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第5話 許すことと、返さないことは違います

氷のように冷ややかな視線が、石造りの広間に居並ぶ人々から一斉に注がれていた。

「聖女殿! 頼む、私にはまだ養わねばならない家族が……どうか慈悲を!」

床に這いつくばり、みっともなく私の足元にすがりつくグラン司祭へ、私は静かに口を開いた。




辺境伯家の執務館に設けられた公開審問の場は、張り詰めた沈黙に包まれていた。

証拠として提示された帳簿の矛盾と王国法を前に、グラン司祭は完全に言い逃れの道を絶たれていた。


彼の前に立つカイ様は、手元の羊皮紙を見下ろし、感情の欠落した淡々とした声で処分を読み上げていく。


「中央教会・会計局グラン司祭。王国救恤金の横領、ならびに虚偽報告の罪により、ただいまを以て聖職を停止し、一切の会計権限を剥奪する」


グラン司祭の肩が、びくりと大きく跳ねた。


「さらに、被害総額の補填のため私財を仮差押えとし、身柄は王国監査院へと送致する。当然、孤児院予算は即時返還していただく。また、今後一切のレイゼル領内への立ち入りを禁ずる」


一切の情を挟まない、峻烈で容赦のない重処分だった。

地位も、財産も、教会の権威も。すべてを失うという宣告に、グラン司祭の分厚い顔から完全に血の気が引いた。


「ま、待ってくれ! 全額返す、だから監査院行きだけは……! それだけは勘弁してくれ!」


王国監査院へ送られれば、彼の罪は白日の下に晒され、二度と表舞台には戻れない。

パニックに陥った彼は、冷徹なカイ様には言葉が通じないと悟ったのか、今度は私へとすがりついてきたのだ。


「聖女殿! あなたは慈悲深き女神の使いだろう! 罪を憎んで人を憎まずと言うではないか。私が過ちを悔い改めると誓えば、許してくれるはずだ!」


必死に私を見上げる彼の顔は、涙と汗でぐしゃぐしゃだった。

その姿を見て、私の胸の奥がチクチクと痛む。

私は、目の前で人が泣き叫んだり、絶望したりする姿を見るのが、本当に苦手なのだ。

たとえそれが、どれほど悪いことをした人であっても。


「……はい」


私が短く頷くと、グラン司祭の顔にパッと希望の光が差した。

周囲の兵士や文官たちが「まさか、この期に及んで許す気か」とざわめき始める。


「私は、あなたを憎むのが苦手です。今も、あなたが泣いているのを見て、胸が痛んでいます」


「おお、やはり! さすがは聖女殿……!」


「ですが」


私は、彼の歓喜の声を静かに遮った。


「私があなたを憎めないことは、あなたが子供たちから奪った毛布を、返させない理由にはなりません」


グラン司祭の顔が、再び呆然と強張る。

私は彼の目から視線を逸らさず、はっきりと言い切った。


「許すことと、奪われたものを返さなくていいことは、まったく違います。あなたが奪ったのは、ただの金貨ではありません。子供たちが凍えずに眠るための、温かい夜なのですから」


私の言葉に、グラン司祭は力なく床へ崩れ落ちた。

完全に心が折れた彼の両腕を兵士たちが掴み、引きずるようにして広間から連行していく。


その光景を最後まで見届けた後、ふと視線を感じて横を向くと、カイ様が私を見下ろしていた。

その灰色の瞳には、ほんのわずかだが、これまでにない思案の光が浮かんでいた。




その日の午後。

辺境礼拝堂の孤児院には、見たこともないほどの活気が溢れていた。


「わあ……! ふわふわだ!」

「重たいよ! これなら全然寒くない!」


子供たちが歓声を上げながら、次々と運び込まれる真新しい毛布に顔を埋めている。

暖炉にはたっぷりと太い薪がくべられ、パチパチと爆ぜる心地よい音と、部屋全体を包み込む確かな熱気が広がっていた。

ノーマ修道女は、薪の山と毛布を見つめながら、ただ言葉もなく涙をこぼしている。


「聖女様!」


毛布を抱きしめた小さな女の子が、とてとてと駆け寄ってきた。


「あのね、お祈りしたら、女神様が毛布をくれたの! 届いたの!」


純粋な喜びに満ちた笑顔。その赤く染まった温かい頬を、私はそっと両手で包み込んだ。


「ううん。女神様だけじゃないわ。あなたが、寒いって大きな声で教えてくれたから、毛布が届いたのよ」


私がそう微笑みかけると、女の子は不思議そうに小首を傾げ、それから満面の笑みで私の胸に抱きついてきた。

確かな命の重みと温度を抱きしめながら、私は孤児院の入り口へと視線を向けた。


そこには、荷馬車の手配を終え、静かにこちらを見つめているカイ様が立っていた。

私は子供の頭を撫でてから立ち上がり、彼のもとへ歩み寄る。


「カイ様。子供たちに温かい夜を返してくださって、本当にありがとうございます」


「私は、不備のあった帳簿を正し、本来の備品を再手配しただけです。監査官としての実務にすぎません」


カイ様は相変わらず素っ気ない口調だったが、その声の冷たさは、初めて会った時よりもずっと和らいで聞こえた。


「あなたの言う『祈りの残響』とやらは、監査の入り口としては、まあ、使えるようですね」


「入り口だけでは、足りませんか?」


私が問い返すと、カイ様はほんの少しだけ目を伏せ、それから真っ直ぐに私を見た。


「足りません。祈りだけでは誰も裁けず、毛布も届かない。だから、私が出口まで道を作ります」


それは、彼なりの不器用な約束だった。

私の曖昧な感覚を決して否定せず、仕事仲間として、対等な立ち位置から差し出された言葉。

彼がただ私を庇い、守るのではなく、共に歩くための『道』を用意してくれるという事実が、私の胸の奥を静かに、けれど確かに温めていった。




グラン司祭はその場で会計権限を剥奪され、子供たちには毛布が戻った。

だが、あの凄絶な冬。ルカという子供が命を落とした夜に、本当は何が起きていたのかまでは、まだ証拠が足りなかった。


真実はまだ、分厚い帳簿の奥底に眠っている。




同じ頃。

雪に閉ざされた辺境から遠く離れた、王都の中央大聖堂。

一切の汚れを許さない、白亜に輝く大司教の執務室で、一人の男が優雅に書類をめくっていた。


「……なるほど。グランが処分を受けましたか」


マティアス大司教は、辺境からの報告書を読み終えると、ふうと静かに息を吐き出した。

その顔には、部下を失った焦りも、怒りもまったくない。

ただ、完璧に整えられた庭園に、小さな雑草を見つけた時のような、慈悲深くも冷たい微笑みが浮かんでいるだけだった。


「祈るだけの無能な娘にしては……少し、邪魔ですね」


窓から差し込む美しい光の中で、大司教の言葉だけが、ひどく静かに落ちた。



---

【あとがき】

ここまでで第1章完結です。

次章では、金貨で命の順番を売る「治癒優先券」を裁きます。

続きが気になりましたら、ブックマークで応援いただけると嬉しいです。

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