第28話 証拠を集める監査官
机の上に次々と積み上げられていく羊皮紙の束は、これまでの私たちが辿ってきた軌跡そのものだった。
あの痛みの記憶が、一つ一つ、中央教会という巨大な敵を裁くための絶対的な『証拠』へと変わっていく。
王都の隠れ家にある執務室。
カイ様は、辺境から送られてきた膨大な資料と、私が大聖堂内で集めた新たな証言録を、冷徹な手つきで一つの大きな『剣』として束ね上げていた。
「優先券の控えと、その裏で交わされていた貴族からの献金紹介状。孤児院予算から演出費への流用記録。そして、死者名義を利用した組織的な寄付金の受領書」
カイ様が一つ項目を読み上げるたびに、私の脳裏にあの日の痛みが蘇る。
泣けなかった母親。光の粉に変えられた雨漏りの屋根。そして、二度と祈ることのできないルカの名前。
でも、今の私には悲しんでいる暇はない。
「さらに、辺境の薬草商から押収した架空発注の帳簿。あの異端審問の際に、証人たちを買収したことを示す大司教派からの手紙。大司教専用祈祷室の高価な聖画の購入記録に、貴族信者向けの謁見室改装費……」
カイ様は、まるでパズルのピースをはめ込むように、それらの証拠を『王国救恤金』という一本の太い線で大司教へと繋ぎ合わせていく。
「これですべて揃いました。彼らがどれほど教会法を盾にしようとも、この物証の束は、王国法に違反したという逃れようのない事実を証明しています」
「カイ様……」
私は、積み上げられた証拠の束を見つめながら、小さく息を吐いた。
私が聞いた断片的な祈りの残響が、彼の手によって、こんなにも強固な人間の証拠に変わったのだ。
カイ様はペンを置き、私の隣に並んで立ち、同じように机の上の証拠を見下ろした。
「あなたが、私を呼んでくれたからです」
「え?」
「あなたが逃げずに証拠の入り口を見つけ、私を呼んでくれたから、私はこうして出口までの道を繋ぐことができた」
カイ様は、私の方を見ずに、ただ静かにそう言った。
甘い言葉ではない。けれど、私たちが互いを必要とし、共にここまで歩いてきたという確かな信頼が、その言葉には込められていた。
私も彼に倣って前を向き、ただ静かに頷き返した。
「……カイ様! 大変です!」
心地よい静寂を破り、見張りに立っていた部下の一人が血相を変えて執務室に飛び込んできた。
「大聖堂の動きが不審です。どうやら、私たちの内偵に気づいた大司教派の神官たちが、過去数年分の古い寄付台帳を、一斉に焼却炉へ運び出そうとしています!」
「なんだと……」
カイ様の顔から、一瞬にして温度が消え去った。
大司教は、明日の公開大審問を前に、自分へと繋がる決定的な『死者名義の寄付』の過去の記録を、完全に隠滅しようとしているのだ。
「馬を出せ! 急ぐぞ!」
「カイ様、私も行きます!」
私たちは隠れ家を飛び出し、夜の王都を大聖堂の裏口へと向かって駆け抜けた。
裏口にある巨大な焼却炉には、すでに赤々と火が入り、数人の神官たちが台車に積まれた大量の帳簿を今まさに炎の中へ投げ込もうとしていた。
「そこまでだ!」
カイ様が先頭を切って駆け込み、神官たちを牽制する。
「な、なんだ貴様らは!」
「王国監査院の権限において、それらの書類の焼却を禁ずる! 証拠隠滅は重罪だぞ!」
カイ様の部下たちが神官たちを取り押さえるが、一人の神官が「大司教様の命令だ!」と叫び、腕に抱えていた最も分厚い台帳の束を、強引に炎の中へ放り投げようとした。
(あれは、ルカの名前が載っていた台帳……!)
「だめっ!」
私は無我夢中で駆け出し、神官の腕にすがりついた。
「離せ、異端の娘!」
神官に強く突き飛ばされ、私は冷たい石畳の上に無惨に転がった。
だが、私がしがみついたことで神官の体勢が崩れ、台帳は焼却炉の縁にぶつかって、間一髪で炎を逃れて地面に落ちた。
すぐにカイ様が神官を取り押さえ、地面に落ちた台帳を素早く回収する。
「……無事ですか、リリアナ」
カイ様が私に手を差し伸べ、冷や汗をにじませながら尋ねた。
「はい。……間に合って、よかったです」
彼の手を取って立ち上がった私の手には、かすり傷ができていたけれど、それよりも、ルカの名前が記された証拠を守り抜けたことの安堵の方が何倍も大きかった。
「これで、大司教の逃げ道は完全に塞がれました」
隠れ家に戻り、煤で汚れた台帳を無事に証拠の束に加えた後、カイ様は一通の書簡を私に見せた。
王国監査院長、エルネスト・グレイ様からの返信だ。
『辺境伯家から提出されたすべての物証と証言を精査した。これより王国監査院は、マティアス大司教に対する正式な強制捜査の令状を発行する。……明日の大審問に、私も向かおう』
王国法という最強の剣を抜くための、絶対的な令状。
それが、明日の大審問の場に直接届けられるという確約だった。
「……もう、彼らが逃げることはできませんね」
「ええ。あなたが拾い集めた祈りは、すべて人間の証拠へと変わりました。あとは……」
カイ様は、証拠の束の上にそっと手を置き、私を見つめた。
「あとは、明日の大聖堂で、これを開くだけです」
静かな執務室に、決戦直前の張り詰めた、けれどどこか澄み切った空気が流れていた。




