6話【未熟者】
「ところで、神通力とやらは使わぬのか?」
構えたまま、綱が静かに問う。
「……?」
朔夜は、ボクサーの見よう見まねで拳を胸前に構えていた。
言葉の意味を探るように眉を寄せる。
――神通力。
聞いたこともない。
自分にそんなものがあるという発想すらなかった。
答えようがない。
「隠しても無駄ぞ。捕縛した怪人達から多様な記録を集積しておる」
淡々とした口調。
だが、視線は氷のように冷たい。
いつでも斬れる距離を保ったまま、綱は観察している。
『怪人故、身体能力は高いが……構えは素人』
『感情で動き、冷静さを欠く』
沈黙。
値踏みされる時間。
呼吸の音だけが浮く。
『僕の両親も光統院に捕まった……』
『怪人は記録を録るための実験体じゃない』
頭の奥が軋む。
怒りが、遅れて沸騰する。
胸の奥が焼ける。
目の奥に火が灯る。
見たこともないはずの光景が、脳裏に流れ込む。
拘束具。
白い部屋。
叫び声。
想像のはずなのに――妙に鮮明だった。
「お前なんかが……怪人の何を知っているんだ!」
抑え込んでいたものが、弾けた。
地面を抉るように踏み込む。
跳ぶ。
理性より先に身体が動く。
止められない。
猛獣のように手を広げる。
涙を滲ませた目で綱へ襲いかかった。
――
遠くで見ていた紡の喉が詰まる。
その姿は――魍魎。
ポスターに描かれた誇張された怪人。
朔夜の動きは、人間のそれではない。
――怖い。
そう思ってしまった自分に、胸が軋む。
それでも――目を逸らせなかった。
逸らしたら、本当に何かが終わる気がした。
――
キュイン!
機械音が空気を裂く。
風圧が頬を叩き、髪が巻き上がる。
「殺してやる!」
叫び。
感情に飲まれた声。
禍々しく歪んだ目。
――だが。
掴んだのは、残像だった。
目前にいたはずの綱が消える。
遅れて、そこに何もいないことを理解する。
背筋が凍る。
気配が、背後にある。
『やばっ!』
振り向くより早く。
上段。
迷いのない一太刀が落ちる。
バシュッ。
肉が裂ける音。
それが自分のものだと理解するまで、一瞬遅れた。
ジュッ――
焼ける音が重なる。
「グァァァ――!」
背中を叩き割られた。
受け身も取れないまま前方へ転がる。
地面が遠い。
近い。
上も下も分からない。
視界が白く弾ける。
呼吸ができない。
肺が潰れたように動かない。
背中から熱が広がる。
血が流れる感覚と同時。
焼けた肉の臭いが鼻を刺した。
焼き切る刀ゆえ止血されている。
だが、肉は抉られている。
理解が追いつかない痛みが、全身を駆け巡る。
指が土を掴む。
掴んだはずなのに――感覚が薄い。
遠くで、紡の声がした気がした。
『……逃げろ』
言おうとする。
だが、声にならない。
唇だけが、わずかに動く。
視界の奥。
タンポポが揺れていた。
両隣に、朔夜と紡。
屋上の風。
白い空。
短い静けさ。
――二度と戻らない時間。
次の瞬間。
それは崩れ、闇に沈んだ。
意識が途切れる。
紡を守れなかった後悔だけを残して。
――
「他愛もない」
綱が無表情に見下ろす。
刃を軽く振る。
血が払われる。
刀身の赤い光が、ゆっくりと消えていく。
「神通力も使えぬ未熟者か」
評価ではない。
判定。
すでに興味を失っている。
視線は、次の対象を探していた。
朔夜は動かない。
ただ、白夜の光だけが、均一に降り注ぐ。
「朔夜――!」
紡の叫びが響く。
掠れた声。
届かない距離。
足が動かない。
一歩も踏み出せない。
怖くて動けなかった自分を――
その場から一歩も動けなかった自分を、責め続けていた。




