第30話 公開大審問の幕が上がる
重厚な大聖堂の扉が、地鳴りのような低い音を立てて開かれた。
朝の冷たい空気が流れ込むのと同時に、私の鼓膜を打ったのは、巨大な空間を埋め尽くす群衆のざわめきと、むせ返るような熱気だった。
これから始まるのは、私という一人の「異端」を裁くための、王国中が注目する公開大審問なのだ。
王都の中央大聖堂は、私がかつて知っていた静謐な祈りの場とは、まるで違う姿を見せていた。
見上げるほど高い丸天井には、神々の姿が色鮮やかなフレスコ画で描かれ、壁一面にはめ込まれた巨大なステンドグラスからは、朝日が赤や青、黄金色の光の柱となって降り注いでいる。
光の粒が空中で埃を照らし出し、神聖な雰囲気を醸し出している。
だが、その美しい光の柱が照らし出しているのは、純粋な心で祈る人々の姿ではなく、私を断罪するために集まった無数の冷たい視線だった。
祭壇へ続く大理石の階段には、豪華な法衣に身を包んだ高位神官たちが、教会の権威を誇示するようにずらりと並んでいる。彼らの手には、女神の教えを記したという聖典が重々しく握られていた。
両側の特等席には、毛皮や宝石で着飾った王国貴族たちが、まるで舞台劇でも見物するかのような余裕の表情で腰を下ろしていた。扇子で口元を隠し、面白そうに私を指さして囁き合っている。
そして、その奥に広がる広大な身廊には、数え切れないほどの王都の民衆がすし詰めになっている。
熱気に当てられた彼らの顔には、教会の裏切り者、女神を騙る魔女の裁きを見届けようという、残酷な興奮が浮かんでいた。
その圧倒的な規模と熱量に、私は思わず足がすくみそうになった。
広大な空間の中心、一段低くなった場所に用意された小さな被告席。
手すりのある粗末な木の枠組み。そこへ案内された私は、この数千の群衆の中で、完全に一人きりだった。
「これより、下級聖女リリアナ・セレストの異端審問を開廷する」
ざわめきを切り裂くように、よく通る声が大聖堂に響き渡った。
祭壇の最も高い場所。黄金の装飾が施された玉座に座る、マティアス大司教様だった。
純白の法衣を纏った彼は、まるで人間たちの愚かな営みを天空から見下ろす神のように、ただ静かに、慈悲深い微笑みをたたえて私を見下ろしていた。
大司教様が軽く右手を挙げると、異端審問局の審問官が進み出て、私に向けられた数々の罪状を読み上げ始めた。
教会権威の著しい毀損。虚偽の奇跡の流布。次期聖女候補セラフィーナ様への脅迫と妨害。
厳めしい声で一つ読み上げられるたびに、民衆の席から「おのれ、異端め」「女神の罰を」「偽聖女を火炙りにしろ」といった怒りの声が、うねるような波となって押し寄せてくる。
私は、被告席の冷たい木の手すりを強く握りしめ、必死にその圧力に耐えていた。
周囲からの敵意だけではない。私を本当に追い詰めているのは、敵がこの日のために用意した『完璧な舞台装置』だった。
審問官の隣の机に積み上げられた、証拠として提示される書類の山。
それらはすべて、教会の優秀な文官たちによって日付も金額も完璧に改ざんされた、不正など一切存在しないことを示す「適正な帳簿」だ。私とカイ様が見つけ出したはずの、ルカの寄付台帳の真実など、そこには微塵も残されていない。
さらに、証言台の脇の控え席に目を向ければ、そこに座っている顔ぶれに私は再び息を呑んだ。
私とカイ様が辺境で集めたはずの、あの薬草商や治癒院の者たち。
彼らはみな、大司教派からの莫大な金貨で買収され、あるいは残された家族の命を盾に脅され、私を「嘘つきの魔女」だと証言するために王都へ連れてこられていたのだ。
彼らは皆、後ろめたそうに目を伏せ、決して私と視線を合わせようとはしない。
