表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/34

4話【訪問者】

コト。コト。コト。


味噌汁を温める音が、静かな朝に溶けていく。


鍋の縁から立ち上る湯気が、部屋の空気をやわらかく満たしていた。


白ではない、やさしい朝。


痛みも、恐怖も、ほんの少しだけ遠ざかるような朝。


その中で――


紡と雫は、台所に並んで立っていた。




「それでね、昨日――」


紡が何かを話し、

雫が頷く。


「うんうん、紡らしいわ」


小さな笑い声。


たったそれだけのやり取りが、

この家の朝を、ちゃんと“日常”にしていた。


その光景を、部屋の入口から朔夜は見ていた。




「あの……」


遠慮がちに、顔を出す。


味噌の香りが腹の奥をくすぐる。


きゅる、と小さく腹が鳴りそうになって、朔夜はわずかに口をつぐんだ。


一歩、踏み出しかけて――止まる。


自分が、ここにいていいのか。


その迷いが、足先に出ていた。


紡が振り向く。


雫も、気づく。


二人の視線を受けて、朔夜は少し気まずそうに口を開いた。


「僕の服は……」


風呂から上がった後、見当たらなかったことを思い出す。


「今、洗ってる」


雫が、何でもないことのように答える。


「下着も……」


「そうよ」


当たり前のように頷く。


「うちに男物の服ないから、代わりに私のパジャマ置いといたけど」




「はぁ……」


逃げ道は、ない。


朔夜は観念したように部屋へ入る。


花柄のパジャマの下だけを、無理やり履いた姿。


上はサイズが合わず、手に持ったまま。


細身ではあるが引き締まった体躯に、その柄だけが妙に不釣り合いだった。


一瞬の、静寂。


――ぷっ。


先に吹き出したのは、紡だった。


肩を震わせる。


そのあとを追うように、雫も口元を押さえて笑う。


「似合ってる、意外と~」


「似合ってないです」


即答。


その返しが、また可笑しくて。


紡が笑う。


雫も笑う。


つられて、朔夜も少しだけ笑った。


その空気は、あまりにも普通だった。


昨夜まで、

血と光と悲鳴の中にいたことが、嘘みたいに。




――まだ、やり直せる。


その光景を見つめながら、朔夜は思う。


共存は、空想ではないのかもしれない。


こうして同じ朝を囲むことは、

奪われるだけの夢ではないのかもしれない。


背に残る、縦一文字の傷。


まだ意味を持たない、“境界線”。


それでも確かに――


自分は何かを背負い始めている。




ブロロン……


低く、腹に響くエンジン音が、家の前で止まった。


ぴたり、と空気が止まる。


朔夜の表情が、わずかに変わった。


『……この音』


耳が、先に反応する。


『一鉄さんの……』


あの無骨なエンジン音。


一度聞けば、忘れるはずがない。




ピンポーン。


インターホンの音が、妙に大きく響く。


三人の視線が、同時に玄関へ向いた。


「はい……?」


紡が応答する。


その声は、わずかに硬い。


――沈黙。


スピーカー越しに、くぐもった声が落ちてくる。


やけに近い。


耳元で、直接囁かれたような錯覚。


「ゴホッ。は……配達だ」


短い。


それだけの言葉。


だが――


妙な間。


不自然な咳払い。


知っているはずのない違和感。


雫の目が、すっと鋭くなる。


朔夜の頭の奥が、微かに脈打った。




――玄関前――




ガチャリ。


次の瞬間――


ドンッ!!


扉が、内側へ弾け飛ぶ。


木片が宙を舞い、

蝶番が悲鳴を上げ、

裂けた空気が一気に家の奥へ流れ込んだ。




「突入!」


号令と共に、光統院の隊員が雪崩れ込む。


ダダダッ――


土足のまま踏み荒らす。


部屋へ踏み込む。


収納を開ける。


扉を蹴り飛ばす。


クローゼットを壊す。


視線が、隅々まで走る。


だが――


誰もいない。


あるのは、

ついさっきまでここに人がいた痕跡だけだった。


テーブルの上には、まだ湯気の残る味噌汁。


三つ並んだ茶碗。


箸の向きさえ、生活の途中を示している。


温もりだけが、置き去りにされていた。




「怪人二名と反逆者一名、確認できません」


報告を受け、

頼光がゆっくりと部屋へ入る。


床に散った木片を、わざと踏みながら。


「先を越されましたか」


口角は、上がっている。


だが、

目だけが冷たい。


窓の外を、一瞥する。


遠く、

角を曲がる大型トラックの影が、ほんの一瞬だけ視界を掠めた。




「……なるほど」


わずかに、笑みが深くなる。




ガタガタ……ガタガタ……


洗濯機の回る音が、場違いなほど生活的に響く。


壊された玄関。


散った木片。


湯気の残る味噌汁。


その中で、洗濯機だけが、何も知らないように動いていた。




背後に立つ綱。


ホバーブーツは履いていない。


昨夜の雨で故障したのか、ただ静かに立っている。


その隣で、端末を操作していた男が声を上げた。


「雨の怪人……あった! 雫かぁ~可愛いじゃん」


軽薄な声。


画面をスクロールしながら、面白がるように言う。


「へぇ~、あの施設から逃げたんだ」


「季武。見せてくれ」


綱が端末を受け取る。


無機質な視線で、記録をなぞる。


「……顔を変えたか」




ガシャンッ!!


次の瞬間、

頼光の蹴りがテーブルを弾き飛ばした。


味噌汁が、床にぶちまけられる。


汁が広がり、具が散り、

白い湯気が虚しく揺れた。


さっきまでそこにあった朝が、

一瞬で踏み潰される。


「あれ程、痛め付けたのに……そう来ましたか」


頼光が、一歩踏み出す。


「一鉄――人間だからと、甘く見ていましたよ」


その笑みが、わずかに歪む。


「面白い……」


低く。


「面白いですねぇ……」


ゆっくりと、

その状況そのものを味わうように言葉を転がす。


視線が、細くなる。


「これからは――」


一拍。


その声だけが、妙に静かだった。


「怪人二名と、反逆者二名です」


冷たく、確定する。


「間違えないように」


その言葉は、命令だった。


逃げ場を一つ残らず潰し、

線を引き直し、

全員を“敵”へ塗り替えるための宣告だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