6話【光統院】
ブィン。ブィン。
ブィン。ブィン。
近くの光の鉄塔が――唸り始めた。
低く、重い振動。
まるで巨大な肺が、ゆっくりと息を吸い込むように。
空気を。
光を。
何かを――内側へ溜め込んでいく。
そして。
“吐き出す”準備をしている。
……嫌な予感がした。
だが、朔夜は気にも留めない。
今は――走ることだけが全てだった。
風を裂く。
地面を蹴る。
白い光の中を、一直線に突き抜ける。
『――いけるっ!』
さらに踏み込む。
世界が流れる。
歪む視界の中で――
子供の姿だけが、鮮明に残る。
涙でぐしゃぐしゃの顔。
今にも手放しそうなぬいぐるみ。
震える指先。
「こっちだ! 早くっ!」
叫びながら、手を伸ばす。
小さな手が、必死に伸び返される。
触れる。
届く。
――そのはずだった。
ズズンッ!
膨れた黒が、空気を裂いた。
伸びる魍魎の腕。
歪み、尖り、形を定めない異形。
一直線に、子供の後頭部へ――
『触れたら……終わる』
理屈ではない。
本能が、断言する。
朔夜の指先が届く。
だが――ほんの一瞬だけ。
魍魎の方が、速い。
――その瞬間。
シュイィィン――
甲高い電子音。
鉄塔が、閃いた。
次の瞬間。
轟音。
大気が、震える。
白い閃光が、槍となって放たれた。
一直線に――魍魎の腕を貫く。
焼ける。
溶ける。
削り取られる。
悲鳴すら、許されない。
照射された部分は霧散し――
地面に落ちることすらなく、光の中で消滅した。
「グギョ――!」
……あまりにも、一方的だった。
魍魎が怯む。
空気が歪む。
怒りにも似た気配が、膨れ上がる。
『……今だっ!』
朔夜は、子供の腕を掴む。
強引に引き寄せる。
軽い身体が、胸にぶつかる。
子供は声を出さない。
ただ、必死に朔夜の作業着を握りしめている。
「もう大丈夫だ――行けっ!」
押し出す。
小さな背中が、よろけながら走り出す。
振り返らない。
――守れた。
そう思った瞬間。
違和感。
魍魎が――こちらを見ていない。
視線すら、向けない。
まるで。
最初から、存在していなかったかのように。
ヌチャ。
ヌチャ。
すり抜ける。
真横を――
ぬるり、と。
触れそうな距離で。
粘つく闇の気配が、頬を撫でた。
ヘドロのような悪臭が、肺に流れ込む。
吐き気が込み上げる。
だが。
それでも。
魍魎は、朔夜を“認識していない”。
ただ。
逃げた子供だけを――追っていく。
『無視……された?』
思考が、追いつかない。
怒りでもない。
恐怖でもない。
理解できない、という感覚。
胸の奥が、ざわめく。
――その瞬間。
パシャンッ!
世界が、白に塗り潰された。
音が消える。
空気が止まる。
影が――消える。
完全に。
存在そのものが否定されたかのように。
『しまった――!』
本能が、警鐘を鳴らす。
朔夜は、視線だけを動かした。
そこに立っていたのは――
光の紋章を胸に刻んだ、白い制服の男たち。
無表情。
感情の揺らぎは、一切ない。
人を見る目ではない。
価値の有無だけを測る――
冷たい測定器のような眼差し。
動きは規則正しい。
無駄がない。
迷いがない。
生きている、というより――
“機能している”。
一人が、わずかに視線を動かす。
朔夜へ。
ピタリ、と止まる。
……測られる。
選別される。
そんな感覚。
『……光統院……』
心が冷たくなる。
【怪人を見つけたら――】
胸の奥が、強く締め付けられる。
脳裏に浮かぶ、あのポスター。
怒りか。
恐怖か。
それとも――
そのどれでもない何か。
静かに。
だが確実に。
内側で――軋み始めていた。




