3・夜に鳴く。
あなたは寒かったので窓を閉めた。
それから箪笥と壁の隙間に見えた黒い影のことを思い出す。
恐る恐る覗き込んでみると、黒くてふわふわの犬がいた。
「ひゅー」
なんだか口笛のような音を出して鳴く。
まだ子犬で、上手く声が出せないのかもしれない。
どうして座敷牢にいるのだろうか。監禁生活の慰めだとしたら、一郎が存在を告げたはずだ。
あなたは箪笥の横に置かれている本を見た。
なぜか蛇の本が多い。一郎の趣味なのだろうか。
箪笥の引き出しも開けてみる。中にあるのは服とタオルだけだ。
「筆記用具は……どこにもないみたいね。でも食事のときに箸や色の濃い汁を保存できれば、本の紙を破って手紙を書けるかも」
呟きながら、あなたは思う。
問題はその手紙をだれに渡せば良いかだ。
座敷牢、山の中、花嫁――なんだか昨今流行りの因習村のようではないか。そうだとしたら近くに味方はいないだろう。
「ご飯のときの湯飲みが透明のガラス製だったら、太陽光でなにかに火をつけて……も、鉄格子は溶けないし、部屋ごと燃やしたら私の命が危ないわよね」
「ひゅー?」
「……あなたは鉄格子の隙間から外に出られそうだから、逃げてみる?」
「ひゅーひゅー!」
黒い犬はあなたに頭を擦りつけてくる。
「一緒にいてくれるの? そうね、記憶が戻ったらなにか良い方法を思いつくかもしれないし、田舎の奇習なだけで結婚したら普通の生活ができるのかもしれないし……とりあえず様子を見ましょうか」
あなたは言った。
たとえほかにできることがなにもないとしても、諦めて流されるのと自分でそうすると決めたのでは気分が違う。
あなたの座敷牢生活with犬が始まった。
湯飲みは不透明の陶器製だったし、墨の代わりになりそうな色の濃い汁のおかずも出ない。
食事もお湯入りの盥も運んでくるのは一郎で、ほかの人間の姿は見えない。
部屋の寒さに暖房器具を頼んだら、やって来たのは湯たんぽだった。この部屋にはコンセントがないのだ。仕方がないので布団の間にあった毛布を羽織って生活している。
盥を牢内に入れるときに一郎を突き飛ばして外に出ようと思っても、彼は扉の前から動かない。
お手洗いはいわゆるボットンだから、彼が奥まで回収に来ることはない。外に回収口があるのだろうが、そこから逃げる度胸はなかった。でもオマルじゃなくて良かったと思っている。
なにもできないまま、三日間が過ぎ去っていった。
――今日は婚礼の夜だ。
「ひゅーひゅー」
あなたは黒い犬を抱きしめた。
この犬はあまり温かくない。
毛がふさふさだから、小さな中身にまで触れられていないのだろう。箪笥と壁の狭い隙間に入り込んでいたくらいなのだ。それでも自分以外の存在を感じると安心できた。
一郎はまだ犬の存在に気づいていない。
「婚礼で座敷牢の外に出られたら、あるいは一郎が牢の奥にまで入ってきたら、なんとしても一緒に逃げ出そうね!」
「ひゅーひゅー」
窓の外は暗い。
口笛のような犬の鳴き声に、あなたはふっと思い出す。
夜に口笛のような鳴き声を響かせる存在の話を聞いたことがある。あれは、なんだったろうか。
「……鵺?」
実在の生き物ならばトラツグミという鳥。
伝説に出てくる妖怪ならば鵺。
自分の詳しさに首を傾げながら、あなたは腕の中の犬を見つめた。黒い犬、黒い――本当にこれは犬なのだろうか。
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