第1章【偽りの日常】4話【魍魎】
ビー!ビー!
光統院の対魍魎警報器が鳴り響く。
二人を包む空気を引き裂かんばかりに。
次の瞬間――。
「助けて!」
鋭く裂けるような悲鳴が、屋上まで響き渡った。
倒されるベンチ。
転がる工具箱。
脱げたまま置き去りにされる靴。
屋上にいた同僚達は、何かに弾かれたように一斉に階段へ殺到した。
「どけっ!」
「押さないで!」
怒号と悲鳴が混ざり合い、出口は瞬く間に人で詰まる。
誰も後ろを振り返らない。
ただ生き延びるためだけに、我先にと押し合っていた。
そんな光景を見て、咄嗟に立ち上がった朔夜と紡。
二人は助けを呼ぶ声を屋上の柵越しに探していた。
周囲の空気が重い。
肺の奥に湿った泥が流れ込んでくるような不快感。
皮膚にまとわりつく冷たく重い気配。
『いる!』
理屈ではなく、心が、本能が告げていた。
空気の異常値を感知した光統院の警報器が、警告灯を点滅させ続ける。
真っ白な光の中で、その赤が不気味に脈打っていた。
逃げ惑う人々の流れの先。
そこに――それはいた。
形の定まらない、どす黒い塊。
煙のようで、液体のようで、影そのものが剥がれ落ちて動いているようでもある。
その存在を視界に入れただけで、 胃の奥がひっくり返るような吐き気が込み上げた。
それが――《魍魎》
子供が一人、必死に走っていた。
何度も転びそうになりながら、 涙でぐしゃぐしゃになった顔。
声にならない叫びを上げ、助けを求めながら。
「ママ――!」
手に持つぬいぐるみが荒く揺れる。
「助けなきゃ!」
紡の声が震えた。
その言葉を聞くより早く、 朔夜の体は動いていた。
頭痛が消えている。
さっきまで脳を締め付けていた痛みが嘘のように静かだ。
代わりに胸の奥で、別の感覚が脈打っている。
『――行け』
誰かの声ではない。
自然そのものが背中を押してくるような衝動。
朔夜は柵に手を掛けた。
一切の躊躇なく、軽く飛び越える。
視界の隅でタンポポが呼応するように揺れる。
白い光の中へ落ちる感覚。 風が頬を叩く。
タンッ。
次の瞬間には、地面を蹴って走り出していた。
「ちょっ……!」
3階の屋上に取り残された紡が息を呑む。
常人なら死ぬかもしれない高さ。
なのに、あまりにも滑らかな、猫のような着地。
人間離れした加速。
普段の不器用な姿からは想像できない動きだった。
『お願いっ!』
そんな朔夜に、紡は直感的に、希望を見い出していた。
――
朔夜は一直線に子供へ向かう。
魍魎との距離が縮む。
空気がさらに重くなる。
地鳴りのような低い音を、魍魎が発した。
「グゥギョギョ――」
それでも足は止まらない。
子供の涙に濡れた顔が、はっきりと見えた。
子供の目にも朔夜が写り込む。
『――間に合え!』
朔夜は地面を強く蹴った。




