3話【密偵】
「巡回に行ってくる」
早朝稽古を終えた剛鬼が立ち上がる。
大きな背に金棒を担ぐ。
鼻を覆う包帯。
折れた右の角。
戦闘の傷が残る顔で、天岩戸に向かい歩き出した。
「本来、巡回は烏丸と二人で行っておったのじゃが……」
見送る朽木が言い淀む。
意識の戻らない烏丸を想い、皆が沈黙する。
「僕が巡回に行きます」
朔夜が木刀を腰に携え、剛鬼の背を追いかけた。
――外――
剛鬼の後を追い、朔夜は洞窟の外へ出た。
「金剛力」
神通力で増強した筋肉。
その腕力で、天岩戸をしっかり閉じる剛鬼。
廃鉱山の風が頬を撫でる。
スモッグのかかる空。
霞む太陽。
見下ろせば荒野。
巡回と言っても、 目的は警戒だけではない。
天岩戸周辺に残された足跡や痕跡。
人間の侵入。
それらを確かめるためだった。
「剛鬼さん」
歩きながら朔夜が口を開く。
「鬼の怪人は……里を守る存在なんですか?」
剛鬼は少しだけ眉を動かした。
「そう教えられて育った」
短い返答。
「親父も祖父も...…兄者も…… 力がある者が守る。それだけだ」
それ以上は語らない。
剛鬼の脳裏に浮かぶ勇鬼。
腰巾着に、そっと触れる。
だが、 その声には誇りが滲んでいた。
「妻は病気で亡くしたが…… 俺には、美鬼と言う娘がいる」
周りを観察しながら話す剛鬼。
「紡から聞きました。紡が心細い時、手を握ってくれた、優しい娘さんですよね」
朔夜が紡から聞いたことを伝える。
娘を褒められ、少し顔が綻ぶ剛鬼。
「娘には自由に生きて欲しい。隠れ里じゃなく、差別の無い広い世界で。その為なら……」
言いかけて、口を噤む剛鬼。
眼光が鋭くなる。
麓で何かが光った気がした。
慎重に岩肌を下る朔夜と剛鬼。
岩肌には乾いた血。
麓には土砂崩れに埋まった採掘機。
前回の戦闘の跡が残る場所に立つ。
横倒しに壊れた、重機のミラーが光を反射していた。
「……気のせいですかね」
朔夜が少しほっとしたように言った。
しかし、
「捕まえて、情報を聞き出すぞ」
剛鬼は、小声で朔夜に伝えると、気付かれないように動いた。
少し離れた場所。
地面に埋まる車両のドアに近づく剛鬼。
朔夜に顎で合図を送る。
指を構え、黙って頷く朔夜。
朔夜の青い目が淡く光る。
「一線」
ドアの上に箱形の境界を張った。
その下面以外の五面の境界を閉じておく。
境界の罠を張る。
以前の自分なら――ただ目の前に壁を作るだけだった。
魍魎との戦い。
光統院との戦い。
剛鬼との鍛錬。
その全てが、朔夜に戦い方を教えていた。
守るだけでは足りない。
相手を追い込み、動きを制し、生け捕る。
境界は檻にもなる。
朔夜は静かに呼吸を整えた。
ドア目掛けて、金棒を振り下ろす剛鬼。
バンッ!
一瞬速くドアが開き、何かが飛び出した。
ベゴンッ!
遅れて、金棒がドアを潰し、土煙が舞う。
ドンッ!
飛び出した何かが、箱形の境界上部に阻まれる。
何かが境界にぶつかり、青白く光った境界。
その瞬間に、下面の境界を閉じた朔夜。
生け捕りに成功した。
『できた……!』
胸の奥で小さく拳を握る。
偶然ではない。
狙って捕らえた。
初めて、自分の力で敵を追い詰めた瞬間だった。
風が土煙を散らす。
境界の中には――光統院の白い隊服。
境界に手を触れ、その存在を確かめる。
それでも、状況が理解できない様子。
生け捕りにされた隊員の前に立つ、朔夜と剛鬼。
「怪人を舐めるなよ!」
剛鬼の低く、噛み締めるような声。
隊員に近づく。
胸ぐらを掴もうと手を伸ばす剛鬼。
「危ない!」
朔夜が叫ぶ。
境界の前で手を止める剛鬼。
その瞬間――
「怪人に捕まるなど恥!」
ボンッ!
隊員が爆ぜた。
境界が血に染まる。
肉片がへばり付く。
「つっ!」
境界が衝撃で波打つ。
背中の傷が鈍く疼いた。
――境界は、朔夜自身と繋がっている。
「自爆するとは…… 境界のお陰で、巻き添えを食わずに済んだ。ありがとよ」
礼を言う剛鬼。
「いえ……」
短く返す朔夜。
境界を解く。
ボトボト。
原型を失くした肉塊が落ちる。
その中に光統院の紋章が混じっていた。
戦いは非情だと分かっていても、目の前で人間が死んだ事に、胸が痛む。
――天岩戸――
朔夜と剛鬼が戻ると、朧が天岩戸の前に立っていた。
「朧さん」
朔夜が声をかける。
「朔夜か。天岩戸を動かせなくて困っていた」
振り向いた朧。
剛鬼が天岩戸の前に立つ。
「金剛力」
神通力を使い天岩戸を動かす。
ズゴゴゴ――
地面を擦り、ゆっくりと開かれる天岩戸。
朧は、筋骨隆々の剛鬼をじっと見詰めた。
鬼の怪人。
神通力。
強靭な肉体。
研究資料に何度も記された、理想的な適性個体。
脳裏に浮かぶのは、医療棟で歩き出した子供だった。
泣きながら抱き合う両親。
救われた命。
だが同時に。
勇鬼。
解体された怪人。
失われた居場所。
『違う……』
朧は拳を握る。
『剛鬼さんは材料じゃない』
『勇鬼さんの時と同じ過ちは、もう繰り返したくない』
そう分かっている。
分かっているのに――
研究者としての自分が囁く。
鬼の怪人の血肉があれば、もっと多くの命を救えると。
朧は、剛鬼の背に何か言いかけて――
ぐっと言葉を飲み込んだ。




