1・黒い影
あなたは黒い影のことを青年に告げなかった。
「食事はちゃんと三食届けます。毎晩盥にお湯を入れて持ってきますので、身体はそちらで洗ってください。お手洗いは衝立の向こうです。絶食なんてしないでくださいね。もっとも僕達の婚礼は三日後の夜です。あなたが体調を崩す前にすべては終わりますので、病気になって外へ出ようなんて愚かなことは考えないでください。……なにか質問はありますか?」
青年に聞かれて、あなたは答えた。
「……私の名前は?」
青年が微笑む。
「さあ? 残念ですが僕も存じ上げません。お聞きする前にこういうことになってしまったので。ほかに質問はありませんか?」
どういうことなのだろう。あなたはべつの質問をしてみることにした。
「では、あなたの名前は?」
少し間があって、青年は悲しげな表情で答えた。
「一郎です。……今のところは」
そこで、どこからともなく柱時計の鳴る音が響いてきた。
「申し訳ありません。母の薬の時間です」
彼は出て行った。
扉が閉まり、鍵をかける重い金属音が聞こえてくる。
これからどうしたら良いのだろうか、あなたは思いながら立ち上がり、座敷牢の奥の壁にある窓を開けた。
内開きの窓の外にも鉄格子がある。
どうやらここは山の中らしい。
葉の落ちた寂しい木々に囲まれていた。人の声や車の走る音は聞こえてこない。冬の冷たい風が吹きつけてくる。
あなたは――
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