2話【不器用その1】
紡の頭の中。
質問がぶつかり合って渋滞していた。
生きてた。
でも、どうして?
何があったの?
なんで清掃員なんかしてるの?
言葉は喉までせり上がってくるのに、そこで止まる。
口を開いても、漏れたのは息だけだった。
キーン。コーン。
二人の間に割って入るように、始業のチャイムが鳴る。
「後でねっ!」
反射的にそれだけ言えた。
自分の作業台へ駆け出す。
これ以上ここにいたら、泣いてしまいそうだった。
朔夜は少しだけその背中を見送る。
呼び止めることも、笑うこともできず。
ただ――何も言わない。
静かに掃除を再開した。
――屋上――
落ち合う場所を確認する必要はなかった。
二人の足は自然とここへ向かっていた。
屋上の隅。
コンクリートの隙間に咲いたタンポポを挟んで、二人は地面に腰を下ろす。
風が弱く吹く。
花弁が、かすかに揺れた。
なぜか朔夜の足元の影だけが、少し濃く見えた気がした。
「あれから……何があったの?」
紡は声を抑えて尋ねた。
問い詰める口調にならないよう。
ずっと心配だった。
責めたいわけじゃない。
確かめたかった。
――生きて帰ってきた理由を。
「分からない……」
朔夜は迷いなく答えた。
まるで、それが問題ではないかのように。
その言葉の軽さに、紡の眉がわずかに寄る。
「分からないって……どういうこと?」
「子供を助けるために魍魎を捕まえたけど……消えた」
朔夜は遠くを見るように呟く。
「で、光統院に銃口を向けられて……解放された」
淡々とした説明だった。
事実だけを並べた声。
そこに感情は、ほとんど乗っていない。
「いやっ。全然分からないから!」
思わず声が強くなった。
分からないままなのが怖かった。
朔夜は一度、目を閉じる。
瞼の裏に、あの白い光が焼き付いている。
ゆっくり息を吐く。
記憶を掘り起こす。
少し躊躇いながら――。
――あの時――
シュイィィン――。
光の鉄塔が唸る。
空気が震える。
骨の奥まで響く低音。
白い光が収束していくのが見えた。
魍魎の腕を穿った、あの光。
それが――自分に向かっていた。
『終わった……』
思考より先に理解した。
――助からない。
世界が静かに遠のいていく。
目を閉じる。
涙が滲む。
悔しさで歯を噛み締める。
指が地面を抉るほど食い込んだ。
死ぬと思っていた。
……だが。
強烈な光は朔夜の頬を掠めただけ。
胸元の地面へ落ちた。
次の瞬間――
「グギ――!」
自分の真下から悲鳴が聞こえた。
耳ではなく骨の内側で鳴ったような声。
違和感に目を開ける。
眩しさで視界が焼ける。
それでも無理やり目を細める。
胸元の地面を確認する。
『……え?』
自分の影が蠢いていた。
黒い霧のような"何か"が噴き出している。
煙とも液体ともつかない塊。
断末魔を上げながら飛び散る。
それは確かに、魍魎だった。
自分の影の中に潜んでいた。
身体に異物が入り込んでいた感覚。
吐き気が込み上げる。
自分の身体が、自分のものじゃなくなった気がした。
光が収まる。
霧散した黒い残滓を確認した隊員が言った。
「消滅確認」
まるでゴミ処理の報告。
感情のない声。
「立って良し」
銃口が下がる。
朔夜は警戒しながら立ち上がる。
何度も、自分の影を見下ろした。
そこにはもう何もいない。
ただの影。
「今のは……?」
掠れた声で尋ねる。
隊員は無機質に答えた。
「魍魎は影に潜伏できる」
「倒れた時に、お前の影に隠れたんだ」
「お前の影が他の影に重なると、魍魎が繋がった影から逃げる」
「だから、影に触れないよう警告した」
面倒臭そうに。
説明は、それで終わりだった。
一拍置く。
隊員が冷たく言い放つ。
「これで良いだろう。去れ」
朔夜の喉が詰まる。
「……去れ?」
まだ、訊きたいことがある。
だが、この場に“質問”という選択肢は存在しなかった。
それ以上口を開けば、撃たれる。
そう分かる空気。
朔夜は何も言わず、その場を離れた。
追い出されるように――
――屋上――
「……」
回想を終え、朔夜は視線を落とす。
死ぬかもしれない感覚が甦り、怖くて手が震えた。
紡は何も言わず、ただ聞いていた。
二人は、朔夜の足元の影を見る。
今もそこに何か潜んでいる気がして、寒気がした。
紡は怖くなり、朔夜の袖を掴もうとして――やめた。
その距離が、どうしようもなく遠かった。
そんな二人の間を行き交うように、タンポポは何も知らずに揺れていた。
それだけが、この白い世界で崩れない"自然"のように。




