私とは違って、ちゃんと勉強が出来る。

 でも賢くない私でも分かった。


 婚約者にと、お父様を盾にして脅す気だ。


 殿下は知らない方がいいと言った。知らない方がいい相手なんて限られていたんだ。今の側妃様の手紙が、その答えだ。アネッサもきっとそれを分かっているんだ。


 どうして側妃様がお姉さまを婚約者にしたいのか、そこまでのことは分からない。前もそこまでの接点はなかったはずだ。どうしたいのかも、その考えも全く分からない。


 けど今、その側妃様がお姉さまを婚約者にと望んでいることが分かった。


 ドクンドクンと、嫌な感じに胸騒ぎがして心臓の音が響いてくる。


「大丈夫。父ともすぐ合流するから」


 私の心配が伝わったのか、大丈夫と言い続ける。


 何も出来ないなんて嫌だ。

 婚約者になった先の未来が不安で仕方がない。


 無理やりにでもついていく? でもそれだとお姉さまを困らせる。隠れて行く? さすがに馬車の速度に子供の私がついていくのは無理だ。


 どうすればいいのか考えているのをお姉さまは納得したと受け取ったのか、「着替えを」とアネッサに言って、二人が部屋を出て行ってしまった。不安と時間が足りないせいなのか、焦りばかりで頭が回らない。


「スクル……」

『いやいや……うーん……でもなぁ』

「スクル!」

『ふあ⁉ え、何?』


 棚の上で私たちの会話にも気づかないで、自分で破いた紙を嗅いだりして考えこんでいるスクルがやっと私の声に反応した。ピョンっと床に下りてきて周りをキョロキョロしている。


『あれ? セレスは?』

「スクル、お姉さまについていって……」

『ついてく?』

「王宮だよ! お姉さまが側妃様に呼び出されたの! 聞いてなかったの⁉」

『いやちょっと気になっちゃって……って、何泣きそうになってんの?』


 結局スクルだ。スクルに頼るしかない。

 だけど、何も出来ない自分が不甲斐なくて、ぺたんとその場に座り込んでしまう。


 そんな私を気遣ってか、スクルが『ええ? ああ、うーん。まずちゃんと説明してよ』と言ってくれた。本当に聞いてなかったみたいだから、かいつまんで手紙のこととさっき自分が気づいたことを喋ってみる。


「一人で行くなんて危険すぎるっ……だから、スクル、お姉さまについていってよ!」

『……うーん、いや、ついていくのはいいんだけど……無理じゃない?』

「何が⁉」

『だって王宮でしょ? あの王子様だってバリバリ結界張られてたじゃん。その場所に行って、セレスの婚約阻止をあたしが出来るとは思わないよ。あたしが言葉喋ったら、それこそ珍獣扱いで捕まりそうだし。それに婚約者になるって決まったわけじゃないでしょ?』

「そう……そうだけど……」


 スクルまで冷静に話してくる。じゃあ、どうすればいい? このまま婚約者になるのを指でも咥えて待ってろとでも?


『うーん……あのお父様がすぐ合流するっていうならそこまで心配する必要ないとは思うけど……一応、保険は掛けとくか』


 保険?


 そう聞こうとしたけど、お姉さまたちが部屋に戻ってきて、スクルには何も聞けなくなった。


 王族に会うために服装を整えたお姉さまは、まだ心配そうに見ている私の頭をまた撫でてくれる。


 本当に大丈夫なの?

 このままお姉さまを行かせていいの?


 不安で不安で仕方がない。


「すぐに帰ってきてくださいね」

「……ええ」

「嫌なこと言われたら、ぜんっぶお父様のせいにしてください」

「それはだめ」


 馬車の前でギューッとお姉さまに抱きつく。嫌がらずにお姉さまも私のしたいようにさせてくれた。


 お姉さまにはカンナが一緒に行くことになった。カンナは風の魔法が使えるから、王宮にいるはずのお父様に逐一報告できるみたい。魔力は少ないけど、近くだったら出来るって言っていた。


「……スクルは?」

「え? いませんか?」


 さっき部屋で保険がどうのって言っていたけど、まだ部屋にいるのかな? ついてきてたとばかり。


 そう思って振り向こうとしたら、頭に何かいきなり乗ってきた。抱きついたままだったから、ブフっとそのままお姉さまの肩に顔が埋まる。


 アネッサが「……これはまた」とか言っている声が聞こえてきたから、絶対スクルが頭の上に乗っている。


「これを?」


 お姉さまがスクルに何かを言っているけど、スクル! さすがに重い! 降りてほしい!


 何をしたのかは分からないけど、スクルが肩の方に降りてきてくれてやっと顔を上げると、お姉さまが不思議そうにスクルを見て首を傾げている。スクル、何したの?


「出ないんですか?」

「……今出る」


 御者さんが帽子を深く被って、私たちの方を御者台から覗きこんでいた。あれ? 見たことない人?


「新しい人?」

「フィリアお嬢様、彼は前からいる門番ですよ」


 え、あ、門番さん? アネッサに言われて思い出そうとしても、あまり思い出せない。今までそういえば門番の人と話したことないよね。それのせいかも。


「じゃあ、行ってくるから」


 抱きついていた私の手をゆっくり離して、お姉さまが馬車に乗り込んだ。


 まだ胸がざわつく。

 婚約者に押し切られるんじゃ、とか、もしそうなったら、とか色々な不安が押し寄せてくる。


 窓から私たちを見て、馬車がゆっくりと動き出した。



 それをただ、眺めていることしかできなかった。



 ■ ■ ■



 ハアハアと自分の口から荒い息が出てくる。汗が服にへばりつく。


 でも止まってられない。


 行かなきゃ。

 行かなきゃ。

 行かなきゃ。


 あの時、馬車を動かせないようにとか、

 あの時、もっとちゃんと止めていればとか、


 心も頭も、後悔ばかりが過っていく。


 もっと、

 もっと色々とやれたはずなのに。


 目の奥が熱い。

 心臓が張り裂けそう。


 押し寄せてくる後悔に足が止められそうになる。


 けど、それは今じゃない。



 信じない。



 私は信じない。



 お姉さまが死んだなんて信じない。



 ポツリポツリと、冷たい雫が落ちてきた。


 それに構わず、私は走った。


今日から4章終わりまでの残り4話(本日更新分を除いて)を一日一話ずつの更新に切り替えます。ストックがそれぐらいしかないので、5章からは毎週金曜日更新にまた戻します。一気に更新できなくて申し訳ないのですが、この先もお付き合いいただければ嬉しく思います!

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― 新着の感想 ―
更新お疲れ様です。 な、なんという展開に……1週間この状態で……?と思ったら毎日更新で少しだけ気持ちが明るくなりました。 続きが気になって仕方がありません!次話も楽しみにしております。
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