第1章【偽りの日常】1話【ポスター】
――工場の通路
「痛っ」
青年は蟀谷に指を当て、その場に膝をついた。
窓から白い光が容赦なく差し込む。
時計を確認しないと、昼なのか夜なのかも分からない、重く、濁った光。
空には雲も星もない。
ただ、塗り潰されたような白だけが広がっている。
『また……自然が泣いている……』
声にならない叫びが、直接、脳へ流れ込む。
木々が無理やり引き倒される感覚。
水が濁り、呼吸を奪われる感覚。
その反響が鋭い痛みとなって、頭蓋の内側を叩いた。
だが……。
周囲の人間たちは何も聞こえていない。
ガタッ。プシュ。ガタッ。プシュ。
無機質な機械音と振動が、規則正しく響く。
機械油の酸化した臭いが、鼻の奥にこびりつく。
強すぎる光が影を押し潰している。
全ての影は小さく、歪み、存在を許されていないかのようだった。
「もう……分かったから……」
青年は小さく呟く。
「おいっ新入り!邪魔だ!」
怒号が飛ぶ。
「すいません……」
壁に手をついた瞬間。
岩肌を無理やり削られるような痛みが頭を貫いた。
それでも、邪魔にならないように身体を壁に寄せる。
ゆっくり立ち上がった拍子に、指先が壁の紙に触れる。
視線を向ける。
【怪人を見つけたら、光統院にご一報ください!】
そこには、人間を襲う怪人の絵が描かれていた。
血のように赤い目。
異様に鋭い牙。
獣じみた爪。
恐怖を煽るためだけの、醜悪な姿。
自分とは、あまりにかけ離れている。
それでも――。
「怪人」という文字だけが、胸の奥を抉った。
一瞬、息が止まる。
ビリッ。
衝動が、指先に宿る。
紙が裂ける音がやけに大きく響いた。
『ダメだ……』
破いた直後に我に返る。
深呼吸。
「す――。は――。す――。は――」
冷や汗が顎を伝い、床に落ちる。
『何度目かの転職。今度こそ、上手くやらなければ』
拳を握り直す。
『この世界で生きるには……目立たず、静かに。それだけでいい』
そう、決めたはずなのに。
視界の端に残る「怪人」の文字が、まだこちらを睨んでいる。
胸の奥で、何かが燻る。
『僕には頼れる家族も、もういない。皆、こいつらに――』
思考を、そこで断ち切る。
グシャリ。
破れたポスターを強く握り潰す。
赤いインクが汗で滲み、まるで血のように、掌に染み出した。




