4話【訪問者】
コト。コト。コト。
味噌汁を温める音が、静かな朝に溶けていく。
立ち上る湯気が、部屋の空気をやわらかく満たしていた。
白ではない、やさしい朝。
その中で――
紡と雫は並んで立ち、穏やかに言葉を交わしている。
「それでね、昨日――」
「うんうん、紡らしいわ」
小さな笑い声。
たったそれだけのやり取りが、奇跡みたいに思えた。
「あの……」
遠慮がちに、部屋の入口から顔を出す朔夜。
味噌の香りが、腹の奥を刺激する。
思わず喉が鳴る。
一歩、踏み出しかけて――止まった。
まだ、自分がここにいていいのか、分からない。
そんな迷いを滲ませたまま、二人を覗く。
「僕の服は……」
風呂から上がったあと、見当たらなかったことを思い出す。
「今、洗ってる」
「下着も……」
「そうよ」
雫は、当たり前のように頷いた。
「うちに男物の服ないから、代わりに私のパジャマ置いといたけど」
「はぁ……」
逃げ場はない。
朔夜は観念したように、部屋へ入る。
花柄のパジャマの下だけを、無理やり履いた姿。
上はサイズが合わず、手に持ったまま。
細身だが引き締まった体躯が、妙に浮いている。
一瞬の沈黙。
――プッ。
紡が吹き出した。
続いて、雫も。
「似合ってる、意外と~」
「似合ってないです」
短いやり取り。
だが、そこには確かに“日常”があった。
つられて、朔夜も小さく笑う。
――まだ、やり直せる。
その光景を見つめながら、朔夜は思う。
共存は、空想じゃないのかもしれないと。
その背に走る、縦一文字の傷。
まだ意味を持たない、“境界線”。
それでも確かに――彼は何かを背負っている。
ブロロン……
低く、腹に響くエンジン音が、家の前で止まった。
ぴたり、と空気が止まる。
朔夜の表情がわずかに変わる。
『……この音』
敏感な耳が識別する。
『一鉄さんの……』
あの無骨なエンジン音。
忘れるはずがない。
ピンポーン。
インターホンの音が、妙に大きく響いた。
三人の視線が、同時に玄関へ向く。
「はい……?」
紡が応答する。
声が、わずかに硬い。
――沈黙。
スピーカー越しに、くぐもった声が落ちてくる。
やけに近い。
耳元で囁かれたような錯覚。
「ゴホッ。は……配達だ」
短い。
それだけの言葉。
だが――
警戒した妙な間。
知った声。
雫の目が鋭くなる。
朔夜の頭の奥が、微かに脈打つ。
――玄関前――
ガチャリ。
次の瞬間――
ドンッ!!
扉が内側へ弾け飛ぶ。
木片が宙を舞い、空気が裂けた。
「突入!」
号令と共に、光統院の隊員が雪崩れ込む。
ダダダッ――
土足のまま踏み荒らす。
扉を蹴り開ける。
クローゼットを破壊する。
視線が、隅々まで走る。
だが――
誰もいない。
テーブルの上には、まだ湯気の残る味噌汁。
三つ並んだ茶碗。
確かに“さっきまで誰かがいた"温もりを残している。
「怪人2名と反逆者1名、確認できません」
報告を受け、頼光がゆっくりと部屋へ入る。
床に散った木片を踏みながら。
「先を越されましたか」
口角は上がっている。
だが、目は冷たいままだった。
窓の外を一瞥する。
遠く、角を曲がる大型トラックの影。
ほんの一瞬だけ、視界に掠める。
「……なるほど」
ガタガカガタ――
日常を残す洗濯機の音が届く。
背後に立つ綱。
ホバーブーツは履いていない。
雨で故障したのか、静かに立っているだけだ。
その隣で、端末を操作する男が口を開く。
「雨の怪人……あった!雫かぁ~可愛いじゃん」
軽薄な声。
画面をスクロールしながら続ける。
「へぇ~あの施設から逃げたんだ」
「季武。見せてくれ」
端末を受け取る綱。
無機質な視線で画面をなぞる。
「……顔を変えたか」
ガシャンッ!!
頼光の蹴りが、テーブルを弾き飛ばした。
味噌汁が床に広がり、湯気が虚しく揺れる。
「あれ程痛め付けたのに……そう来ましたか」
一歩、踏み出す。
その笑みが、わずかに歪む。
「面白い……面白いですねぇ……」
ゆっくりと、言葉を噛みしめるように。
「これからは――」
視線が細くなる。
「怪人二名と、反逆者二名です」
「間違えないように」
その声は静かで。
逃げ場を、一つ残らず潰す響きをしていた。




