7話【生存者】
うつ伏せのまま、微動だにしない朔夜。
白夜の光が、均一にその背中を照らしている。
血は乾きかけ、赤黒く沈んでいた。
生きているのかどうか――判断がつかない。
「朔夜!朔夜!」
紡はもつれる足で駆け寄る。
途中で転んだ。
手のひらを擦りむく。
けれど、痛みは感じなかった。
這うように近づく。
ようやくその横顔に触れる。
冷たい。
血の気のない蒼白な肌。
まつ毛は動かない。
呼吸の気配もない。
「……やだ……」
声が崩れる。
喉の奥で潰れる。
指先が頬に触れたまま離れない。
繋ぎ止めるように。
ポタリ。
涙が落ちる。
その一点だけが、やけに生々しかった。
「お前に用はない。其奴から離れろ」
頭上から落ちてくる声。
感情の余白が一切ない声。
振り返る。
綱が立っている。
静かに。
ただそこに在るだけで、空気が冷え切る存在。
「生死問わず、怪人を回収するのが我等の使命」
事務的な言葉。
だが、その一言で理解してしまう。
朔夜は――“物”として扱われている。
膝が震える。
怖い。
本能が逃げろと叫んでいる。
それでも――
紡は、朔夜に覆い被さるように抱き寄せた。
『もう逃げない』
さっきまでの自分なら、動けなかった。
怖くて、目を逸らしていた。
『絶対に離さない』
震えは止まらない。
それでも、腕に込める力は緩めない。
その時――
「時雨」
どこからともなく、声が落ちた。
ポツリ……
一粒の雨。
綱の足元に落ちる。
目が細くなる。
警戒。
ポツ……ポツ……
二粒、三粒。
朔夜と紡の背に、冷たい水が触れる。
紡は空を見上げる。
白い空。
雲はない。
それでも――確かに降っている。
ザザ――ッ!
次の瞬間。
激しい雨が叩きつけるように降り出した。
視界が白く滲む。
音が消える。
雨音だけが、世界を埋め尽くす。
ずぶ濡れのまま、綱は刀を構える。
水滴が刃に触れ――蒸発する。
ガキンッ!
突如、目の前に刃。
反射で受け止める。
押し返す。
だが、その姿は――もう消えている。
ギュン――
ホバーブーツが唸る。
綱は一歩引き、距離を取る。
雨のカーテン越し。
動かない朔夜を確認する。
『奴の神通力ではない……』
ザジュッ!
右。
即座に刀を薙ぐ。
そこに現れたのは――能面。
雨の中。
無音で現れ。
無音で躱す。
刃が掠る。
ジュッ――
能面が焼け落ちる。
作り物の顔が、剥がれ落ちた。
現れたのは、濡れた黒髪。
柔らかな輪郭。
そして――切れ長の目。
バシャッ。
着地。
紡のすぐ隣。
守るように腕を広げる。
その手。
火傷の痕。
紡と目が合う。
「……」
息を呑む。
見覚えのある目。
見覚えのある痕。
「し……」
名前が喉まで出かかって――飲み込まれる。
綱が低く呟く。
「女……」
一瞬。
ほんの一瞬だけ。
己の美学と任務の狭間で、判断が遅れる。
女は左手で円を作る。
指と指で囲む。
その中に綱を収める。
「霧雨」
ブワッ!
濃霧が爆発するように広がる。
視界が消える。
音が消える。
距離が消える。
世界が切り取られる。
それでも綱は動かない。
呼吸を整え、迎撃姿勢を保つ。
ザザ…………
時間だけが伸びる。
何も起こらないことが、異常だった。
やがて――
雨が止む。
霧が薄れる。
そこには何もなかった。
朔夜も。
紡も。
女も。
残されたのは――
水溜まりに浸かる、割れた能面。
綱は刀を収める。
通信を開く。
「綱だ。怪人と女を取り逃がした」
一拍。
「それと――新たな怪人の生存を確認した」
白夜の光だけが、静かに降り注ぐ。
何もなかったかのように。




