2話【ポスター】
――工場の通路――
「っ……!」
視界が、白く弾けた。
青年は蟀谷を押さえ、その場に膝をつく。
窓から差し込む光は、容赦がない。
昼か、夜か。
もう判別はつかない。
濁った白。
空には、雲も星もない。
ただ――塗り潰されたような光だけが、広がっている。
『また……泣いている……』
声ではない。
それは、直接、脳の奥へと流れ込んでくる。
――助けてくれ。
――壊さないでくれ。
軋む。
引き倒される。
根が、無理やり引き千切られる。
水が濁る臭い。
呼吸が、奪われていく。
それらすべてが重なり、反響し、
鋭い痛みとなって、頭蓋の内側を叩き続ける。
「……もう、分かったから……」
絞り出すような声。
だが――
誰も、何も感じていない。
ガタッ。プシュ。ガタッ。プシュ。
機械は、一定のリズムで唸り続ける。
油の酸化した臭いが、鼻の奥にこびりつく。
強すぎる光が、影を押し潰していた。
そこに、“隠れる余地”はない。
影は小さく、歪み、
まるで存在そのものを否定されているかのように、地面へ縫い付けられている。
「おいっ新入り!邪魔だ!」
怒号が飛ぶ。
「すいません……」
壁に手をついた、その瞬間――
ズンッ。
岩肌を、無理やり削られるような感覚が、頭を貫いた。
遅れてくる痛み。
視界が、揺れる。
それでも、身体を引く。
邪魔にならないように。
壁に沿って、立ち上がる。
そのとき――
指先が、紙に触れた。
視線を向ける。
【怪人を見つけたら、光統院にご一報ください!】
貼り付けられたポスター。
そこには、怪人の絵が描かれていた。
血のように赤い目。
異様に鋭い牙。
獣じみた爪。
誰が見ても恐怖するように――
分かりやすく、歪められた姿。
……自分とは、あまりに違う。
なのに。
「怪人」
その文字だけが、胸の奥を抉った。
一瞬、呼吸が止まる。
肺が、うまく動かない。
――見られている。
そんな錯覚。
ポスターの中の“それ”が、
こちらを知っているかのように。
ビリッ。
衝動が、指先に宿る。
紙が裂ける音が、やけに大きく響いた。
『……ダメだ』
破いた直後、我に返る。
喉が焼けるように熱い。
「す――……は――……す――……は――……」
深呼吸。
無理やり、呼吸を整える。
冷や汗が顎を伝い、床へと落ちた。
『何度目かの転職だ』
拳を握る。
『今度こそ、上手くやらなければ』
――目立たず。
――逆らわず。
――ただ、やり過ごす。
そう決めたはずなのに。
視界の端に残る“怪人”の文字が、
まだ、こちらを見ている。
離れない。
胸の奥で、何かが燻る。
『僕には……もう、頼れる家族はいない』
皆、光の下で奪われた。
思考を、そこで断ち切る。
グシャリ。
破れたポスターを、強く握り潰す。
赤いインクが、汗で滲む。
掌へと、広がっていく。
ぬるりとした感触。
――まるで。
血のように。
その瞬間。
ズキッ。
また、痛みが走る。
違う。
さっきまでのものとは、違う。
もっと、近い。
もっと、生々しい。
掌の奥から――
“何か”が、脈打っている。
ドクン。
ドクン。
……それは本当に、
ただのインクなのだろうか。




