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37話 「やっと……笑った」


『おお、おお、おおお』


 ねえ、スクル。変な声出さないでくれないかな? いくらこの山道のせいで、馬車がかなり揺れているとしてもさ。


 旅行当日になって、朝早くから私たち家族はお隣の領地に向けて出発。スクルをしっかりと膝の上に抱えて、お姉さまも窓から景色を眺めていた。後ろの馬車にアネッサたちが乗っている。


 でも昨日までの雨のせいか、道がかなりぬかるんでいたらしい。上下左右に馬車が揺れる揺れる。その度にお馬さんの手綱を引いている御者さんが、「大丈夫ですか?」と声を掛けてくれた。今回は特別にお父様が手配してくれた御者さんだ。遠方までの馬車移動に慣れている人を雇ってくれたらしい。


「大丈夫ですか、お姉さま?」

「……平気」


 お姉さまはきょとんとした顔で答えてくる。こういう長距離の移動初めてなはずなのに、全く問題はないみたい。酔って具合悪そうなら肩でも貸そうかと思っていたのに、完全に予想外。いいんだけど。いいんだけども。


 それでもそこは心配になったのか、お父様が「ちょっとゆっくり走ってくれ」と御者さんにお願いしていた。途中で休憩を何回か取りつつゆっくり移動したからか、お昼前に着くはずがもう過ぎていたよ。


「ローザム侯爵、いつも姉がお世話になっております」

「……いや、こちらこそアネッサにはいつも助けてもらっている」


 若干頬を引き攣らせながら、アネッサの弟である領主様に握手を返していたお父様。領主様はものすごい圧を感じる笑顔をお父様に向けていた。ああ、うん、これは前にお父様がアネッサを追い出したことを怒っているな。


 でも領主様は私とお姉さまには、アネッサに似た穏やかな笑顔を向けてくれた。


「セレスティア様もフィリア様もようこそ。ゆっくりとお寛ぎください」

「はい、ありがとうございます!」

「……ありがとうごさいます」

『はい! 珍しいリンゴをください!』


 スクル……そんなキラキラした目をしないであげて。言えなくなるから。リンゴはないって言えなくなるから。


 黙らせるために持ってきておいたリンゴをスクルの口に突っ込んであげたよ。モガモガと口を動かしているスクルを物珍し気に領主様が眺めていた。実際珍しいからね、このお猿さん。アネッサがきっと後で説明してくれるはず。


 それからはちょっと遅くなったお昼を領主夫妻と一緒にいただいて、部屋に荷物を置いてから、例の有名な観光場所に早速皆で行くことになった。


 準備しているアネッサたちの横で、ベッドの縁に座りながらスクルの口元を拭いているお姉さまをチラッと見てみる。


 変わらない表情。

 楽しみにしてるかな? どうかな?


 前よりはお姉さまの表情を分かった気がしていたけど……最近はめっきり自信がなくなってきたよ。主に、ほっぺをコネコネされた辺りからだけども。いや? 市場に一緒に行った時辺りからかも?


 ふーむと腕を組んで思い出していると、そのほっぺをツンツンとお姉さまが指で押してきた。今⁉


「準備、出来たって」

「へ? あ、ごめんなさい! 気づきませんでした!」


 教えてくれただけだった! ごめんなさい、つい考えちゃってた! 

 カンナがクスクスと笑いながら、「大丈夫ですよ」と言ってくれて、皆でもうお父様が待っているであろうホールに向かう。


『ねえねえ! 今から行くとこにあるの⁉ めっちゃ珍しいリンゴあるよね⁉』


 肩で騒いでいるスクルに目を合わせられなかったよ。言えない。こんな目をキラキラと輝かせているスクルに言えない。言っておけばよかった。忘れてた私が悪いんだけど。


 後で殿下にでもお願いして、他国の珍しいリンゴを入手してもらおう。そうしよう。


 ◇ ◇ ◇


『おお、すっご』

「これは見事だな……」


 目的地の湖の場所に到着すると、その景色を見たお父様がほうっと感嘆の声を上げている。スクルも感動しているみたい。


「湖を囲むように広がっているのか?」

「そうですよ、旦那様。遊歩道も整備されています」


 そうなのだ。何がすごいって、大きい湖の周り一面が花で埋められている。黄色、赤、紫、青等の色とりどりの花々たちが咲き誇っている場所。


 その花々の香りも鼻腔を擽ってきて、歩いていても香りと視界が楽しめるようになっている。湖も綺麗で、その湖にはその花々の色が映り込み、これまた圧巻の景色なのだ。


 人生に一度は見ておきたい場所に選ばれる観光地、と、アネッサがこの前見せてくれた本に書かれていたよ。


「これは……この範囲の土地により多くの魔力が注がれているのか」

「ええ、そうです。そのおかげで、年中咲き誇っていられるんですよ」

「……見せたかったな」

「そうですね……ミアラ様も見たいとは言っておりましたから」


 地面に手をついて、景色を眺めているお父様がそんなことを呟いた。アネッサはちょっと寂しそうに笑って、同じようにその先に広がる景色を見ている。そっか。ずっとベッドにいたって言ってたもんね。叶わなかったから、それで余計悲しいのかも。


『……ここ、いいね』


 リンゴのことをすっかり忘れてくれたのか、スクルも心地いい風を全身で浴びて気分がよさそうに目を閉じていた。


『うん、うん……これは、あるべき場所だ』


 意味不明なことまで言いだしちゃったよ。というか、これは……もしかしてここの精霊さんたちと会話してるのかな? 


