5話【白夜の外へ】
ブロブロブロブロ……
低く唸るエンジン音が、車内の床を震わせていた。
トラックは走る。
当てもなく。
ただ――少しでも遠くへ。
追いつかれない場所へ。
白い光から、逃れるように。
――揺れる車内――
「助かりました。ありがとうございます」
寝台に身を預けた朔夜が、一鉄へ頭を下げる。
「それはそうと、なんだその格好は!」
ルームミラー越しに、一鉄が朔夜を睨む。
怒鳴り声。
だが、
その乱暴さが、今は妙に心地よかった。
生きている者の声だった。
「これは、その……洗濯中で」
言い淀む朔夜。
花柄のパジャマの下だけを履いたままの姿に、一鉄は鼻を鳴らす。
「そこに俺の着替えがある。勝手に使え」
「ありがとうございます」
寝台に置かれたリュックを開ける。
少し大きめのTシャツ。
作業着。
油と鉄の匂いが、深く染みついている。
無骨で、重たい服。
けれど――妙に落ち着いた。
守られているような、重さだった。
「一鉄さんも、その顔どうしたの?」
助手席と運転席の間に身を寄せた紡が、一鉄の顔を覗き込む。
頬は青く腫れ、
鼻の下には乾いた血。
明らかに、ただ事ではない。
――朔夜たちを逃がした後の工場――
トラックから、乱暴に引きずり出される一鉄。
囲む、光統院の隊員たち。
何発も叩き込まれる拳。
蹴り。
怒号。
鉄拳制裁。
工場の中では――
「反思想だ!」
罵声が飛ぶ。
刺さる視線。
線を引くような目。
そして――
居場所は、失われた。
――揺れる車内――
「これは、男の勲章だ!」
一鉄は短く吐き捨てる。
ハンドルを握り直す。
ごつごつした拳が、白くなる。
一瞬だけ。
「……もう、戻る場所はねぇけどな」
小さな声。
エンジン音に、掻き消されるほどの声だった。
紡は、それ以上は訊かなかった。
ただ、静かに言う。
「助けに来てくれて、ありがとう」
返事はない。
その代わりに、アクセルが深く踏み込まれた。
その時――
ファン。ファン。ファン。
赤色灯を回転させながら、装甲車が迫る。
バックミラーいっぱいに広がる、無機質な光。
「ちくしょう! もう来やがった!」
車内の空気が、一瞬で張り詰める。
ハンドルが荒く切られる。
タイヤが悲鳴を上げた。
「きゃっ!」
紡が思わず、雫の腕を掴む。
車体が大きく揺れる。
朔夜の身体が、寝台の上で浮きかける。
「くそっ! 何処へ行けばいいんだ!」
怒鳴り声。
そのあとに、短い沈黙が落ちる。
振動だけが、車内を満たした。
「……天岩戸に行きましょう」
静かな声。
だが、迷いはなかった。
雫の声だった。
「何処?」
紡が見上げる。
「怪人の隠れ里よ」
その一言で、空気が変わる。
「僕ら以外にも、怪人がいるんですか!」
朔夜が、思わず寝台から身を乗り出す。
「こらっ! 危ねぇ!」
「すいません!」
怒鳴られて引っ込む。
それでも、その目には確かな光が宿っていた。
孤独ではない。
それだけで、胸の奥が熱くなる。
「でも……そこに行くには、白夜の都を出ないと……」
雫の声が、わずかに沈む。
白夜の外。
それは、人の支配の外にある場所。
同時に――守られない場所だった。
「えっ……本当の星が見れるの?」
紡の目が、一瞬だけ輝く。
その光は、すぐに陰る。
「そんな……良いことだけじゃないわ」
雫は、前を見据えたまま言う。
「本来の夜には、魍魎が跋扈する。光はない。守る機械もない」
一拍。
「闇に呑まれたら――誰も見つけてくれない」
その言葉に、車内の温度が少し下がった気がした。
「魍魎は怪人を襲わない。でも……人間のあなた達には、危険すぎるのよ」
紡の肩が、わずかに震える。
脳裏に蘇る。
形の定まらない黒。
蠢く影。
喰らいつこうと迫ってきた、あの異形。
雫は、そっと紡の頭に手を置いた。
「だから……あの時、僕を無視したんだ」
朔夜が呟く。
ようやく、繋がる。
あの時の距離。
あの時の躊躇。
「もう、そこしかないんだろ」
一鉄が言う。
腹は、決まっていた。
「ナビしてください、雫さん!」
「私も行く!」
紡は、迷わず言った。
朔夜を見る。
揺るがない瞳。
「お願いします」
朔夜も、頷く。
装甲車がさらに距離を詰める。
赤い光が、車内の窓を染めた。
その時――
胸の奥で、何かが動いた。
『僕は……みんなを……紡を守りたい』
怒りではない。
憎しみでもない。
ただ、守りたい。
その願いだけが、
胸の奥から“外”へ滲み出していく。
何かに届くように。
何かが応えるように。
――行け。
言葉にならない声が、背中を押した。
背の傷が、かすかに熱を持つ。
まだ意味の分からない、その一本線が、
確かに何かを告げていた。
ブロブロブロブロ――ッ!!
トラックが、唸りを上げる。
一気に加速する。
振動が、全身を打つ。
逃げるためではない。
辿り着くために。
目的地が、定まった。
白夜の境界へ。
そして――
その外へ。




