9話【忘却の白夜】
「わしが“追憶”で知り得たのは……ここまでじゃ」
囲炉裏の火が弾ける。
火の粉が舞う。
朽木の顔が赤く照らされる。
「百鬼夜行で……何があったのか。そこから先の“真実”は……わしにも分からぬ」
ゆっくりと目を伏せる。
長い白髭を撫でる。
やがて――
「じゃがな」
皺が刻まれた顔を上げる。
「環様を失った焔様は……百鬼夜行に参戦した」
一拍。
「――五十年。争いと呼ぶには、あまりにも長く、あまりにも遠い時間じゃった。その間……焔様が、どう在ったのか。わしには、分からぬ」
小さく息を吐く。
「ただ――誰も、あの方を止められなんだ」
揺れる囲炉裏の火を、見詰めながら続ける朽木。
「最初は、怪異が優勢じゃった。神通力……自然と一体となった力。人間では太刀打ちできぬはずの力じゃ」
「……じゃがな」
間を置く朽木。
「都は……変わっていった。空気が濁り、水が腐り、音すら歪む……あの場所は、もはや生き物の居る場所ではなかったのじゃ」
朽木の嫌悪する声。
眉を潜める朔夜。
汚れた都を容易に想像ができた。
「怪異にとっては……特にな。吸うたびに削られる。立つだけで削られる。汚染された怪異は……弱り、そして――殺された」
静かだが、重みがある朽木の声。
「人間は……知恵をつけた。武器を作り、仕組みを作り……“殺すための方法”を、静かに、確実に積み上げていった。祈りではなく、武器で怪異を測るようになったのじゃ」
「そして――何よりも」
朽木の声が、さらに重くなる。
「人間は……増え続けた。倒しても……倒しても……終わらぬ。それが、何より恐ろしかったのじゃ」
囲炉裏の火が弾ける。
朔夜たちの顔に、赤みが増す。
顔は暖かいのに、細胞のように増殖する人間を想像して、背筋が冷える朔夜。
小さく身震いする。
「その間にも……山は削られ、川は変えられ、森は消えていった。怪異たちは……戦う前から負けておったのじゃ」
朽木の事実に基づく語り。
怪異が負けた事に、納得がいく朔夜。
「影響は都の外にも……自然破壊が、容赦なく怪異を殺した……わしの父、木霊もな……」
言葉が震える朽木。
「怪人も……同じじゃ。巻き込まれ、逃げ隠れ……散り散りになってしもうた」
一瞬、言葉が止まる。
「……わしは、円と数名の仲間と共に……この天岩戸に辿り着けた……」
それだけだった。
それ以上は、語らない。
「……晴明……」
視線を落とす朽木。
誰にも届かぬほど、小さく零れる恩人の名。
あの時、朽木たちの身代わりとなり、
自ら人間に捕まった。
最後まで怪人を守ってくれた者。
朽木の指が、わずかに震えた。
胸が痛む。
囲炉裏の火が揺れる。
「後は……人間たちの知る歴史じゃ」
語りに戻る朽木。
妙に淡々とした声。
だが、そこには、確かな苦味が滲んでいた。
「怪異は滅び、人間が……勝った」
短く。
断ち切るように。
「焔様だけは……最後まで殺しきることが出来ず。闇に封じることしか、出来なんだ。 勝ったはずの人間が、最後に選んだのは――終わらせることではなかった……見えなくすること、じゃった。 人間たちは……恐れたのじゃ。闇を、焔様を、そして――自分たちが、何をしたのかをな」
朽木は、考察を交えながら、
今度は、人間たちの世界を語る。
「だから……夜を消した。闇を恐れたからではない。闇を――思い出したくなかったからじゃ」
目を細める朽木。
「あの闇夜の中で……自分たちが何をしたのかをな。 都は……光で覆われた。夜を殺すために。記憶ごと塗り潰すために」
一拍。
呼吸を整える朽木。
「それを――“白夜”と呼ぶ」
「光ではない……ただの、忘却じゃ。忘れねば――人間は、正気を保てぬからな。 忘れて……また過ちを繰り返す……愚かな人間じゃ」
冷静さを保ちながらも、
吐き捨てるように言う朽木。
朔夜も、雫も、反論しない。
「そして……その光を守るための機関が生まれた。光統院。今のお主らが知る……あの世界じゃな」
「……これが、この世界の……"歪み"の始まりじゃ」
白髭を撫でる朽木。
「正しさが歪められた世界に――お主らも生きておるのじゃ」
囲炉裏の火が、三人の影を静かに揺らす。
朔夜は、ただ黙って耳を傾けていた。
ゴクリ。
唾を飲み込む音だけが、やけに大きく響く。
「長々とすまなかったの」
頭を下げる朽木。
「そんなことないです。貴重な話を、ありがとうございます」
雫が首を横に振る。
「もうすぐ、夜も明ける。光統院が、また来るかもしれん」
改めて二人を見つめる朽木。
囲炉裏の火で 皺がより一層、深く見える。
顔の陰影が濃くなる。
「どうか……怪人の……お前たちの……生きる場所を守ってくれ…… もう二度と、奪われぬようにな……」
深々と頭を下げた。
「……生きる場所……」
呟く朔夜。
かつて回収された、石の怪人の言葉が蘇る。
『……生きる場所を返せ……』
その言葉が、頭から離れない。
それは、本当に悪なのだろうか。
――いや。
悪ではない、はずだ。
ならば。
この世界の“正しさ”とは――一体、何なのか。
……誰の正しさなのか。
それでも、朔夜は思った。
青い目が僅かに光る。
引かれた境界を"引き直す"ために――自分はここにいるのかもしれない。
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