 願わくばこのままリンゴのことを忘れてくれますように。精霊さんたち、もっとスクルに話しかけて忘れさせてください。


 心の中で精霊さんたちに望みを託しつつ、本命であるお姉さまの方を見てみる。


 風で靡いている銀髪を軽く押さえながら、湖と花畑を眺めていた。


 その横顔は、感動しているのか。

 その目は、この光景を見れて嬉しいのか。


 そんな疑問が浮かぶけど、目が離せなくなる。


 綺麗で、

 本当に綺麗で、


 ずっと見ていたくなるんです。


「……」


 その綺麗なサファイアの瞳を向けてきたから、思わず肩がビクっと跳ねてしまった。


「き……」

「き?」

「ききき来てよかったですね!」

「……」


 どもりすぎじゃないだろうか、私⁉ いや、その、ジーっと見続けてたのがバレたのかなって、そう思いまして! バレてしまったら、なんか恥ずかしいというか! 


 うわ、顔熱っ! というか、なんか今お姉さまの顔見れないっていうか、お姉さまにこの顔見られたくないっていうか!


「……フィリア」

「え?」


 名前を呼ばれたからどうしたんだろうって思った時だった。


『ふふん! いいよ、ちょっとやっちゃえ!』


 スクルの声がしたと同時に、辺り一面に大きい風が吹き荒れる。その風は、湖に、周りの花畑にも沸き上がった。


 湖には波が立ち、花弁がブワァッと空中に舞い上がる。

 色鮮やかな花弁が、視界一杯に湖の上で踊っている。


 太陽の光が湖に反射し、またその花弁をより一層鮮やかに輝かせていた。


 誰もが心を奪われる、神秘的な光景。


 お父様もアネッサもカンナも、そして他の観光客たちも今の光景に目を奪われていたのか、さっきまでの喧騒が嘘のように一瞬静まり返る。でもすぐにあちこちで歓喜の声が湧きだした。


「こんなの、初めて見ましたね……」

「すごい綺麗です」

「いい時に来れたみたいだな」


 アネッサも呆然と口元に手を翳して、カンナは両手を合わせて嬉しそうに、お父様はいつもよりも柔らかな微笑みを浮かべている。


 私も呆然とその光景を眺めるしかできなかった。


 まだ上空から落ちてくる花々に、その光景に、釘付けになる。こんな圧倒されるほど綺麗な光景、見たことない。


 うわ……うわあ……。

 感動したと一言で片づけられないほど、胸の内が騒がしい。


 ギュッとそばにあったお姉さまの手をつい掴むと、パチパチと目を瞬かせながら、湖の方からまた私の方を向いてくれた。


「見ました⁉ お姉さま、今の! すごいですね!」


 驚いているのか、目を大きく開いてお姉さまは見てくる。


 でも、自分の感動を誰かにも伝えたくて、お姉さまにも知ってほしくて、つい両手でいつものように握っていた手を包み込んだ。


「こんなの、滅多に見れないですよ! 色があんなパアって! 踊っているみたいで! すごいすご――」


 言葉が、止まった。



「やっと……笑った」



 空いていたお姉さまの手が、私の頬に触れてきて、

 その温もりが、触れてきて、


 大好きなサファイアの瞳が、私を映していて、


 望んでいた、


 願っていた、



 お姉さまの笑顔が、そこにある。



「お……ねえ、さま……?」


 柔らかく目元を緩ませて、微笑んでいる姿が、そこにある。


 夢?

 これ、夢?


 でも、頬に感じる温もりが、現実だと教えてくれる。


 今、ちゃんと、お姉さまは笑っている。


 生きているお姉さまが、


 手が暖かいお姉さまが、



 笑っている。



 目の奥が熱くなって、

 胸の奥が苦しいほどに締め付けられて、

 目尻に涙が溜まっていく。


「フィリア?」


 涙が自然と零れていく。


 涙を流した私に驚いたのか、お姉さまが少し不安そうに見つめてきた。


 やっと、やっと笑ってくれたのに、何をしているんだろう。

 そんな顔じゃない。

 さっきみたいに、笑ってほしいのに。


 でも、嬉しくて、

 言葉に出来ないほど嬉しくて、

 胸が熱くなるほど嬉しくて。


 待ち望んでいたその笑顔を見れたことが、本当に本当に嬉しくて。


 こんな嬉しい涙を、止めることが出来ない。


 ふふって笑いながら、お姉さまの頬に触れている手に上から自分の手を重ねた。


「嬉しいんですよ」


 お姉さま、不安にならなくていいんです。


 だから、笑って?


