1話【空いた席】
――紡の部屋――
ササ――
アイマスクをずらし、遮光カーテンを開ける。
壁に貼られた星の絵に、白い光が差し込んだ。
部屋に流れ込んできたのは、朝でも夜でもない鉄塔の人工光。
ただ均一に塗り潰す光。
逃げ場のない白。
眩しい。
紡は思わず目を細める。
白夜の空は今日も変わらない。
ここでは、時計を見ないと昼夜が分からない。
「今日から夜勤か……ダルっ」
軽く吐き出す。
独り言。
言わないと……胸の奥に溜まったものに押し潰されそうだった。
「お弁当置いとくね~」
一階から声が届く。
養母の雫。
作業着の袖に腕を通しながら、思考が勝手にあの日へ戻る。
『あの時、私も一緒に飛び降りれてたら……』
常人にできるわけがない。
そんなことは分かっている。
それでも……
胸の奥が締め潰される。
現実が重く沈む。
指先。
わずかな力が入る。
一階に降りる。
雫から弁当を受け取る。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
火傷の痕が残る手が、軽く振られる。
切れ長の目が、柔らかく細められる。
何気ない日常。
外に出ると白い光が容赦なく降り注いだ。
紡は思わず顔をしかめる。
帽子を深く被る。
――彼みたいに。
あれから、一週間。
結局、朔夜とは一度も会えていない。
子供を助けに行った、あの日から――
同僚は気にも止めていない。
いないことに興味もないようだ。
――あの時――
紡も後を追う。
人混みを掻き分ける。
工場を飛び出した。
だが――
すでに光統院の規制線が張られていた。
白い防護壁。
無表情の隊員。
銃口のように冷たい視線が、進入を許さない。
「通行禁止だ」
たったそれだけで足が止まった。
踏み込めば……何かが決定的に終わる。
そんな確信だけがあった。
光の鉄塔が低く唸る。
大気の震え。
白光が飛んでいく。
規制線の向こう側。
世界が白く塗り潰された。
『何!?』
目が焼ける。
鼓膜の奥が軋む。
息が止まる。
身体が動かない。
しばらくして――
二度目の光。
何かが、消された。
そんな感覚だけが、遅れて残った。
やがて――
光統院の隊員が、子供を抱きかかえて現れた。
「ありがとうございます!」
群衆を押し分け、母親らしき女性が駆け寄る。
子供は泣きながら抱きつき、周囲は拍手に包まれた。
歓声。
称賛。
安堵。
誰もが、救われた物語の終わりを信じていた。
――ひとり、消えたことに気づかないまま。
「……はい。神通力は未確認です」
「……了解しました」
通信を終えた隊員が歩いて来る。
紡は堪えきれずに声をかけた。
「あの……若い男の人が、助けに行ったの知りませんか?」
だが――
「さあ」
それだけだった。
目を合わせない。
一秒も視線を留めない。
別の隊員にも尋ねる。
「さあ」
また別の隊員。
「さあ」
同じ答え。
――揃いすぎている。
まるで、最初から“いなかったことにされている”みたいに。
――工場――
ニュースでは、魍魎討伐と子供救出の英雄譚が繰り返し流れていた。
主役は、最初から決まっているかのように光統院。
映像は編集され、都合よく整えられている。
そこに朔夜の姿は一切ない。
あの日以来――
彼の作業台は、主を失った席になっていた。
工具は整然と並んだまま。
まるで、そこだけ時が止まっているように。
紡は足を止める。
ほんの一瞬。
その席を見つめた。
胸が軋む。
何も言わず、自分の作業台へ向かおうとする。
その時――
ドンッ!
何かにぶつかった。
「ごめんなさい!」
反射的に頭を下げる。
視線を上げる。
そこには、モップを持った清掃員が立っていた。
帽子で顔が半分隠れている。
――違う。
その瞬間、身体が先に理解した。
立ち方。
肩の角度。
視線を合わせない癖。
『……!』
そんなはずがない。
でも――
心臓が強く跳ねる。
喉の奥が熱くなる。
視界が滲む。
確信する。
抑えきれず名前が零れた。
「さ……朔夜!」




