12話【心理戦】
ビシビシッ――!
崖の岩肌に走った亀裂が、蛇のようにうねりながら、朔夜の足元へと迫る。
「烏丸さん!」
朔夜と雫が同時に駆け寄る。
白目を剥いたまま、動かない烏丸。
腹部から溢れる血が、岩肌を染め上げる。
「……くっ」
朔夜は唇を噛む。
雫は、すぐにリュックへ手を伸ばす。
取り出したのは、朧から託された秘薬。
迷いはない。
傷口へ、叩き込むように塗り込む。
グジュ……
秘薬が、生き物のように蠢いた。
肉の奥へと潜り込み、血を飲み込み、傷口を覆っていく。
まるで“食らう”ように。
その瞬間――
パパパパッ!!
粉塵の向こうから、無慈悲な弾幕が降り注ぐ。
「一線」
シュン――
空間に、薄く線が走る。
カンカンカンカン――!!
弾丸が弾かれる。
火花は散らない。
代わりに、青白い光が瞬く。
境界。
そこに“存在しない壁”が、確かにあった。
――上空――
粉塵へ弾幕を撃ち込みながら、季武が降下する。
慎重に近づく。
やがて煙が薄れ、視界が開けた。
そこに立っていたのは――朔夜。
雫と烏丸を背に。
壁のように、動かない。
パパパパッ!
カカカカン――!
弾が当たるたび、同じ一点が淡く光る。
まるで“拒絶”されているかのように。
「……やっぱり、君の神通力か」
銃口を下げないまま、季武が呟いた。
――バリア。
思考が、加速する。
範囲。
強度。
発動条件。
維持コスト。
――不明。
情報が足りない。
今は...…危険。
不用意に踏み込めば、終わるかも。
『弾数も少ない……燃料も残り僅かか……ジェットパックは燃費が悪いな~』
脳は冷静に計算を続ける。
顔には、一切出さない。
朔夜もまた、同じだった。
『攻撃が……届かない』
烏丸から覇権を奪った季武。
空を飛ぶ敵。
こちらは地上。
届かない。
分が悪い。
だが、防ぎ続けることも――限界がある。
背中の傷が、脈打つ。
じわりと血が滲む。
『……持たない』
それでも、顔には出さない。
歯を食いしばる。
二人の間を、風だけが通り抜けた。
動けば、終わる。
その時――
朔夜の背に滲む血を見て、雫が動いた。
指で円を作る。
標的は、上空の季武。
「霧雨」
ブワッ――!!
濃霧が、爆ぜた。
一瞬で、視界が閉ざされる。
水滴が肌に貼り付き、温度を奪う。
「……っ!」
季武は即座に上昇。
霧の外へ抜けようとする。
その瞬間。
朔夜と雫の視線が、交わった。
言葉はない。
だが――理解している。
タッ――!
朔夜の肩を踏み台に、雫が跳ぶ。
空気を裂き、一直線に――
ガシッ!!
空中で、季武の足首を掴んだ。
「なっ――!?」
ガクンッ!!
機体が傾く。
バランスが崩れる。
即座に銃口が向く。
パパパッ!!
雫は、鞘を振り上げた。
ガッ!!
顔面へ叩き込む。
弾道が逸れる。
頬を掠める弾丸。
足の甲を撃ち抜く一発。
「……くっ!」
それでも、離さない。
高度が、落ちる。
さらに――
ドンッ!!
朔夜が跳び付いた。
首へ腕を絡める。
銃身を掴む。
パパパパッ!!
弾丸が空へ散る。
岩へ散る。
三人が絡み合う。
体勢が、崩れる。
朔夜が操縦桿を、季武の手の上から掴む。
乱暴に捻る。
旋回。
錐揉み。
そして――
ドガンッ!!
墜落。
地面へ叩きつけられた。
ゴロゴロゴロ――!!
転がる。
ぶつかる。
翼が捥げる。
やがて、弾けるように分離する。
雫の手が離れる。
全身が擦り傷だらけ。
撃ち抜かれた足が熱を持つ。
ビリッ。
布を裂き、止血する。
カスッ。
銃声が、止まった。
弾切れ。
そして――
殴り合いが始まる。
ドンッ!!
朔夜と季武がぶつかる。
取っ組み合いながら、崖を転がる。
境界を張る余裕は、ない。
ゴンッ!!
季武の頭突き。
鼻血が弾ける。
ドカンッ!!
横転した重機へ叩きつけられる。
「かはっ……!」
背中が潰れる。
呼吸が止まる。
その隙。
ドッ!!
腹へ蹴り。
距離が開く。
朔夜の動きが、鈍る。
――その瞬間。
季武が、重機を駆け上がった。
「……っ」
朔夜は膝をつき、顔を上げる。
鼻を押さえる。
肩で息をする。
カチャ。
上。
赤い鏃が、こちらを向いていた。
「ロックオン」
静寂。
互いの呼吸だけが響く。
季武は撃てない。
『既に張られていたら終わる』
境界の仕様が、分からない。
見えない。
『クロスボウは単発』
『外せば隙』
『肉弾戦は不利』
思考が止まらない。
一方――朔夜。
『撃ってこない……』
ゆっくりと立ち上がる。
指を構える。
だが――まだ、張れていない。
『前面だけなら……間に合うか?』
だが、矢は曲がる。
どこから来るか分からない。
『全面展開は無理だ』
背中が酷く痛む。
『神通力も……残り僅かか』
「動くな」
季武の声。
朔夜の動きが止まる。
互いに、理解していた。
撃てば、終わる。
動けば、終わる。
風が、止まる。
世界が、息を潜める。
動かない。
動けない。
思考だけが、回り続ける。
汗が頬を伝う。
時間だけが、引き延ばされる。
――均衡。
その一点で、すべてが止まっていた。