 ずっと望んでいたんです。

 ずっと願っていたんです。


 貴女のその笑顔を。

 貴女のその微笑みを。


 貴女の、心から嬉しそうにしているその顔を。


 自分も嬉しくなって笑うと、お姉さまは困ったようだけど、



 でも、また微笑んでくれた。



「泣いてるのに、笑ってる」

「嬉し泣きです」

「綺麗だった」

「すごかったですね。今日来てよかったです」

「ええ……来てよかった」


 嬉しそうに笑う姿に、胸の奥があったかい。


 その笑顔にまた自然と涙は出てくるけど、優しくその手で拭ってくれた。

 その手がくすぐったくて、また笑ってしまう。


「……よかった」

「え?」

「倒れてからずっと……あなたは笑わなくなったから」


 ついパチパチと目を瞬いてしまう。え、そうだったかな? そんなことないと思うけど。


「そんなことありませんよ?」

「……ずっと何かを考えている顔してた」


 そ、そう? 言われてみると、確かにずっと考えてたかもしれない。殿下の婚約者のこととか、お母様のこともあったし……学園のこともどうしようかなぁって。


「だから……よかった。ここに来て」


 ふっとお姉さまが嬉しそうに笑う。

 柔らかく口元を緩ませている。


「アネッサが、綺麗な場所だって言ってたから……気晴らしになるんじゃないかって思って」


 その言葉に、その声に、その微笑みに、ギューッと一気に胸の奥が苦しくなる。


 お姉さま、そんなこと考えてくれてたんですか? 私のこと考えてくれてたんですか?


 珍しいなって思ってて。

 お姉さまがおねだりするなんて、初めてだなって。


 ……なのに、それが私のことを考えてたなんて。

 そんな嬉しいこと、考えてくれてたなんて。


 嬉しすぎて、頬に当てられているお姉さまの手に擦り寄って、自然と自分も笑みが零れてくる。


「……同じこと、考えてました」

「同じこと……?」

「私も……最近、お姉さまが難しい顔してるなって思ってたから」


 だから、喜んでほしくて。どうしたらいいかなって考えて。


「お姉さまにも、この景色見せれたらなって」


 そうすれば、喜んでくれるかなって。

 まさか、本当にその笑顔を見れるとは思っていなかったけど。


「来てよかったです……この場所に。お姉さまと一緒に」


 貴女と一緒に、この素敵な景色を見れて良かった。


 えへへと笑うと、お姉さまもまた微笑んでくれる。その笑顔に、胸の奥が温かくなって、涙がまた零れそうになる。


 ……その前にお姉さまがもう片方の手で頬を挟んできたから、きょとんとしてしまったけど。

 

 あれ? またコネコネし始めた? いきなりですね⁉


「お姉さま? そんなにほっぺた気に入りました?」

「……本当にモチモチしてるなって」


 ずっとそう思ってたの⁉ というか、やっぱり気に入ってたんですね!


「モチモチが好きだったなんて知りませんでした」

「触り心地がいいから」

「じゃあ、好きなだけ触っていいですよ?」

「……たまにでいい」


 その返しが面白くてまた笑うと、それに釣られてなのか、またお姉さまもフワリと柔らかく笑ってくれる。


 ずっと、こうやって笑い合いたかった。

 こうやって楽しそうな姿を見たかった。


 貴女のそばで、

 貴女の隣で、


 貴女の笑顔を、見たかったんです。


 目を合わせると、大好きなサファイアの瞳が視界に入り込んでくる。


 私を見て、柔らかく微笑んでいる姿。


 初めて、お姉さまが笑った日。


 絶対忘れない。

 この日のこと。


 今、この瞬間、



 嬉しそうに笑う貴女の顔。



 明日も、この笑顔を見たい。


 明日も、この笑顔にしてみせる。


 この先、ずっとずっと、



 その笑顔を守ってみせるから。



 だから、お姉さま?



 また今みたいに、


 明日も明後日も、



 笑ってください。



 その笑顔が、幸せをくれることを知ったから。


 その微笑みが、こんなに胸の中を温かくさせてくれることを知ったから。



「フィ! セレス!」


 お父様に呼ばれて一緒にそちらを振り向くと、アネッサもカンナも、あとスクルも私たちを待っているようだった。やば……あのスクルの目、絶対この後にリンゴが出てくることを期待している目だ。


 まあ、仕方ない。今日は文句ぐらい甘んじて受けようじゃない。


 記念すべき、お姉さまが笑った日だからね。


「行きましょうか、お姉さま!」

「走らなくて大丈夫だから」


 お姉さまの手を取って走ろうとしたら、困ったようにお姉さまが笑っている。まだ知らない色々なお姉さまの笑顔が見れるかもと思うと、また嬉しくなってきた。


 明日も、明後日も、その先の未来も、笑顔で溢れるものにしたい。


 そう強く強く、思っていた。



 明るい未来を、信じていた。




 だけど、








 お姉さまの笑顔を見たのは、この日が最後になった。


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