証人も、書類も、そして群衆の昂ぶる感情すらも。
大聖堂というこの巨大な空間にあるすべてのものが、私という小さな存在を完全に押し潰すためだけに、計算し尽くされて配置されている。
物理的にも、状況的にも、私は逃げ場のない孤絶した状態にあった。
(……カイ様)
私は、群衆の頭越しに、重く閉ざされた大聖堂の大扉へとそっと視線を向けた。
あの日、王都の隠れ家で「一緒に帰る」と約束してくれた、あの不器用で冷徹な監査官の姿は、まだそこにはない。
カイ様が遅れているのは、きっと王国監査院のエルネスト様と共に、大司教様を確実に捕らえるための最終的な令状の手配に奔走しているからだ。
彼が私を見捨てるはずがない。辺境では味方たちが、一斉に蜂起して証拠を守り抜いてくれているはずだ。
私はその事実を知っている。
だから、心は決して折れていない。彼が作ってくれる道を、私は信じている。
それでも、彼が不在のまま、この狂気に満ちた敵意の壁に囲まれた空間で、たった一人で立ち続けることは、想像を絶する恐怖だった。
時計の針が進む音が、私の耳元でやけに大きく響いているように感じられた。
「哀れな娘よ」
審問官の読み上げが終わると同時に、大司教様の声が静かに響いた。
マイクのような魔導具も使っていないのに、その声は大聖堂の隅々にまで、絹のようになめらかに、そして絶対的な重みを持って浸透していく。
「お前は、辺境の寒さに心を壊され、幻聴を『祈りの声』だと錯覚してしまったのだろう。そして、教会を恨む愚かな者たちを唆し、このような騒がしい真似を引き起こした」
大司教様は、玉座からゆっくりと立ち上がり、階段の縁まで進み出た。
彼の影が、大理石の床に長く伸びて、私を包み込む。
「だが、女神はどこまでも慈悲深い。今ここで、自らの虚言を認め、祈りの残響などというものがお前の作り話であったと告白するのなら……教会は寛大な心で、お前の罪を許そう」
それは、とても甘く優しい罠だった。
自分の罪を認めさえすれば、破門という最悪の事態や、火刑のような命の危険だけは回避させてやろうという誘惑。
だが、その誘惑の裏にある絶対的な「圧」に、私は背筋が凍るような悪寒を感じていた。
もし私がここで恐怖に屈して頷けば、私が辺境で拾ってきた人々の本当の祈りは、永遠に闇の中へ葬り去られてしまう。
孤児院の雨漏りも、理理不尽に命の順番を金で買われた悲しみも、ルカの名前で受け取られた寄付金も、すべて「なかったこと」にされてしまうのだ。
「……私は」
私が反論しようと小さく口を開きかけた瞬間、大司教様の瞳が、すっと細められた。
そこには、慈悲の欠片もない、絶対権力者としての氷のような冷酷さがあった。
それは「これ以上無駄な口を開けば、生かしてはおかない」という、声なき脅迫。
「よく考えることだ、リリアナ。お前を助けに来る者など、ここには誰もいないのだから」
大司教様は、私が何を言おうとしているかなど、最初からお見通しだったのだろう。
彼の言葉を合図にするように、背後に控える武装した神官たちが、私を物理的に取り押さえようと、じりじりと距離を詰めてくる。
買収された証人たちが、一斉に私を指さして非難の証言を始めようと身構えている。
群衆の敵意は頂点に達し、巨大な濁流となって私を飲み込もうとしていた。
息が詰まる。喉がカラカラに乾く。
私の声など、この数千の悪意の中では、ほんの小さな泡沫として消え去ってしまうだろう。
カイ様が来るまでの時間を少しでも稼ごうにも、もはや一秒の猶予も残されてはいなかった。
すべてが、大司教様の思い描いた通りに動いている。
反撃の糸口など、この空間のどこを探しても見当たらなかった。
舞台はすべて、大司教が整えていた。




