3話【星】
「反思想の小娘だ……」
その一言で周囲の空気がわずかに引いた。
だが、娘は一切反応しない。
ただ真っ直ぐに朔夜の元へ歩いてくる。
コツッ。
コツッ。
一定のリズムで。
この場に似つかわしくないほど、迷いのない足取り。
俯いたままの朔夜と、蔑視を向ける同僚たちの間。
そこに自然に割って入る。
まるで、そこに立つのが当然であるかのように。
「チッ。紡か」
同僚が露骨に顔を歪め吐き捨てる。
紡は視線すら向けない。
ただ一点。
朔夜の作業台だけを見ていた。
「貸して」
柔らかい声。
だが、そこに迷いはなかった。
『……』
朔夜は答えない。
背中を丸め、手は小刻みに震えている。
……数秒の沈黙。
紡は急かさない。
責めない。
ただ、朔夜の心が現実へ戻るのを静かに待ち続ける。
『……』
だが――戻れない。
紡は小さく息を吐いた。
「よいしょっ」
次の瞬間。
迷いなく動いた。
朔夜の作業台に置かれていた、未完成の装置を抱え上げる。
あまりにも自然な動作。
まるで、最初からそうするつもりだったかのように。
咎める言葉もない。
振り返ることもない。
そのまま、自分の作業台へと持ち帰っていく。
同僚たちは一瞬だけ顔を見合わせた。
すぐに興味を失ったように視線を外した。
ガタッ。プシュ。ガタッ。プシュ。
無機質な機械音が、再び作業場を満たす。
だが朔夜には、その音すら遠く感じられた。
――屋上――
重たい扉を押し開ける。
白い光が、容赦なく視界を満たした。
昼か夜かも分からない空。
雲も、星もない。
ただ塗り潰されたような白だけが広がっている。
巨大な光の鉄塔。
遠くまで規則正しく並んでいる。
世界そのものを監視する装置のように。
すべてを白日の元にさらすように。
屋上の中央。
数人の同僚が談笑している。
誰も空を見上げない。
疑問すら持たない。
それが当然であるかのように。
朔夜は視線を逸らすように歩く。
屋上の隅。
配管の影にできた、わずかな土の割れ目。
そこに咲く――一輪の花。
その隣。
いつものように腰を下ろした。
『……』
指先で、そっと花弁に触れる。
柔らかな感触。
かすかな香り。
ひとときの安らぎ。
ゆっくり目を閉じる。
音も、視線も、遠ざかる。
「その花はタンポポ?」
不意に頭上から声が落ちてきた。
はっと目を開ける。
顔を上げる。
紡が少し身を屈める。
覗き込むように立っていた。
「……ああ」
一瞬、言葉が遅れる。
人と話すこと自体、久しぶりに感じた。
紡は花を挟むように腰を下ろす。
同じ方向を見つめる。
沈黙。
だが、不思議と居心地は悪くなかった。
「ねえ、朔夜は――星を見たことある?」
紡は白い空を見上げたまま言う。
その声には純粋な好奇心が滲んでいた。
「ある」
短く答える。
それ以上語るつもりはなかったが――
紡は、それだけで嬉しそうに微笑んだ。
「いいなぁ……」
ぽつり、と零れる。
「私も、一度でいいから――本物の綺麗な星を見てみたいな」
朔夜にだけ聞こえる抑えた声。
夢を見る子供のよう。
だが、その奥に。
かすかな切実さが滲んでいた。
「そんなこと言ってるから、反思想扱いされるんだ」
軽く嗜める。
責める気持ちはない。
ただ――この世界は、それを許さない。
「あぁ……」
紡は苦笑し、頭をかいた。
「さっきは、ありがとう」
ぽつりと、朔夜が言った。
自分でも驚くほど自然に出た言葉。
紡は一瞬だけ目を丸くし――
すぐに柔らかく笑った。
「どういたしまして」
静かで、優しい空気が二人を包む。
――その空気は。
次の瞬間――
ビ――!ビ――!
無残に引き裂かれる空気。
光統院の対魍魎警報器が鳴り響く。
「助けて――!」
子供の泣き声。
鋭く裂けるような悲鳴。
屋上まで届いた。
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